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素人だから言えることもある

メディアは屈折する

 安倍首相の訪米は、日米の結束の固さを強調したものの、いわゆる「慰安婦問題」では、安倍首相の意図したこととは違ってきた。

これを報道で見てみよう。

慰安婦問題、首相が「責任感じる」と謝罪

  安倍晋三首相は21日までに米ニューズウィーク誌のインタビューに応じ、第2次世界大戦中の従軍慰安婦問題について「日本の首相として大変申し訳ないと思っている。彼女らが非常に苦しい思いをしたことに対し責任を感じている」と述べ、同問題では初めて「責任」に直接言及して強く謝罪の意を表明した。(日刊スポーツ4/21)
安倍首相「慰安婦への強制性」認めた? 英訳記事は誤報なのか
安倍首相は2007年4月27日、ブッシュ大統領とワシントン近郊のキャンプデービッドで会談し、「人間として首相として心から同情する。慰安婦の方々がそういう状況になったことに対して申し訳ない思いだ」と従軍慰安婦について謝罪を表明。大統領もこれを受け入れる、とした。しかし、この安倍首相の謝罪をめぐっては、「誤訳」とも思える「謝罪」が海外メディアによって報道されている。

4月27日のBBC

(インターナショナル)は安倍首相の発言について、

「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う(I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.)」

と英訳して報じている。この「強制された(forced)」という言葉は、日本メディアは総じて報道しておらず、安倍首相の発言を英訳する際の「誤訳」の可能性も十分にある。しかし、この「強制」という言葉がこのように報じられるのは、海外メディアでは今回に限ったことではないようだ。(J-castニュース5/2)

首相訪米、苦い教訓 慰安婦問題は意図伝わらず
 慰安婦に同情する理由に関しては、日本政府・官憲の関与には言及せず、当時は慰安婦が置かれていた「そういう状況」があったことを強調した。これは、戦時の人権侵害が、決して日本だけのものではないことを強く示唆し、相手に過去よりも未来に目を向けさせる狙いだった。これなら、狭義の強制性はなかったという一線を譲ったことにもならない。

 しかし、周到に準備したこのフレーズは目的通りの効果は生まなかった。訪米前から同じ言い方を繰り返しているにもかかわらず、日本のメディアの多くは首相の意図に気付かないか無視し、「米国で謝罪」と強調した。一方、慰安婦の強制連行を既成事実と決めつけてきた海外メディアには、首相の微妙なニュアンスは伝わらなかった。(サンケイ4/30)

首相、慰安婦問題発言「米への謝罪でない」
【ドーハ=中山真】安倍晋三首相は1日の同行記者団との懇談で、先の日米首脳会談で「慰安婦の方々に申し訳ない」などと表明したことに関して「米国に謝罪したことは全くない」と述べた。

 首相の発言には、韓国メディアが「謝る相手が違う」などと反発していた。首相は発言について「私の慰安婦の方々に対する気持ちが間違って伝わっていたので、率直な気持ちを伝えたということだ」と説明した。(日経5/2)

 安倍首相の訪米は、国会で発言した「慰安婦問題で『強制性』はなかった」という発言が、アメリカに飛び火して六カ国協議に影響を与える結果になると思い、誤解を解く目的だった。もともと安倍首相の話し方のわかりにくさと、あいまいさが日米の報道にまったく違った報道をもたらしたものである。

 それはある意味、安倍幹事長が小泉元首相に学ばなかった点でもある。小泉元首相のように敵味方をはっきりすれば、敵はいきり立つが、国民から見ればわかりやすい。両方に目配りをすれば、物事はうやむやになり、国民から首相は何を考えているかわかりにくいということになる。

 一方、メディアはものごとをはっきりきわただせて書かなければならない。小泉劇場にメディアが翻弄されたのは、この小泉流のワンフレーズのわかりやすさである。次から次に繰り出される奇手の連続にメディアは振り回され、本来目を光らせるべき部分にまでおろそかになってしまったが。当然、安倍首相は小泉元首相に比較される。わかりにくいから支持率が上がらない。安倍首相は言葉で引っ張っていくことは無理だと思い、行動に出たのである。だが、行動にもクエスチョンが出てしまった。

 メディアは必ず屈折する。特にあいまいな政治発言であればなおさら、右であれ、左であれ、自分の都合のよいように書く。政治家の役割は、そのメディアの屈折を見越した上で発言することである。小泉流のワンフレーズであれば、他に書きようがないのであるが。
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