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肖像権とフェアユース(紅白歌合戦ブログ実況時代の肖像権・2)

実は肖像権という法律はない

 前項「紅白歌合戦ブログ実況時代の肖像権」に誤りがあったことが判明した。つまり、もともと「肖像権」という法律がないというのである。肖像権Wikipediaにはこうある。
肖像権(しょうぞうけん)とは、肖像(人の姿・形及びその画像など)が持ちうる人権のこと。大きく分けると人格権と財産権に分けられる。プライバシー権の一部として位置づけられるものであるが、マスメディアとの関係から肖像権に関する議論のみが独立して発展した経緯がある。日本では定められた法律はないが、判例の中で認められている。社会的反響が大きい事案で当該肖像が無許諾で使用されることがあるが、これは当該肖像権よりも、公に報道することの方が優越的利益があるからであって、肖像権が無いためではないと解されている。もっとも、その範囲を逸脱した使用や、それに付随する名誉毀損、侮辱などの行為は当然に違法となる。また、公に報道するための優越性の立証の責任も負うこととなる。(Wiki)
 ここで、著作権と肖像権の関係を考えてみよう。たとえば、タレントとカメラマンの関係で言えば、カメラマンがタレントを撮った写真は、カメラマンの著作物であり、著作権がある。一方、タレントの方には、肖像権のみがある。なぜなら、タレントは著作物でないからである。したがって、契約をして週刊誌の表紙に載るのは、当然肖像権者であるタレントと同意したものと考えられる。

 一方で、スクープ写真はどうか。それは、「当該肖像権よりも、公に報道することの方が優越的利益があるからであって、肖像権が無いためではない」からである。しばしば、名誉毀損訴訟で争われるのはこの点である。つまり、法律に規定はされていないが、肖像権は存在することになる。前項「紅白歌合戦ブログ実況時代の肖像権」の�で紹介した削除されたブログの場合、ケータイで撮った写真は、その写真を撮った人間の著作物である。しかし、肖像権の侵害は明確である。しかも、NHKの著作権も侵害している。なぜなら、「紅白歌合戦」を制作・著作しているのはNHKだからだ。もちろん、個人でその写真を持つのは自由である。それは、私的複製の権利なのだから。

フェアユースとベータマックス

 さて、この肖像権と著作権、争ったとき、どちらが強いのか。さきほどの肖像権Wikipediaでは、
 米国においては、被写体の肖像権よりも、写真などの撮影者や、それらを加工した編集者の権利が最優先されるという考え方が一般的である。これは米国憲法修正第1条に定められている「表現の自由・言論の自由」は民主主義の絶対条件であり、「何ごとよりも優先される」という考え方によるものである。このため、写真を左右反転しただけで、「創作物である」と主張する人物が現れた事例がある。
 この米国の著作権法が、肖像権より著作権者により大きな権利を認めるのは「フェアユース」という考え方がある。 「フェアユース」Wikipedia にこうある。
 フェアユース (fair use) とは、アメリカ合衆国著作権法などが認める、著作権侵害の主張に対する抗弁事由の一つである。アメリカ合衆国連邦著作権法107条(17 U.S.C. § 107)によれば、著作権者に無断で著作物を利用していても、その利用がフェアユースに該当するものであれば、その利用行為は著作権の侵害を構成しない。このことを「フェアユースの法理」とよぶ。

 フェアユースの大きな特徴のひとつに、著作物の無断利用ができる場合(つまり、著作権が制限される場合)の規定の仕方につき、私的使用のための複製とか裁判手続等における複製等のような具体的な類型を列挙する方法によるのではなく、抽象的な判断指針を示す方法によっていることがあげられる。

 そして、4つの条件が挙げられている。
1 ・利用の目的と性格(利用が商業性を有するか、非営利の教育目的かという点も含む)

2 ・著作権のある著作物の性質

3 ・著作物全体との関係における利用された部分の量及び重要性

4 ・著作物の潜在的利用又は価値に対する利用の及ぼす影響

 非常に抽象的でわかりにくいが、藤本英介氏の「ネット環境下の著作権と公正利用(フェアユース)」によれば、
 著作権の目的つまり著作権法の存在意義を全うするためには、その手段である著作者・著作権の保護が後退すべき場合があり、フェアユースはこれに根拠をおくという説明ができると思います。アメリカの判例でもフェア・ユースの原則は「著作権法の硬直的な適用が、この法律で育成することを企図している創作力そのものを、時として、抑圧してしまう場合に、裁判所がこれを回避することを認めたもの」などと説明されることがよくあります( Iowa State Research oundation, Inc. v. American Broadcasting cos., 621 F.2d 57 (2d Cir.1980など)。(「ネット環境下の著作権と公正利用(フェアユース)」)
 面白いのは、例に挙げられているのが、ソニーのベータマックス訴訟であることだ。その訴訟については、「オリジナルとメディア」でとりあげたことがある。
 ソニーがアメリカにビデオ(ベータ・マックス)を売り込んだとき、こんな広告を出した。

 「コロンボを見ていても、これさえあればコジャックを見逃すことはなくなります。その逆もありません」(「映像メディアの世紀-ビデオ・男たちの産業史」佐藤正明著/日経BP社)

 1970年代当時、「刑事コロンボ」と「刑事コジャック」はNBCとCBSが毎週水曜日の夜9時に放送していた。制作は両番組ともユニバーサル映画である。やがてユニバーサルはソニーを提訴し、1984年の連邦最高裁まで行ってしまう。最高裁で辛くも5対4でソニー側が勝訴することができた。その数年の間に、アメリカの映画会社は考え方が変わっていった。「著作権で守られた番組をコピーするとはビデオはけしからん」ということから「ビデオは金になる」ということへと。映画制作の膨大な資産も見てくれなければただのゴミである。映画館やテレビ放送で流しても時間は限られている。ビデオソフトとすれば即金となるのだ。現代の映画制作では映画館収入で制作費を取り戻すことは出来ない。必ずビデオ収入も予算に入っている。こうしてビデオメーカーと映画会社の共存共栄が図られた。このとき私たちは「いつでも」テレビ番組を見ることができるようになった。

 実は、この話にはアメリカ側の事情があった。

 その裁判について斉藤浩貴弁護士の「アメリカのマルチメディア著作権判例(第1回)」では、こう書かれている。

 最高裁判所の理由では、まず、寄与的侵害について、寄与的侵害が認められるためには、被告が自己の販売する物品によって著作権侵害が行われる蓋然性があるということを知って物品を販売したというだけでは足りず、寄与的侵害とされている物品に、著作権侵害とならないような実際的な使用方法がない場合でなければならないとした。

 そのうえで、最高裁判所は、ユーザーによる「タイム・シフティング」は、これに異を唱えない著作権者は多いし、もし、著作権者が認めないとしてもフェア・ユースに当たり、著作権侵害ではないと判断した。したがって、「タイム・シフティング」という著作権侵害とならない使用方法を有する家庭用ビデオの販売は著作権の寄与的侵害にはならないとしたのである。なお、「タイム・シフティング」とは、放送された番組の録りだめとは異なり、時間のあるときにあとで鑑賞するために放送された番組を録画しておき、一回見た番組は重ね録りして消してしまうことである。

 「タイム・シフティング」も「ビデオライブラリーの作成」も、私的使用のための複製であるので、日本著作権法では30条により著作権侵害とはならない。このように、日本法では、形式的に著作権侵害とならない場合であっても、他の社会的利益とのバランスから著作権侵害とならない場合について、30条から50条の規定で、具体的に限定列挙する方式をとっている。

 アメリカ法は、基本的にこのような方式をとらず、107条に、形式的には著作権侵害となる場合であっても、フェア・ユースに該当する場合には、著作権侵害ではないとの包括的な規定をおいている。フェアユースかどうかの判断に当たっては、条文上次の4つの要素が考慮されるべきものとされている。(i)当該使用が商業的なものか非営利の教育目的なのか等、当該使用の目的及び性質、(ii)当該著作物の性質、(iii)当該著作物の全体に対して、使用された部分の量及び本質性、(iv)当該著作物の潜在的市場又は価値に対する当該使用の影響。

 したがって、アメリカ法では、私的使用目的の複製は、条文上は当然に許されているわけではない。本判決でも、最高裁判所は、私的使用目的であれば著作権侵害でないとの立論はせず、「タイム・シフティング」について上記の4つの要素の検討を行い、その上で「タイム・シフティング」はフェア・ユースに該当し、著作権侵害とはならないとした。本判決では、上記の要素のうち(i)に特に焦点を当て、個人による録画は、商業的でない非営利のものだとし、そのような場合には、権利者の側で侵害と主張する行為によって損害を受けていることを立証しなければならないとし、ユニバーサルは現在又は将来の損害を立証できていないので、「タイム・シフティング」はフェア・ユースであるとしている。  このように、フェア・ユースの規定はアメリカの著作権侵害の事案ごとの合理的な解決に重要な役割を果たしている。

 このように考えていくと、前項の�寿司の肖像権については、ジョバンニーノ氏は、フェア・ユースが日本にもあると思い、肖像権がそれほど強いとは考えていなかったのではないだろうか。一方、日本の肖像権では、むしろ、
また、「表現の自由・言論の自由」は、日本においては日本国憲法に明記されている。民法に定められている権利が憲法に定められている権利に負ける恐れがあるため、近年、芸能事務所が契約を結ぶ際には、契約書の中に「事前の承諾なしには画像の修正等は認めない」、「過度の修正は認めない」、「加工物の権利は芸能プロダクション側に譲渡するものとする」などを事細かに明記するのが通例となっている。(Wikipedia)
 とあり、ガチガチに規制する方向である。しかし、それだったら、寿司職人に許認可をとればいいと思うのだが。芸能プロダクションと違って、喜んで認可すると思う。

追記 と、書いてきたが、実は、寿司は著作物ではなかったという事実が明らかになった。それについては次項。
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