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素人だから言えることもある

緩んだ箍(たが)は締められる

箍【たが】


おけの周囲にはめる、竹や金属で作った輪。

【用例・作例】
・箍がゆるむ
1.(年をとったりして)しっかりした所が無くなる。
2.当初有った緊張(した空気)が無くなる
・箍をはめる
行動の自由を束縛する
・箍を締める
気持や規律を引き締め直す

 インターネットの自由はどこまで認められるか。たとえば、グーグルマップの「Street View 」では、
「難しい分野だが、公共の場所は公共の場所だという事実は否定しようがないようだ。公共の場で写真を撮ることが違法になるような環境は作り出したくない。何かを見ることができるよりも、見られない方が危険なこともある」
 見られたくないと抗議することが問題か、それとも公共の場所でそんな行為をしたほうが問題かというわけだ。どうしても、不特定多数VS個人の問題にとらわれて、監視されることになれっこになってしまっているのではないか。

グーグルの語る地球監視社会」の

「人々は、記録が残る世界で生活しているということについて、今よりもはるかに注意深くなるだろう」と述べた。いたるところにカメラがある、ということにも気を配る必要があるだろう。Schmidt氏は「常に、何らかの形でメディアに露出していることになる。誰もが携帯電話を持つようになり、携帯電話にはカメラがついているわけだから、誰もがカメラを持っているということになる。誰もがデジタル写真のカメラマンなのだ」
 この10年、インターネット世界という新たな世界が出現し、人々はその空間こそ最後の理想郷だと感じた。リアル世界に窮屈に押しひしげられた人間たちは、バーチャル世界に希望を見出したのかもしれない。人々は、その世界では何でもできると感じた。かつて世界探検がはやっていた時代、世界は無限であり、暗黒大陸アフリカを植民地化したように。

 だが、インターネットにいたものは、同じ人間だった。匿名としいう仮面をしていたが。行き過ぎた自由は、他人の自由を阻害する。これはリアル世界でもバーチャル世界でも同じだ。

 モラルの崩壊が叫ばれると、法の規制が求められる。だが、そのことは自分たちの自由を制限することに気づかないのだろうか。グーグルマップが道具であるのと同じく、法律も道具である。あくまでも、人間が善用することが前提なのだ。

 人間自身に自浄作用がなければ、法律で取り締まるしかない。緩んだ箍では桶は役に立たない。行き過ぎた自由は国家を破壊する。だから、緩んだ箍は締められる
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