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素人だから言えることもある

欽ちゃんの決断(24時間テレビマラソン版)

 NTVの24時間テレビに萩本欽一がマラソンで走っている。66歳の彼がなぜそんな無茶なことをと思う。「元気な欽ちゃんに会いたい」という彼の言葉があった。そういえば、かつて「欽ちゃんの決断」という文章を書いたことがある。これは、極楽・山本の事件のとき、彼の監督する「茨城ゴールデンゴールズ」を解散すると発表したときだった。それを再録する。

 コメディアンの萩本欽一氏(欽ちゃん)が、自分の監督する野球チーム、茨城ゴールデンゴールズの解散を表明した。読売新聞によれば

野球の社会人クラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」のメンバーでお笑いコンビ「極楽とんぼ」の山本圭一さんが未成年者とみだらな行為をしたことに対し、同球団の監督を務めるタレントの萩本欽一さんは19日、都内で会見し、同球団を解散する意向を明らかにした
 という。プロだったら、たった一人の不祥事でチームが解散するなんてありえない。高校野球でも出場辞退程度である。それなのになぜという疑念が沸き起こる。それほど野球を神聖化したのか。

 しかし、その晩、教育テレビで欽ちゃんの出ていた番組のタイトルが気になった。それは、「ダメな奴なんていない」というタイトルである。NHK教育の「知るを楽しむ・人生の歩き方」というシリーズである。さっそく、テキストを手に入れた。野球チームはこんないきさつで誕生したという。

 僕は2005年の春から、茨城ゴールデンゴールズというクラブチームの監督をしています。

 野球そのものについては素人だし、僕自身、何も野球人になろうと思ったわけじゃありません。でもね、このところ野球がダメだ、ダメだって言われてるから、せめて僕がコメディアンとして成功したことを、野球の中に持ち込もうと思ったんです。(「知るを楽しむ・人生の歩き方」06年6月7月号/日本放送出版協会)

 その理由は
 野球は最近ダメだ、元気がないって言われてます。でも、ダメだって思った段階で、もうダメでしかなくなるんですよ。僕は「ダメなところにこそ、運がたまっている」と思います。ダメなものはダメって、大人がすぐ壁を作っちゃうような世の中じゃ、子供たちも夢を持ちようがないでしょ?子供は大人に夢を求めていますよ。(「知るを楽しむ・人生の歩き方」06年6月7月号/日本放送出版協会)
 つまり「ダメなところにこそ、運がたまっている」からだという。欽ちゃんがそう思っているにはわけがある。実は、欽ちゃんも(コント55号結成前)またダメなコメディアンだった。
 緑川(士朗)先生(当時、欽ちゃんが所属していた浅草東洋劇場の演出家)に呼ばれて、「師匠(池信一・コメディアン/欽ちゃんの師匠)が来たよ。あいつは面白くもないし、才能もないかもしれない。だけど。いまどきあんないい返事をする子はいない。返事だけでここに置いといてくれ、と言われたよ」

 「おまえのようなダメなやつを、辞めさせてくれるなと言ってくれる人がいると言うことが大事なんだ。応援してくれる人が誰か一人でもいれば、この世界はやっていける。ずっとやってろ」と緑川先生は言ってくれました。(「知るを楽しむ・人生の歩き方」06年6月7月号/日本放送出版協会)

 僕が「運」にこだわるのは、自分がたいしたコメディアンでもないのに、有名になれたから。これは不思議なことだし、運だったと思ってるんですよ。それも、みんな人が運を持ってきてくれました。「コント55号」でも二郎さんが運を持ってきてくれたんです。

 自分一人で成功する人を天才といいます。それは十人のうち一人いるかいないかくらい。あとの九人は、誰かが運を持ってきてくれた人です。芸能界などは、みんな運でしょう。

 よく努力すれば運がつかめる、向こうからやってくると言いますよね。でも、努力しても運は生まれないです。逆に努力していると、神様は寄ってこない気がします。努力が無駄になったときに、初めて運が来るという感じ。(「知るを楽しむ・人生の歩き方」06年6月7月号/日本放送出版協会)

 思い出してほしい、昔、「欽どこ(欽ちゃんのどこまでやるの)」という番組があった。欽ちゃんがお父さんで、欽ちゃんそっくりの見栄晴と三つ子ののぞみ・かなえ・たまえという姉妹が生まれた。その長女役の女優が事件を起こし、番組に出られなくなった。しかし、欽ちゃんは代役を立てず、ときおり彼女と電話で話した。結局、番組に再登場は果たせなかったが、三つ子は二人のままだった。つまり、一番ダメな長女を見捨てることはできなかったのだ。彼女が復活すれば新たな運をもたらしたはずなのに。

 欽ちゃん流に考えると、今一番ダメな人間は極楽・山本である。誘惑に負けたからだ。ダメ人間には運がたまっているから、山本だけをスパッとは切れない。なぜなら、切った瞬間、チームとしての運が消えてしまうことも考えられる。それに彼がチームに復活すれば新たな運を持ってくることも考えられる。だが観客はそれを許さないだろう。だから、チームの解散宣言をしたのだろうか。「彼の復活まで見届けなければ」という言葉にそれが表れている。しかし、悪くもないのに解散させられるメンバーもまた気の毒だ。おそらく、欽ちゃんは今、そのことで悩んでいる。まわりの感情と違うところで。

 欽ちゃん流に考えていけばこうなる。

 世の中には3種類の人間がいる。いわゆる天才で、自分の運を使って、バリバリ仕事をしていくタイプ、多くの人間は他人から運をもらってどうにかこうにか生きていくタイプ。そして残りは、自分の運はもうなくて、他人から運ももたらされない何をやってもダメなタイプ。このダメな人は、ちゃんと運をためているのに、その使い方を知らない。運を持ってくる人がいないため、芽が出ない。このダメな人が増えている。さらに一番大勢の何とかやっていくタイプもダメな人になっていっていると感じている。いわゆる格差社会というやつである。

 そこで欽ちゃんは考えた。このダメな人を集めて火(運)をつければ、本人の運も開けるのではないか。これがラジオで初めたチャリティーであり、テレビでも始まった。そして、茨城ゴールデンゴールズであった。職業野球のような勝つために選手を集めるのではなくて、お客を喜ばすためのエンターテイメント野球である。このチームを見て、観客たちにも元気になってほしい。自分たちにもできることがあるのだと気がついてほしい。

 そんな時、今度の事件が発覚した。管理が甘かったといえばそうなのだが、彼らとて大人である。自分の責任は自分でつけるべきである。そんなことよりも「野球に失礼」という言葉が語っているように、チームの人気を自分の個人的目的に利用する態度が許せない。ただ、だからといって彼を単純に切ってしまえば、他の職業野球と変わらないではないか。ダメな人を救うためにできたチームなのに、そのダメな人を切ってしまったら何のためのチームだろう。そこまで思い描いて「解散」の言葉が出た。

 しかし、このとき切られる側の人間は何を思うだろう。「解散なんてやめてくれ。みんなに恨まれる」というのではないか。みんな。そう、みんなを忘れていた。このチームを生きがいとして頑張ってきた選手や町の人たち。彼らの一人ためにだけでも存続させるべきだ。「応援してくれる人が誰か一人でもいれば、この世界はやっていける。ずっとやってろ」この緑川先生の言葉が欽ちゃんの心に響いた。

 そう、欽ちゃんは見ている人を元気にさせるために、走っている。なぜなら、この24時間テレビに集うタレントたちは、欽ちゃんに元気をもらった人たちばかりだからだ。
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