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素人だから言えることもある

2007年とは何だったか。そして2008年はどこへ向かうのか。

過去の経験が役に立たない社会

 インターネットが普及するにつれて、本来限定されていた地域のみで成り立っている経済活動がより世界にグローバル化する。そのため、時間と距離が超越され、どんどん世界がフラット化し始める。そうなると、私たちは、コストカット競争をするか、まったく新しい職業を見出すかしか方法がなくなる。コストカットには限界がある。日本国内では、物価が高いために、人件費を抑えるためには海外(中国やインドなど新興国)に、どんどんアウトソーシングするしかない。しかし、その結果、国内では人々の職業が奪われる一方、職についても過労死直前まで働かされる「格差社会」が生まれる。

旧世代を懐かしむ流行

 映画「ALWAYS三丁目の夕日」や「東京タワー」など、昭和30年代の高度成長社会を懐かしむ映画が流行したのは、かつての「貧しくても家族や地域社会があった」という時代への回顧(「集団就職」など東京一極集中始まりの時代)ととらえることもできる。また、ベストセラーになったのは「日本の品格」であり、これは、旧世界から新世界への大きなうねりの中のひとつの回顧現象ではないのか。 トフラーは「富の未来」(講談社)の中で「ノスタルジア軍団」という章でこんなことを書いている。
 新しい文明が古い文明を侵食する時期には、二つをくらべる動きが起こるのは避けがたい。過去の文明で有利な立場にあった人や、うまく順応してきた人がノスタルジア軍団を作り、過去を賞賛するか美化し、まだ十分に理解できない将来、不完全な将来との違いをいいたてる。

 見慣れた社会の消滅で打撃を受け、変化のあまりの速さに未来の衝撃を受けて、何百万、何千万の欧米人が工業経済の名残が消えていくのを嘆いている。

 職の不安に脅え、アジアの勃興に脅えているうえ、とくに若者は映画、テレビ、ゲーム、インターネットで暗黒の未来のイメージにたえず接している。メディアが作り上げ、若者の憧れの的とされている「スター」は、街角のチンピラや傍若無人な歌手、禁止薬物を使うスポーツ選手などだ。宗教家からはこの世の終わりが近いと聞かされている。そしてかつては進歩的だった環境運動がいまでは大勢力になり、破局の予言をふりまいて、「ノーといおう」と繰り返し呼びかけている。

 まさに現代社会である。はたして、トフラーの予言どおり、新しい文明が生まれるのだろうか。歴史は、時間がたって見えてくるものだ。その場の当事者には見通すことすらできない。ただ、それを信じて生きるしかない。

 さて、2008年を生きる皆様にとって、2007年は新しい文明を迎えるための「痛み」だったのか、古い文明にすがりつく者の「嘆き」だったのか、そして2008年はどこへ向かおうとしているのか、どのようにお考えでしょうか。


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