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素人だから言えることもある

誰がアメリカに鈴をつけるか

 8月15日の終戦記念日、テレビを見ていて、思わず想像してしまったことがある。NHKの「日本のこれから」、テーマは憲法第9条だ。護憲派は、憲法を変えると、アメリカの言いなりになるのではないかと恐れ、改憲派は、アメリカ製の憲法をやめて自主憲法を作りたいと願う。まるで、アメリカという強大な猫を前に怒らせずに鈴をつける相談をしているねずみのように。

 日本は唯一の被爆国である。だったら、なぜアメリカに謝罪を求めないのだろう。今回は8月もまもなく終わるので改めて終戦について考えてみたい。僕は「なぜ戦争をなくせないか」というタイトルで論じたことがある。その採録である。

 戦争の記憶のほとんどは犠牲者の記憶である。したがって日本が原爆投下による被害を訴えても、アメリカはパールハーバーによる奇襲の違法性を訴える。第二次世界大戦を起こしたのは日本であり、原爆投下で戦争を終わらせ、日本人の生命を救ったのはアメリカである。日本側は「反戦」を訴え、アメリカは「正戦」を訴える。

 戦争についての、この二つの見方を一般化すると、どんな議論になるだろうか。もし、戦争を始める国家があるから戦争が起こるのだと考えれば、その国家を脅し、抑止することで平和が成り立つ、という判断が生まれる。他方、戦争を遂行する手段がある限り平和が訪れないと考えれば、兵器による相手の抑止ではなく、兵器の放棄によって平和が実現することになるだろう。

 これは、憲法第九条とそれをめぐる論争にふれてきた日本の読者には、ごくおなじみのパラドックスである。日本国憲法の定める戦力不保持の原則と、日米安保条約を含む、「力の均衡」に基づいた国際秩序の維持との関係が、「平和主義」と「現実主義」の対抗というかたちで、繰り返し問われてきたからだ。その中心は、武力によって平和が保たれるのか、武力こそが平和を壊すのか、という判断の対立であった。(藤原帰一著「戦争を記憶する・広島・ホロコーストと現在」講談社現代新書)

 1991年当時の広島市長はその著「希望のヒロシマ・市長はうったえる」(平岡敬著・岩波新書)の中で
ヒロシマ思想のひ弱さ

 日本が戦争責任に関して、国家として歴史的な総括をせず、歴史認識について国民的合意がないまま「戦後五十年」を迎えてしまったことは、ヒロシマにとってまことに不幸なことであった。国家が戦争責任や歴史認識をあいまいにしているために、ヒロシマはその責めを一身に引き受け、“身を屈して”自らの被害の深刻さと核兵器の脅威を訴えねばならないのである。

 確かに、日本軍はアジア・太平洋地域で数々の残虐行為や虐待を行った。それは日本人の選民意識を育てた教育や、人権思想の欠如、戦場での異常心理などが大きな原因であったし、私たちはそのことを人間として恥じ、率直に反省し、謝らなければならない。だからといって、それを広島・長崎への原爆投下と同じ次元で論じては“因果応報論”になってしまう、というのがヒロシマの思いである。残虐行為も許せないが、原爆投下は人類の生存を左右するような行為なのだから、悪者には核兵器を使ってもよいという理屈だけは認めるわけはいかない——このあたりの関係を説明するのはかなりやっかいである。

 換言すれば、「悪いことをしたのだから、原爆を落としてもよい」という論理は、ものごとを自分たちの都合のよい観点から解釈し、利用することになる。米国政府が広島・長崎への原爆投下を正当であったと考えることは、現在においても同じような状況となれば、米国流の「正義」によって核兵器が使われることを意味する。そこでは、私たち人類に核兵器の脅威をもたらした責任はまったく問われないのだ。

 アジアの人たちはよく「原爆によって日本の軍国主義は倒れ、私たちは独立できた」と、原爆の使用を評価する。これは日本を降伏させるためには原爆が必要だったとする米国の原爆観の投影だが、民族独立の要因を求めていくと、日本の「大東亜戦争史観」信奉者と通底する危険性をもってしまう。この複雑なからみあいをほぐし、核兵器否定論を構築することが「戦後五十年」の仕事の一つであったろう。(平岡敬著「希望のヒロシマ・市長はうったえる」岩波新書)

 それなら私たちはきちんと歴史認識の教育を受けたであろうか。実は、2年前の8月15日にアジアの中の日本というタイトルで「日本のこれから」があった。それはこのとき書いた「8月15日に思うこと」から採録してみよう。
 ともかくわかったことは一つある。中・韓に比べて、日本の若者たちに対し十分な歴史教育がなされていないということだ。町村外務大臣(2005年)が言っていたことだが、近・現代史の授業は教師の思想があらわにされるので、うやむやにされるという。おそらく日教組の体質について言ったのだろうが、マルクス・レーニン主義がどうとかこうとか言っていた。

 逆に言えば、この近・現代史は解釈によってどうとでもとれるということだ。事実、自分の時代でも明治や江戸時代まではみっちりやってきた。しかし、この近・現代史はさらっと教科書を読んだだけである。教師は一言「ここは試験に出ないから」といった。そのときはなぜでないのだろうかと考えたのたが。今になってわかったことは、教師によって解釈の分かれる範囲が統一試験に出るわけがないのである。そして卒業して何年もたつのにいまだに改善されている雰囲気ではないようだ。

 結局、歴史認識の違いが問題になっても、日本側がうやむやなのはここに問題があったのだ。決して教科書の問題ではない。もとより教えられていないのが問題なのである。それなら家族から教えられてきただろうか。おそらく家族は学校で教えられていると思っていたのではないか。学校と違うことを家族で教えると子供が混乱するとでも思っていたのかもしれない。しかし、学校の立場と家族の立場はまったく違う。両面で教えられて改めて立体的に記憶することが出来るのである。

 思えば、「メディアは屈折する」で、安倍首相は謝罪から始めたことで大きな誤解を生んだ。しかし、日本の平和団体も多くが先の大戦の謝罪から始まったはずである。そのことが、返ってアメリカに対する要求を弱めてしまう効果となる。だから、第9条論議もアメリカの顔色を伺いながらという始末になってしまうのだ。その理由は「日本が戦争責任に関して、国家として歴史的な総括をせず、歴史認識について国民的合意がないまま戦後62年を迎えてしまった」結果なのである。
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