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オリジナルとメディア

映画館での盗撮、懲役最高10年か罰金1000万円に--盗撮防止法成立によると

これまで、映画館での盗撮をめぐっては、著作権法の定める“私的使用目的”にあたり、盗撮行為そのものを取り締まることができなかった。
という。

あれほど映画館で「海賊版撲滅キャンペーン」を流していても、法律がなかったのだ。ようやく映画業界の悲願が達成された感じだ。2007年1月のIT mediaに「映画が盗まれている」という記事があった。

米国では盗撮がみつかると、家庭娯楽著作権法に基づき25万ドル以下の罰金または3年以下の懲役に処される可能性がある。しかし、日本の著作権法は盗撮に対し無力だ。映画館で三脚を立ててビデオ撮影していれば罰せられて当然と思えるだろうが、現行の著作権法は、家庭や限られた範囲で個人的に楽しむ「私的使用」なら、承諾を得なくても複製が認められる。つまり、商用目的でなければ映画館で盗撮しても法によって罰せられないわけだ。

映連は、これまでに大都市圏などの複数の映画館で、ビデオカメラによる盗撮を制止したことがあるという。だが、その都度、「家で待つ両親に見せたい」、「子供に見せるため」などと言い訳され、営利目的であることを認めたケースはなかった。

メディアの歴史を探ると、オリジナル著作物の著作権とメディアの戦いの歴史でもある。僕は「テレビの未来を想像しよう」というタイトルでソニーのビデオ訴訟に触れている。
かつてテレビ番組は、決まった時間にテレビのブラウン管(ディスプレイ)の前に座らなければ見ることはできなかった。それがビデオのおかげで見ることができるようになった。ソニーがアメリカにビデオ(ベータ・マックス)を売り込んだとき、こんな広告を出した。

「コロンボを見ていても、これさえあればコジャックを見逃すことはなくなります。その逆もありません」(「映像メディアの世紀-ビデオ・男たちの産業史」佐藤正明著/日経BP社)

1970年代当時、「刑事コロンボ」と「刑事コジャック」はNBCとCBSが毎週水曜日の夜9時に放送していた。制作は両番組ともユニバーサル映画である。やがてユニバーサルはソニーを提訴し、1984年の連邦最高裁まで行ってしまう。最高裁で辛くも5対4でソニー側が勝訴することができた。その数年の間に、アメリカの映画会社は考え方が変わっていった。「著作権で守られた番組をコピーするとはビデオはけしからん」ということから「ビデオは金になる」ということへと。映画制作の膨大な資産も見てくれなければただのゴミである。映画館やテレビ放送で流しても時間は限られている。ビデオソフトとすれば即金となるのだ。現代の映画制作では映画館収入で制作費を取り戻すことは出来ない。必ずビデオ収入も予算に入っている。こうしてビデオメーカーと映画会社の共存共栄が図られた。このとき私たちは「いつでも」テレビ番組を見ることができるようになった。

ビデオはオリジナルを複製するが、視聴者にとっては貴重な時間を有効に使うことができるようになった。このソニーが裁判で獲得した「私的使用」の権利は、メディアの発達を促したと同時に様々な軋轢を生む結果となった。

ビデオだけには限らない。パソコンにしてもそうだ。パソコンはオリジナルのコンテンツをコピーし切り取り編集して保存する。 特に、インターネットが普及してからその頻度は爆発的に増大する。YouTubeの様々な訴訟、画像チャンネルの社長逮捕など、「リンクで逮捕・怖い話」で述べたとおり、悪意に満ちた投稿者にプロバイダの管理者は戦々恐々である。

いわばオリジナル著作者にとってパソコンは不倶戴天の敵であるが、一方では自分たちの著作物を宣伝してくれるなくてはならない友でもある。この視聴者の便利か、著作者の権利か、メディアが発達する限り永遠続く問題である。
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