夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

なぜ過去に学ばないのか

(1)その場限りのブログたち

ワーナーBD一本化とPS3のPS2互換機出荷完了は、コンテンツ配信のための準備段階」 を書いたとき、思ったことがある。CNET Japan「SCE、プレイステーション3 HDD 20GB/HDD 60GBモデル国内出荷完了を発表」の記事の反応のブログが、誰もがPS3互換機を買わせるためのあおりだとか、批判的な反応が多かったことだ。しかし、久夛良木氏の講演「PS3が創るリアルタイムコンピューティングの未来」ですでに触れられているように、
同時に、全世界数千タイトルにも及ぶ「プレイステーション」ならびに「プレイステーション 2」の貴重なゲーム・ライブラリ群も、さほどデータ容量が大きくないものから順に、ネットワークを通じてダウンロードできるようにする。
と語っているとおり、コンテンツ配信に向かった一段階なのだ。しかし、そのことに言及するブログは誰もいなかった。現実にPS1のダウンロードは「SCEJ

このように多くのブログはそのときそのときのニュースに反応するだけで、終わっている。過去の事実を調べることなしに。それでは、そのブログは使い捨てといわれても仕方がない。むしろ「紅白歌合戦ブログ実況時代の肖像権」のとき、反論があったので翌日、翌々日に訂正にいたるまでの記事を書いた。それが、書きっぱなしでないブログのあり方だと思うからだ。

(2)ニュースはつながっている

個人的データベースのすすめ」でも書いたように、必ずニュースはつながっているのである。「松下も変わらなくちゃ」にしても過去に「企業ブランディングと地域ブランディング」を書いたために、マーケティング用語の資料も残っていたし、PS3が創るリアルタイムコンピューティングの未来についても、「家電屋VSコンピュータ屋、ホームサーバーの戦い」などでたびたび引用した。

(3)事実を指摘するには物証主義でいけ

インターネットという、知識の宝庫を前にして、読者に知らせたいと思う情報があまりにも多いので、なぜこれらの知識を利用しないのかと不思議でならない。僕のエントリーは、パッチワークのように、引用文が多い。単純にリンク先を示しても、読んでくれるとは限らないし、しばしばリンク切れになる。「個人的データベースのすすめ」には「ニュースの信頼性に気を配れ」と書いたが、引用先は膨大で、どこが著者の重要と思う点かがわかりにくい。文章として成り立つには、その必要な文章のみを引用することが必要である。僕の場合、しかも本からの引用が多い。それは、ネット上の文章と本の上の文章の重みが違うからである。

(4)素人の感想など少ないほうがいい

僕は、自分の感想を書くより、その物証(引用文)の構成で、結論に導くことを好む。データベースにするには、大切なのは引用文の信頼性であるからだ。できるだけ、簡潔に鋭く書きたいと思っている。

(5)なぜ、大量に書くか。

「200本突破記念・五十音索引」(リニューアルに基づき、現在削除)に書いたコメントを再録したい。
CNET JapanってIT業界で飯を食っている人たちの集まり、つまり専門家の人たちばかりの人がいるところじゃないですか。僕のような業界とはまったく関係のない人間が、果たして続けていけるだろうかとまず考えました。専門分野に精通している人に対抗することはとてもできないと思ったんです。
それから、なぜ年間200本かといいますと、実は経済評論家の野口悠紀雄氏のコラムを読んでたとき、たまたま野口氏は年間200本のコラムを書いているという文章が目に入ったわけです。そこで、目標は200本だなと。ただ、それ以上になると、テンションが下がってまるで日記のようになってしまうと思います。
さて、専門家の集まりの中に業界素人の自分が年間200本のブログを書くにはどうすればよいのだろうか。いつも考えていることは「1%のプロ、99%の素人」ということです。どういうことかというと、専門家というのは、人生経験のうちわずか 1%の世界の中からものを見ているんじゃないか、自分の精通していることなら、誰にも負けない自信があるということですね。でも、それ以外の99%はまったくの素人。僕は、素人ですから、この1%の世界にはとても太刀打ちできない。そこでこの「99%の素人」の部分を使えば、どんなテーマでもこなせるんじゃないか。「1%のプロ」ではたちまちいきづまってしまうけれど、「99%の素人」の部分を使えば、いくらでも発展できる。ただ、問題は、そのプロにもわかる話題じゃないといけないので、調べて書くことに気を使いました。資料があることと思い込みで書くことはまったく違いますから。

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