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素人だから言えることもある

守るべきなのは自分の地位ではない

 最近の事件や事故、たとえば、古くは福知山の脱線転覆事故、耐震偽装問題、多発するいじめ自殺に対する校長や教師の対応、不二家の不祥事に対する社長の認識、「あるある大事典」打ち切りと関西テレビ社長の対応など、業界はさまざまだが、実は同じ構造を持っているといったら、読者は驚くだろうか。

 僕は、福知山脱線事故のとき、一つの方程式を考え出した。「守るということ」と言うタイトルでこう書いている。

つまり「時間を守る」ことを優先したために乗客の「命を守る」ことができなかったのだ。本来、「時間を守る」=「命を守る」が当たり前だと思っていた人々に、実はこの「時間を守る」=「命を守る」というバランスは大変危ういものであることが判明したのである。乗客の命をとられた遺族は、鉄道会社の責任を追及する。最初、鉄道会社は「8メートルのオーバーラン」だとか「置石があった」とかいって自分たちの責任を回避しようとした。つまり、鉄道会社は「自分の地位を守」ろうとしたのである。 (「守るということ」)
鉄道会社の方程式(福知山脱線事故鉄道会社社長の対応)

自分の地位を守る>時間を守る=鉄道会社を守る>乗客の命を守る

病院の方程式(妊婦を受け入れ拒否した病院側の対応)

自分の地位を守る>病院を守る>患者の命を守る

マンションの方程式(耐震偽装を起こした建築士の対応)

自分の地位を守る>会社を守る>住民の命を守る

学校の方程式(いじめ自殺をいじめはなかったといった校長の対応)

自分の地位を守る>学校を守る>生徒の命を守る

これを不二家に当てはめるとどうなるか。不二家は信頼が失墜しているのにもかかわらず、発表の時期を遅らせ、さらにはバレンタインデーの前に製造を再開しようと考えた。事件をあまりにも軽く考えたためである。

「あるある」の時はどうか。これは制作者側にも関西テレビの社長にも言えることである。下請け会社は納期を守るために捏造したのであり、守らなければ次の仕事はない(これは耐震偽装を起こした建築士の対応と同じである)とおどされていた。つまり、この瞬間、番組に対する視聴者の信頼を完全に忘れていた。いっぽう、関西テレビの社長は、最初は「捏造はなかった」で押し通そうとした。一見、番組に対する視聴者の信頼を忘れていなかったようにみえるが、あくまでも自分の地位をなくさんがための保身の姿勢である。なぜなら、いまだに辞任する姿勢を見せていない。不二家にしても「あるある」にしても、死亡事故はなかった。だが、人はなぜ食べるか。そのメーカーや番組に対する信頼があるからであり、やはり「命を守る」視点が完全に欠けていた点で共通している。

 そこで先ほどの方程式にするとこうなる。

不二家の方程式(社長の対応)

自分の地位を守る>会社を守る>消費者の命を守る

あるある大事典の方程式(制作者と社長の対応)

自分の地位を守る>テレビ局を守る>視聴者の命を守る

この「命を守る」には信頼関係が必要だ。信頼関係がなくなれば、恐ろしくて命を預ける気にならない。私たちは多忙な日常の中でいつしかこの「命を守る」を忘れていたのではないか。この「命を守る」を優先順位のトップに持っていくことを考えていかなければならないのである。
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