夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

グーグルの語る地球監視社会

CNET Japanに面白い記事が載っていた。それは、「グーグルCEO">、新メディアとその政治的影響を語る」の中で、

 しかしSchmidt氏は、もっと深刻な問題として、現在のインターネットは未熟であり、MySpaceの卑猥な画像が原因で就職に失敗したり、ブログに同僚のことを書きすぎたために解雇されたり、選挙運動イベントでの失言が瞬く間にYouTubeで話題となりバージニア州の元上院議員George Allen氏の名誉が傷つけられるなど、ユーザーは失敗や事件から教訓を得ている段階にある、という考えを述べた。

 同氏は「人々は、記録が残る世界で生活しているということについて、今よりもはるかに注意深くなるだろう」と述べた。いたるところにカメラがある、ということにも気を配る必要があるだろう。Schmidt氏は「常に、何らかの形でメディアに露出していることになる。誰もが携帯電話を持つようになり、携帯電話にはカメラがついているわけだから、誰もがカメラを持っているということになる。誰もがデジタル写真のカメラマンなのだ」と説明した。

 これは何を意味するか。それは過去の失敗が許されなくなるということだ。人間は、有名な人間や金持ちなど、自分より境遇のよい人間をひがみやすい。そしてできるものならば、過去の失敗を暴いて引きずり落としたいと考える。ジョージ・オーウェルの「1984」が「テレスクリーン」による国家の監視とすれば、これから来る社会は国民による国民の監視ということになる。そしてグーグルはこれら国民のための立派な道具となる。

 もちろん、ひがみやすい国民であるから、捏造することも考えられる。そこで、Schmidt氏は「有権者は、今よりもはるかに、目にしたことを信用しない傾向になるだろう」という。情報過多の時代は、情報不信の時代を作る。やがて、どの情報が正しく、どの情報が間違っているか学ぶという。

 情報を受身で聞いていた人間は、これからは気をつけなければならない。いつ、情報の中心に自分が登場するかわからないのだ。誰もがカメラマンとなる時代は、誰もが被写体となる時代なのだ。そしてそこで撮られた動画は、いつYouTubeに配信されるかもしれないし、見ず知らずの人のブログで笑いものにされているかもしれない。

 ところでIt Mediaでこんな記事があった。「<カメラ付き携帯の発明者が語る、写真共有時代の文化的影響」で発明したのはフィリップ・カーン氏。(リンク切れ)

 カーン氏は現在55歳。その後カメラ付き携帯が良くない使われ方をしていることも認識している。女性のスカートののぞき写真に利用されたり、欧州の「ハッピー・スラッピング」と呼ばれる暴力現象では若者がけんかや暴行をそそのかし、その模様をカメラでとらえてWebで画像を広めたり、携帯電話同士でやり取りしている。

 しかし同氏はこの技術のメリットに目を向けたい考えだ。この便利なツールのおかげで被害者の汚名が返上されたり、自警団の妥当性が裏付けられたこともある。

 ここ数年は、暴行犯がカメラ付き携帯を恐れて逃げたり、犯罪者が顔写真やナンバープレートを撮影されて後に逮捕されたといった話も聞かれるようになり、「銃を持ち歩くよりいいと思えるようになった」とカーン氏は言う。

 勿論、メディアは道具である。使う人間によって喜びを与えることもあれば、悲しみを誘うこともある。そしてそのことに悲観的になることよりも、もっと前向きに使っていくことを考えていくべきである。同じようにグーグルの検索も使い方しだいである。私たちはメディアをおろかに使うか、賢く使うかで人生の豊かさも違ってくる。


ブログパーツ