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素人だから言えることもある

テレビ局は永遠に間違え続けるのか

 『私たちは何を間違えたのか 検証・発掘!あるある大事典』を見た。確かに、ここではこのようにして番組は捏造されてきたという話は出た。だが、現場のディレクターの証言は「面白くするため」であり、上の担当プロデューサーの証言にはチェックしようという熱意がなかった。

 つまり、誰一人として事実に対して追求しようという情熱が存在しなかったことだ。それは、視聴者がそのとおり、まねをしようなんて考えてこなかったのではないか。

 関西テレビのホームページに調査報告書 調査報告書概要のPDFがある。

 その中から、いくつか取り上げてみたい。

(1) 当事者意識の欠如

 私たちはそれぞれの段階の会議資料や取材テープを検証したが、そこで強く印象付けられたのは、多くの関係者から、その番組、そのテーマ、その事実に対して強い関心を持ち、敢然と取り組むのだ、という明確な意欲や意気込みを感じ取れなかった、ということである。どこか他人事なのだ。誰もがどことなく他人任せであり、自分はそのテーマや事実や知識を本気で信じてもいなければ、真正面から取り組んでいるわけでもない、という気配が漂ってくる。いったい何のために集まっているのか、ヒアリングを繰り返しても、じつはよくわからないのだ。(中略)

 もう1例を挙げれば、やはり制作幹部をまじえ、スタジオ収録直前のVTRチェックが行われたとき、幹部らはDHEAについて語る人物がF3教授からF1(別人)教授に変更されていたことに、ほとんど気がついていなかった。

制作関係者のあいだに漂うこのいい加減さを、私たちは「当事者意識の欠如」と呼んでおきたい。(第6 番組制作現場における問題発生要2当事者意識の欠如 P133〜134)

(2) リサーチの軽さ(事実・真実・知識への安易な取り組み)

 あるテーマを設定し、それについて番組を作ろうとするとき、何より重視されるべきは、そのテーマ自体に関するリサーチである。とりわけ「あるあるⅠ」「あるあるⅡ」の場合、テーマの核心には特定の食べ物や知識やノウハウなど、具体的なモノ、具体的な研究成果、具体的な事実を想定していたのであるから、きちんとしたリサーチこそが番組の骨格を作り、固めるために不可欠であった。

 しかし、その実態を見ると、専門的なリサーチャーは、再委託された制作会社に1人か2人いただけであり、それもほとんどは必要に応じて外部のリサーチャーに調査を依頼する程度であった。一方、リサーチャーもインターネット検索や電話による問い合わせ程度の調査しかしていないし、ディレクターに同行して専門家の説明を聞きに出向くことがあった場合も、それ自体がすでに放送を前提としたカメラ取材になっている。このリサーチの薄さ、事実や真実や知識に対する安易な取り組み方には、驚くというよりは、唖然とするしかない。

(中略)

 言うまでもなくこれは、リサーチャーの責任ということではない。関西テレビ、テレワーク、再委託先の制作会社の中には、事実・真実・知識に向き合う真剣さが決定的に不足しており、その部門に対する手厚い対応をして見なかったということである。

 このような安易な取り組み方が常態化した背景には、生活情報バラエティー番組の「わかりやすく」「面白く」という制作手法が影を落としているだろう。こまごまと、複雑な事実を集めても、番組では使えない。そんなことに手間やコストをかけるよりも、ものごとすべてを単純化し、簡単に、手軽にわかることの方がいい、という発想が、制作現場に浸透し、その全体を覆い尽しているように見える。

 ここから、ディレクターやアシスタントディレクターらが実験の意図も理解しないまま、「あるある大実験」や「ミニ実験」に臨み、被験者から採った血液を粗末に扱ったり、無意味なデータを取ったり、という不始末も起きてくる。ここに時間に追われる、という条件がかさなれば、捏造をはじめとするいい加減な番組作りに走るのは、ほぼ必然だったといっても過言ではない。(第6 番組制作現場における問題発生要因3事実・真実・知識への安易な取り組みP134〜135)

(3) 専門的知識の安易な利用

「われわれは科学番組を作っているのではない。報道でもないんです。われわれは情報バラエティー番組を作っているんです」

 今回の制作関係者に対する、ヒアリング調査で、幾度なく耳にした台詞である。

 はじめ、それは、「わかりやすく」「面白く」作る、という「あるあるⅠ」「あるあるⅡ」など生活情報バラエティー番組に共通する制作手法一般のことを言っているように思われた。さまざまな落とし穴はあるにせよ、このこと自体は悪いことではない。事実などの背後にある難解な説明や入り組んだ経緯をわかりやすく、面白く見せるには大変な技量が必要であり、それをしようとすることには意味がある。

 しかし、ヒアリングを続けるうちに、彼らの言わんとする意味が、そういうことではないらしいことがわかってきた。

 「あるあるⅠ」「あるあるⅡ」は、まずテーマが設定され、それにふさわしい具体的な事実・真実・知識に焦点を当て、そこから手軽で有用なノウハウを引き出し、提示するという番組である。リサーチも実験も取材も、この流れに沿って進んでいく。

 言い換えれば、意図したテーマから外れたり、テーマに反するコメントや事実はいらないということである。それらは当然のように、切り捨てられる。事実や真実や知識がそれほど単純なものではないことは、いくら強調してもしすぎることはないが、今はそのことはおいておく。要は、テーマに沿った、都合のよいコメントや事実が集められるということである。そうやって編集が進み、番組として仕上げられていく。

 ここにないのは、コミュニケーションである。都合のいい説明やコメントをしてくれる相手とすら、本質的なコミュニケーションが成り立っていない。あたかも必要な材料だけを調達してくるように、番組で使えそうな言葉だけを拾ってくる。テレビは最大のマスコミと言われながら、ここには取材する側とされる側とのあいだの真剣なやりとりがない。葛藤がない。コミュニケーションがない。

 これは専門的な知識の、安直な利用である。(第6 番組制作現場における問題発生要因 4 専門的知識の安直な利用 P136)

 何しろ報告書は155ページある。そのうち、最終部分の第6 番組制作現場における問題発生要因から3項目を抜き出して見た。この後、「制作委託システムのゆがみ」(P137)「中堅制作者の教育研修制度の不在」(P138)と続く。詳しくは調査報告書を読んで欲しい。

 検証番組を見る限り、関西テレビ自身はなんら反省していないように見える。まだ報告書を丹念に読んでいないのではないだろうか。そこには、彼らがテレビマンとして不適格者だということが書いてあるのだが。
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