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素人だから言えることもある

革命前夜

これはアルビン・トフラーの「富の未来」からヒントを得て僕なりに日本に当てはめたものである。

第二の波の崩壊

 現在、起きている現代日本社会の様々な混乱、格差社会、年金問題、少子高齢化問題、いじめ問題などはすべて第二の波が崩壊し、第三の波が現れたためである。

 第一の波(農業革命)のとき、人々は獲物を追う流浪の旅をやめ、畑を作りそこに定住するようになった。人々は村を作り、大家族制度のもと、教育は親から子へ伝えられていった。

 第二の波(産業革命)が起きて、人々は村を離れ、町の工場や会社に通うようになり、核家族が増えていった。教育は集団で学校に通うようになった。子供たちは、家族のつながりよりも友達のつながりが強くなった。この波では、それぞれの業種のヒエラルキーが確立してそれぞれのスペシャリスト(専門家)が既得権を持つようになった。「専門家に任せて素人は口を出すな」というのがこの世代の口癖である。現代社会の世界中の国家の制度はこの第二の波を前提に作られたものである。

 第三の波(知識革命)が起きた。これはインターネットを使う世代の登場である。インターネットは金がかからず、専門家よりも豊富な知識が手に入る。「素人が口を出す」時代の到来である。たとえば、ある病気になった患者は、その病気について一生懸命調べる。医者のほうは、その病気だけを知っているわけではないし、調べる時間もないから患者には太刀打ちができない。

生産消費者の復活

 これはトフラーが作った言葉で、金銭経済に関係なく、生産消費するものという意味である。たとえば、農家は野菜を造り出荷するから、生産者である。それを店で買う人は消費者である。ここに金銭のやり取りが当然ある。しかし、農家はすべての野菜を出荷するわけではない。当然、自分の家の分は手元に置く。そこには金銭とは関係なく産業者でありながら消費者であるということになる。この生産消費者、実は様々な実例が可能である。たとえば、ボランティア。家庭の主婦。家庭のしつけや料理などは、金銭経済の対象にならないが立派に生産消費者であり、料理の秘訣・しつけの秘訣という知識を生み出している点で社会資本となる。

第三の波では知識が富となる

富というと、どうしても金銭のことだと思っていると話が食い違う。アルビン・トフラーは知識こそが富であるという。知識は決して減らないし、いろんなものをつけてどんどん増えていくものだという。たとえばリナックス。リナックスはソースコードを無料で公開しているので、いろんな人がこれにプログラムをつけて商品化している。もとが無料だからその商品も安くできる。そのような知識を持つものをたくさん抱えた国こそが裕福になるべきだが、国の制度は未だ第二の波のままで、たいへん変革が遅い。

 トフラーは現在100ドルパソコンに注目している。貧困の国でも、パソコンを手に取った少年が知識を身につけて国を変えていく力になることを思い描いているのだ。

※産業消費という言葉は生産消費の間違いでした。訂正しておきました。
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