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素人だから言えることもある

ケータイホームレス・さまよえる日本人論(3)

日本沈没」の結論

 渡老人によれば過去の栄光にしがみつく「つまらん民族」になるか、明日の世界の「おとな民族」になれるチャンスだという。第二部ではこの二つの考え方が中心となる。

 一つは、日本人には国土という集約されたよりどころが必要だとする中田首相の国家主義(ナショナリズム)。渡老人が言う「小さな“国”」とは、メガフロート(人工浮島)計画として実現されようとすることを暗示している。メガフロートでは500万人規模の日本人を沈没した日本列島の上に築こうというものである。たしかに、国土を失った日本人にとって新たな国土は希望の土地となるかもしれない。だが、しょせん、7000万人の難民に対して500万人では、結局混乱のもとになりかねない。

 もう一つは各地に分散した今こそ、それぞれの場所で日本人の本来持っている経験則から国家や土地に縛られない生き方を模索する世界市民主義(コスモポリタニズム)を主張する鳥飼外相。

  この物語は、ユダヤ人の迫害とイスラエル建設の歴史を髣髴(ほうふつ)とさせる。現在のイスラエルは戦争が絶えないが、鳥飼外相は、イスラエル建国以前の各地に散らばるユダヤ人の姿に世界市民主義(コスモポタリズム)が色濃く残っているという。

中田首相「外務大臣は、日本の誇りにこだわるべきではない、といいたいのかな。かつて日本のあった海域を、他国に蹂躙されることも耐え忍ぶべきだと」

鳥飼外相「そう考えていただいて結構です。誤解をおそれずにいえば、愛国主義(パトリオティズム)やナショナリズムも捨てるべきです。そんなもので共同体を維持できるのは、せいぜい三世代……おそらく百年までです。それをすぎて四世の時代になると、急速に現地化が進むものと考えられます。

 それよりは、利潤追求型のコスモポリタニズムに移行するべきでしょう。ユダヤ人はこの考え方で、二千年を生きのびました。必ずしも彼らのやり方にならう必要はないですが、早い段階で我々の文化遺産を形に残しておくべきではないでしょうか。

( 中略)

そもそも……コスモポリタニズムの起源は、古代の貿易商人……ことにフェニキア人に求めることが可能です。彼らは都市国家(ポリス)の法に束縛されず、地中海沿岸の各地に拠点を持って活動していました。そしてその生き方は、ユダヤ商人にも受けつがれています。 情報収集能力にすぐれた彼らは、利にさとく商機を逃しません。自己防衛のために財産を複数の拠点に分散し、必要とあらば交戦国の双方に物資を売りつけることも厭わなかった。その結果ポリスが滅びても彼らは痛痒を感じることがない。新たな拠点に逃れて、また活動をすればいいからです。 お分かりでしょうか?日本人の特異さ……均質でありながら内部に別組織を抱え込み、時には国家よりも帰属する組織の利益を優先する点は、コスモポリタニズムにこそふさわしいのです。国際主義(インターナショナリズム)や地球主義(グローバリズム)ではなく、ましてや愛国主義(パトリオティズム)や国家主義(ナショナリズム)でもない。そのような枠組みで、自分たちの行動に枠をはめるべきではないのです。 まして我々の同胞は世界中に分散しています。この好機をとらえてコスモポリタニズムに移行すべきではないでしょうか。総理が考えておられる『非定住日本人の再編計画』にも、同じ理由から同意できません。国家や土地に縛られることのない生き方を、これからの日本人は模索するべきなのです。

( 中略)

先ほどネガティブな部分ばかりを強調しましたが、コスモポリタニズムには別の側面もあります。宇宙(コスモス)から地球を俯瞰する視点を、この考え方は持ち合わせているのです」(小松左京・谷甲州著「日本沈没 第二部」小学館

 「ホーム」を作るには二種類の考え方がある。(この場合、家族と言う「ホーム」ではなくて、所属する会社や国という大きなイメージだが)既存の大きな「ホーム」に所属するのか、自分が「ホーム」の核になるのか。世界中に散らばった日本人が、再びかつての日本の海上に浮島を作る。これは確かに壮大な計画だが、結局、また同じように従順な日本人が集まってくるに過ぎないだろう。それよりも、一人ひとりが世界各地に「ホーム」を作ることこそ、大切なのではないか。

  大企業に属することも、ブランドや外見にこだわっている点で、国家や土地に縛られている中田首相の考え方と同じである。多くの「愛国心」が陥っているのは、「誇り」とは取り戻すことだと思っていることだ。過去の栄光に依存し、過去のよい面だけを見て、悪い面だけは見なかったことにする。はたして、それで「ホーム」を築くことができるのか。むしろ、過去の「誇り」は捨て去り、新たな 「誇り」を自ら作り出す必要があるのではないか。確かに、ゼロからはじめる苦労は想像を超えている。さて、近年公開された「日本沈没」は原作のどちらもとらなかった。なぜなら、技術の力で日本沈没を押しとどめたのだから。

 私たち日本人は、日本という国家や家族、友達、会社、そのときその時の流行などありとあらゆるものに縛られている。縛られている一方、一面ではそのものに依存しているのではないだろうか。もし、その依存していたものがあるとき突然なくなってしまうとしたら、あなたはたった一人でもたくましく生きていけるだろうか。依存しているぬるま湯の世界から、突然解放されるとしたら。その世界が想像もつかない世界であっても。
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