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素人だから言えることもある

Wiiの成功と限界

Wiiとブルー・オーシャン

 Wii は、最近、健康美容器具となったようだ。主婦層が買っている。 朝日新聞(1/4)に任天堂の岩田社長のインタビューが載っていた。

任天堂社長「ゲームの敵だったお母さんが買ってくれれば」

—— 一人ではなく、家族で楽しんでいる人も多いようです。

 茶の間のテレビに人が集まっていたのが20世紀のだんらんの形。そこにファミコンが現れ、家族でコントローラーを奪い合った。ゲームにとって幸せな時代だった。なのに、いつの間にかコントローラーは複雑になり、お父さんやお母さんに後ずさりされるようになった。Wiiが提案するのは、ゲームを中心に家族が笑い合い、話し合う新しいライフスタイルで、21世紀型のだんらんだ。

—— 家族のあり方も変えてきたわけですね。

 面白い娯楽をつくったら、それで終わりというのではなく、忙しい現代人にも、これなら私もできるというゲームを提案している。ヒットしたソフトの多くも、世代間のコミュニケーションを生み出す力をもたらし、対話がなかった孫と祖父が話をするきっかけをつくった。かつてゲームの敵だったお母さんが率先して買ってくれるようになれば、業界の未来は明るい。

 つまり、ゲームの好む層ではなく、アタックしても無駄だと思った家族層を狙ったのだ。僕は「ものづくりは人づくり」の中で任天堂の「ブルー・オーシャン」計画に触れている。
『ブルー・オーシャン戦略』とは,競合他社と価格や機能で血みどろの戦いを繰り広げなければならない既存市場を「レッド・オーシャン(赤い海)」,競争自体がない未開拓の市場を「ブルー・オーシャン(青い海)」と呼んでいる。「コスト削減」や「差異化」などを勧めるこれまでの経営書は,どれもレッド・オーシャンで勝つための方法を説いているとし,それとは違うブルー・オーシャンを創造することを提唱。そのための具体的な方法を解説している。
そして作者(仏INSEAD教授W・チャン・キム氏)のインタビュー
 任天堂が、新型ゲーム機「Wii(ウィー)」の企画・開発に当たってブルー・オーシャン戦略を適用したのは興味深い事例だと考えている。任天堂は、社内でチームを作り、私の本を読んで、自分たちで解釈して実践してくれたようだ。私は理論家として、このことをとても誇りに思う。

 Wiiは「非顧客」を顧客化した典型的な事例だ。これまでゲームであまり遊ばなかった小さい子どもや大人にも満足してもらえるゲームを出すことで、ブルー・オーシャン(新市場)を開拓した。

 任天堂も(Wiiの前世代の)「ゲームキューブ」を発売したときは、ソニーやマイクロソフトとの激しい競争の中で、レッド・オーシャンにおぼれそうになっていた。任天堂を含むどの企業も、ゲーム機の主要な顧客を10代後半だと考え、この層を満足させるために、画像処理の性能など機能面で競争してきた。

 任天堂は、「なぜもっとほかの層にゲームで遊んでもらえないのか」と自らを問い直した。複雑になりすぎたゲームではなく、もっと簡単で操作を覚えやすいゲームを作れないかと考えた。そこで、「Wiiリモコン」を開発。ゴルフやテニスなどの手の「動き」という新しい要素を「付け加える」ことで、新たな市場を創出した。「他社とは違う土俵で勝つ」ためのブルー・オーシャン戦略

 「レッド・オーシャン」で全社が熱くなっているときに、「ブルー・オーシャン」を提案することには勇気がいる。手馴れた分野と全く違う未知の分野だからだ。「イノベーションのジレンマ」とソニーの破壊的イノベーションの事例がある。
1.企業は顧客と投資家に資源を依存している

 顧客と投資家を満足させる投資パターンを持たない企業は生き残れないため、実質的に資金の配分を決めるのは顧客と投資家である。業績のすぐれた企業ほどこの傾向派が強く、すなわち、顧客が望まないアイデアを排除するシステムが整っている。その結果、このような企業にとって、顧客がその技術を求めるようになる前に、顧客が望まず利益率の低い破壊的技術に十分な投資をすることはきわめて難しい。そして、顧客が求めてからでは遅すぎる。 (「イノベーションのジレンマ」)

岩田社長は同じ朝日新聞の記事で
—— 任天堂と他社で、ものづくりのスタイルに違いはありますか。

 何が人を驚かせ、面白がらせるのかを感じられるのは少数の特別な感性を持つ人だけなので、個の力がとても大きい。その意味では一般の製造業と違う部分があるかもしれない。

 ただ、プログラムを作って商品化するには、たくさんの人間でトラブルや問題点を一つ一つつぶす地味な仕事も重要だ。個と組織の力の両方が無ければ面白いゲームは生まれない。任天堂の良いところは、年齢や社歴にとらわれず、優れた個人の才能にすべての社員が敬意を持ち、組織として全力で支援することだ。

と、社員に全幅の信頼をしていることを強調している。

Wiiの限界

Wii に関しては、ゲームジャーナリストの新清士氏がこんな批判をしている。

「生産消費」の時代とWiiFitの限界

 任天堂が昨年12月に発売した健康をテーマにしたゲーム「WiiFit」を使っていて何が不満かというと、データをパソコンなどに出力できないところだろう。私は、数年前から自分の健康管理にかかわる数字を表計算ソフトに入力し、チャートも作成してチェックしている。そのために、WiiFitのデータを取り出して連携できないのは使い勝手が悪くて仕方がない。
そこで、トフラーの「生産消費者(プロシューマー)」の概念を持ち出し、こんな風に言う。
 私自身は、他の活動に利用できる自由に誰かが制限を設けコントロールするという仕組みは長期的に考えると、成り立たなくなるのではないかと予想している。これは、第三の波が到達する以前と大きく違う点ではないだろうか。

 任天堂はWiiFitの私のデータから、継続的な「タダ飯」を生み出しているわけではないのだが、私自身は違和感を感じている。逆をいえば、他の企業がキャッチアップしてつけ込める余地が残されているということでもある。

 実態はともかくとしてゲーム産業は、基本的に販売本数で測られるように、製造業的なメタファーから完全に脱却しているわけではない。そしてユーザーの生産消費活動の結果が注目されることは少ない。古くなりつつある経済構造のビジネスモデルを引きずっており、トフラー的視点で見ると取り残される可能性がある。

 任天堂が自分の機種のみに限定したサービスを他のパソコンで使えない点で、新たなメーカーに付け込む隙を与えていると指摘している。このようなサービスの違いについては、アップルにも指摘されたことだ。面白いことに、先の朝日新聞にも
—— 工場を持たないなど、経営スタイルにiPodを生んだ米アップルとの共通点を感じます。

 私自身も長年アップル製品の愛用者だが、経営者としてモデルにしたことはない。「品ぞろえを絞る」「シンプルな製品をつくる」「驚きや新しいライフスタイルを提案する」といった両社の共通点は、アップルがエレクトロニクス会社として、任天堂がゲーム会社としてやるべきことを追求した結果、自然に行き着いた形だと思う。

 思えば、「ジョブズとソニー」でiPod担当者が言った言葉
1 社にすべてがあるからこそ,ハードウエアやソフトウエアが協調した「体験」を生み出すことができるという。「iPodは, 21世紀の『ウォークマン』だと思ってる。ソニーが1979年に発明したウォークマンは,革命的なハードウエアで,人々の音楽の聴き方を変えた。でも現在では,ハードウエアだけじゃ足りない。ハードとソフト,そしてサービスが相互に作用して出来上がるのが,デジタル時代の体験なんだ」(Joz)。(Tech-On iPodの開発)
 ソニーはかつて、ハードとソフトが融和した会社だった。だが、「イノベーションのジレンマ」とソニー
ソニーの例2 ウォークマンは、カセットレコーダーから録音機能を除き、ステレオ機能とヘッドホンをつけるというアイデアから始まった。これは、創業者井深氏の特注であった。世界中にブレイクし、ウォークマン以外のほかのメーカーは偽者扱いされたほどだ。

 ところが、アップルのiPodがブレイクするとソニーは後追いすることすら難しかった。それは、ベータ事件でソフトの大切さを学んだために、SMEを抱えており、著作権問題に対応しなければ製品開発ができなかったからだ。巨大企業になれば、どれほどアイデアが優れていても目配りが必要になってくる。

 つまり、アップルも任天堂も工場を持たないから、一貫したスタイルができたと語っているのである。ソニーは、ソフトもハードも持っているゆえに、身動きすらできなかった。

 しかし、 新清士氏の論調は、それすらも古いスタイルだという。

 ゲームから生まれる映像やコンテンツから、派生的に生み出された多数のコンテンツがネット上で人気を集めた(セカンドライフニコニコ動画)が、ゲーム機だけでは基本的にそれができない。だからこそ、ゲーム会社に真似ができなかったイノベーションが起きている。

 トフラーの示す変化は、知識や情報を主体にした経済である「第三の波」の登場に原因を置く。知識は、相対的な経済価値は減少するかもしれないが、その本質によって、人の手に渡っても価値が変わることがなく、減少することもない。他の知識との「非競合性」の性質があり、無形であるため、物と違って簡単に流通し配布も容易だ。

 一方で、これをコントロールし制限する枠組みは、人工的に生み出された枠組みであり、設計を間違えれば経済構造の激変の中で衰退する産業としての性質を強めてしまう。(「生産消費」の時代とWiiFitの限界)

この話は、コンテナーとコンテンツの関係に似ている。コンテンツが、インターネット上に自由に繰り広げられることでイノベーションが起こるのだという。ところが、Wiiだけでとどまっていれば、それ以上の発展はせず、衰退の道を進むであろうと警告しているのである。
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