夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

だます側の論理、だまされる側の論理

 前項「メディアは信じるものではない」で「あるある」騒動でだまされた方は、「あるある」教の信者と考えることもできると書いた。一方、だます方の論理は何か。それは、放送作家の高瀬某氏のブログが炎上したという記事がある。そこで、その内容から見てみると、(そのブログのキャッシュが残されていた(現在削除)

関西テレビには、「いつも納豆を食べてるのに、新参者に買い捲られて、買えないじゃないか・・どうしてくれんだよ!」的なクレームまで寄せられた。

凄い影響力だなあ。あるあるって。
と、新年早々改めて感じ入ってしまった。
ということは、ワタシは、この国の人たちの食行動について情報操作できるってことになる。
怖い怖い。
皆さん、ご安心を。そんなこと絶対しませんから。
国益だけを考えてきちんと番組作りしないと、
自分が間違ったら大変なことになっちゃう・・などとも思う。

でも逆に、この国の若い世代の間違った食生活を上手く正すことができるのかもしれない、などとも思う。

 ここにあるのは、まるで自分が「神」にでもなったような心境が伺える。「若い世代の間違った食生活を上手く正す」という言葉がそれだ。それが行き過ぎれば、今回のように事実を曲げてまで放送する事態になりかねない。

 たとえば「納豆でダイエットできる」という「神の言葉」を語る変なおじさんがいるとしよう。そこに、「なるほど」と思って信者ができるかもしれない。でも、それはそれで泡沫の一宗教に終わるだろう。

 だが、これがメディアを通して語られたらどうなるだろう。しかも、それを語る教祖の姿は見えない。さらに「神の言葉」をいかにも正しいかのように番組に作り上げられているので、たとえどんなにおかしな「神の言葉」であっても信者にはそのまま通ってしまう。つまり、そのテレビ番組が正しいか正しくないかを検証するシステムが存在しないのである。そこにテレビ局と制作会社のゆがんだ関係がある。

「あるある」捏造問題を最初に取り上げた「週刊朝日」(2/9号)では

あるある大事典」の元制作スタッフの一人は、こう話す。

「元請けの立場みたいな日本テレワークの幹部が、ありえない仮説を立て、それを下請けの制作会社が強引にデッチ上げるのが『あるある式』。どれが捏造?どれもですよ。まっすぐにつくったものを知りません」

そして、幹部が繰り返し口にしていたセリフが忘れられないという。

「とにかく、筋書きに合うことを言ってくれる医者をつかまえろ」

(中略)

「見つけられなきゃ、オンエアはなし。お前の仕事もなくなるぞ」(週刊朝日2/9号「捏造!あるある大事典Ⅱ」おわび放送もデタラメだった!)

 最初からシナリオ通りで番組を作ろうというのだから、その番組がうそまみれになるのは当たり前である。それを作った放送作家自身がまるで自分が「神」がかりになるのは当然ではないだろうか。

(注)エントリタイトルをより直接的なタイトル「だます側の論理、だまされる側の論理」に変えました。
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