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地デジが生まれた本当の理由(読者ブログ版)

政府と地デジチューナー

 政府の情報通信審議会の答申「5000円以下の地上デジチューナー、2年以内に発売を」に対し、家電メーカーは難しいと返答したという。(IT media)あと4年でアナログ停波の期限がくるのである。メーカーとしては、できると返答すれば、たちまち2年間地デジの普及が遅れることになる。これは買い控えを防ぐためにも返答しづらいことだろう。なお、誤解している人もいるだろうが、チューナーをつけたからハイビジョン放送が見えるわけではない。対応した薄型テレビが当然必要である。また、UHFアンテナも必要だ。放送される電波の帯域も変わってくるからだ。つまり、デジタルの信号をとりあえずアナログに変換し、アナログテレビでも見られるチューナーということであり、アンテナをつけなければ見ることすらできない。

 これは、「u-Japan政策の理想と現実」にも書いた「地デジチューナー、低所得者に無料配布・政府と与党が検討」の第一段階かもしれない。無料で配布ということは、国が財政支援ということは、税金からだろうか。そうなると、自己負担で地デジを見ている視聴者との関係は不公平になってくるが。それを抑えるために、冒頭の五千円以下という記事があり、税金を使うことを抑えようとしたと見ることができるが、政府主導で価格を決めるのはこれまた問題になってくるはずだ。ともかく、政府としては2011年7月14日までに地デジを100パーセント普及に持って生きたいとする決意の現われなのだと思う。

きっかけはNHK

 さて、現在サーバーの関係でオリジナルの「地デジが生まれた本当の理由」にリンクが不可能になっている。そこで一部を再録した。

 メディアが変わるときはいつも供給側の都合である。決して需要側の要望を受けたものではない。たとえば、レコードがCDに変わったときも、レコードの売れ行きが落ち、ある程度いきわたってしまったためであり、これ以上需要を掘り起こせなかったからである。レコードを手に入れたものは、また同じレコードを買おうとは思わない。CDになれば、また同じ曲であっても買ってくれる。映画においても同様である。DVDが一通りいきわたると、今度は安売り合戦が始まっている。数千円で売っていたものが今では千円以下で手に入れることもできる。したがって、ブルーレイディスクやHD DVDで同じ映画をもう一度高く売ろうと考えるのである。

 さて、地デジが生まれたわけである。これは、アメリカにNHKのハイビジョン(アナログ)をデモしたときから始まる。

1988年のある蒸し暑い日に米国を襲ったパニックは、映画のスクリーンのように幅広い画面に驚くほど鮮明な画像を映し出す。現実に起こるとは思ってもいなかった新しいテレビの脅威によって引き起こされた。それはHDTV(高解像度テレビHigh-Definition Television)と呼ばれていた。この新しい驚くべき発明をしたのは日本であり、日本のメーカーはまもなく製品を市場に出すつもりだったが、米国には、それに匹敵するものはおろか、それらしいものさえ存在していなかった。『ニューヨーク・タイムズ』は「米国がHDTVの競争に加わらないのは、広大な市場を放棄するに等しい。しかし、もうすでに遅すぎるのかもしれない」と、米国の失敗を社説で非難した。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー
 つまり、アメリカではHDTVの陰も形もなかったのに、日本のNHKがHDTVをひっさげてきたものだから、驚いたのだ。このままでは、日本のメーカーにテレビ業界や家電業界を引っ掻き回されるに違いないと考えたのも無理はない。

 ところで、NHKがハイビジョンの研究を始めた理由だが、

 視聴者の受信料で成り立っているNHKは、日本中のほとんど全世帯が加入したあとは大幅な収入の伸びは期待できず、人件費の高騰や設備更新のために資金の余裕がなくなる。それを打開するには、ハイビジョンなどの付加価値の高いチャンネルを新たに確保して別料金として新たな収入を確保するか、世界的なネットワーク化に対応してエリアを広げるか、ソフトを輸出するなどして再利用して生き延びるしかない。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー
 一方アメリカでもNHKを呼んだのはわけがあった。
 物語は1986年に始まる。ケーブルテレビに市場を奪われ、さらに未使用だったUHF帯の電波を移動体通信に取られそうになった米国のテレビ業界が、「将来はHDTVという高解像度テレビを放送するのでチャンネルを確保したい」という口実を思いつく。しかし、その時点で、高解像度テレビが証明できるのは日本のハイビジョンだけで、放送業界のお家の事情が説明されないままNHKが招かれる。(ジョエル・ブリンクリー著/浜野保樹・服部桂共訳「デジタルテレビ日米戦争-国家と業界のエゴが『世界標準』を生む構図」アスキー
 最初は電波の確保の言いわけのために呼んだのに、それがあまりにも素晴らしかったのである。まるで逆黒船である。そこでアメリカはNHKに難癖をつける。いわく、現行のテレビと互換性をつけろ(NHKのハイビジョンは放送衛星を使っているため地上波では放送できない)、デジタルにしろと言い出した。そのため、NHKはアナログハイビジョンの世界標準化をひっこめ、デジタル化の道をひたすら進むことになった。

 いわば、NHKの独自で研究してきたハイビジョンが世界のテレビ放送のデジタル化をいっそう進めるパンドラの箱を開けてしまったのである。

民放の延命策

 UHFは波長が短いのでVHFに比べて多くの電波の中継塔を建てなければならない。またスタジオのカメラからドラマに使う衣装までハイビジョン撮影のために新調しなければならず、局の費用は膨大になる。特に、ローカル局はキイ局から支払われるネット料(またはネットワーク料。地方局に配分する電波料)や事業収入(地方のイベント収入)しかない。

 このネット料が奇妙なのは、キイ局が制作した番組をローカル局が流すだけでキイ局から支払われるのである。しかも、その番組には地方CMがつくから地元のスポンサーからの広告収入が入る。ローカル局がいつまでたっても番組制作力が上がらないのはこのネット料のせいだといわれている。

 各県にこのようなローカル局があるのはなぜか。それは、地元の政治家と結びついているからといわれる。

 池田信夫氏の「電波利権(新潮選書)にこうある。

 ネットワークの拡大に伴って、(新聞とテレビが系列化されたように)政治家も系列化された。地方民放は「政治家に作られた」といってもよいため、経営の実権を握っているのが経営者ではなく、政治家である例が多い。政治家にとって見れば、地方民放は資金源としてはたいしたことはないが、「お国入り」をローカルニュースで扱ってくれるなど宣伝機関としては便利なのである。各県単位で地方民放の派閥ごとの分配が行われ、政治家も系列化された。

(中略)

 かつて業界には「炭焼き小屋」論というのがあった。全国放送が衛星で行われるようになれば、地方局は炭焼き小屋のような無用の長物となってしまうという話である。これを恐れた地方民放は、既存のネットワークを温存したまま丸ごとデジタル化することを政府に求めたのである。

 池田氏の論調からすれば、電波や放送を管理するのも政治、命令するのも政治、ローカル局に結びついてるのも政治である。NHKならず民放までも政治に骨の髄まで食い荒らされている感もある。

本当に2011年7月にアナログは停波するのか

 池田氏はとても不可能だという論調(2016年までかかる?)だが、停波せざるを得ないという人物もいた。メディア評論家の西正氏である。「2011年、メディア再編」(アスキー新書) から。
 2006年に全国の都道府県で地デジの電波が発信されたわけだが、2011年までの間は、アナログとデジタルのニ波を使ってまったく同じ番組を放送しなければいけない。アナログからデジタルへの移行期間中には、そうしたサイマル(同時)放送が義務付けられる。これはローカル局にとっての負担をさらに重くする。

 民放は広告収入で成り立っている。スポンサー企業からすると、アナログとデジタルのニ波で送られていようと、その分の広告費まで支払うことなどありえない。収入はあくまでも一波分だけである。デジタル化投資だけでも厳しいのに、サイマル放送期間が長引けば、民放ローカル局にとっては、本当の意味での死活問題になりかねない。それを救うためには、2011年のアナログ停波は必須なのである。

 ともかく、地デジの電車は出発してしまったのだ。そして私たちは乗ってしまったのである。いまさら、金を返せといっても返してくれないだろう。それなら精一杯地デジを楽しむだけである。
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