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素人だから言えることもある

事件は現場で起こっているのではない、閉鎖空間で起こっているのだ

 「事件は会議室で起こっているのではない、現場で起こっているんだ」といったのは、「踊る大捜査線」の青島刑事だが、「現場」は事件の起きた場所であり、その「現場」をなくさなければ事件は防げまい。最近の事件や犯罪は、どうも「閉鎖空間」で起きているように見える。

 たとえば、相撲部屋やカルト宗教のリンチ殺人。これらは、世間から見えない閉鎖された空間である。また、相次ぐ公務員の汚職。これもまた、世間とはかけ離れた日常から起こっているようだ。そこでその特徴をあげてみる。

(1)社会から離れた場所で起こり、世間から見えない。

 多くのカルト宗教が、山奥にこもっているのは、世間の誤った思想で汚染されるからという建前があるが、外との交流を断つことによって指導者の力が強大になり、階級組織が作られる。オウムなどのように、指導者の思想によっては、世間を攻撃対象にすることもある。

(2)当事者はその社会にどっぷりつかっており、逃げられない。

 そのような階級が、お互いに監視しあい、絶えず緊張関係が作られる。逆に、規律が乱れると、モラルが低下する。先輩の犯罪行為が、自分の好意も認められるに違いないと考える。どこまでが犯罪か、どこまでが許されるかの規範が見えなくなる。

(3)社会が彼らを拒否するイメージが作られる

 事件の報道がされると、ますます部屋の中にとじこもったり、かつての仲間と連携をとったりする。また、指導者はそのことを利用して逃げにくくする。

 そのような見えない場所、世間から隔絶された場所は、勢い犯罪の温床になりやすい。

 立正大学小宮信夫助教授の「犯罪は『この場所』で起こる」によると、

 犯罪のほとんどは、二つの基準が満たされた場所で起きていることが、欧米の最近の研究から分かってきた。その一つは「入りやすい場所」であり、もうひとつは「見えにくい場所」である。だれもが「入りやすい場所」では、犯罪者も怪しまれずに「ターゲット」に近づけて、犯行後に逃げやすいから、犯罪が起こりやすくなる。また、周りから「見えにくい場所」も、犯罪者がひそかに隠れることができ、反抗が発見されにくいから、犯罪が起こりやすい場所である。(小宮信夫著「犯罪は『この場所』で起こる」光文社新書
 このような事件が起こるのは、一つ一つのコミュニティが世間から分断されることによっておきる。小宮氏はこう言う。
 日本の低犯罪率を支えてきた基盤については、島国といった地理的条件、低い失業率といった経済的条件、高い職業倫理といった刑事司法的条件など、様々な事が指摘されてきた。

 しかし、欧米諸国に比べて並外れた安全を日本が享受できた理由は、日本と欧米諸国との間で最も大きな相違が認められるところにあるはずである。とすれば、それは、日本社会の特徴として指摘されてきた集団志向性、つまり、日本人のライフスタイルが個人よりも集団を重んじてきたことであると考えるのが自然である。

 要するに、日本人は、家族、学校、会社、町内会といった集団と一体化することによって安心感を得てきたが、それと引き換えに責任を担わされ、この所属集団に対する強烈な義務感が、日本の低犯罪率を支えてきたと考えられるのである。

(中略)

 しかしながら、最近では、日本人のライフスタイルが集団よりも個人を重んじるようになってきた。そのため、かつてのように、家族、学校、会社、町内会といった集団が、強烈な義務感とそれに見合うだけの安心感を構成員に持たせることも難しくなってきた。

(中略)

この動向は、個性化、個人化、自由化などと呼ばれている社会の流れであるが、集団志向が日本的であるとすれば、この動向は欧米化ということができる。

 日本人のライフスタイルが欧米化すれば、日本の犯罪発生率が欧米諸国の水準に近づいていくのも当然の成り行きである。集団の求心力が弱まれば、ささいなルールが軽視されるようになり、そのため、犯罪という重大なルール違反に至るまでの道のりも短くなってしまうからである。(小宮信夫著「犯罪は『この場所』で起こる」光文社新書

 この個人主義偏重が、社会とのつながりを失わせてきているのだ。思えば、閉鎖空間は山奥のカルト宗教や相撲部屋ばかりだけではない。格差社会といわれる時代、様々な閉鎖空間があちらこちらでできている。完全に孤立したくないので、ネットを通じてつながったり、より強烈なカリスマ性を持った人に身を寄せようとする。会社でも、地域でも、隣近所でも、多くの閉鎖空間が生まれている。そこが「入りやすく見えにくい場所」となっている。
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