夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

コストカットをすればするほど貧乏になる

 「パッケージメディアの終焉・ある夢想家の悪夢」は、コンテンツ配信が日常化するとどんな社会になるかを想像したものだ。だが、なぜか理想郷とは程遠い悪夢だった。なぜ、こうなったか。「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないけれど、順を追ってその原因を探ってみたい。まず、コストカットの必要のない社会はどんな社会か。

競争のない社会は腐敗を生む

 今、問題になっている高級官僚や、公務員の汚職。いずれもが、公務員の特権に守られて、民間のように競争がないために起こったものだ。小泉元首相の「民間にできるものは民間で」というのは、競争ない社会がいかに腐敗を生むかを現している。また、共産圏のように国営企業になると、容易に価格の引き下げができない。

競争ある社会は無駄を生む。

 競争をするためには、相手が必要だ。負けた企業は、商品が売れないし、売れない商品は廃棄される。競争が激しくなれば激しくなるほど無駄が増える。

インターネットは無駄を世界規模にする。

 国内ですんでいるうちは、コストカット分の収益は増えていた企業も、インターネットで時間・距離が超越して、「フラット化する世界」になると、よりコストカットを求めて、海外の生産地を探していかなければならない。「コストカットが無駄を作り出す」のように、500円の弁当を作るために地球4周分のCO2を廃棄する無駄を起こしている。また、「無駄の中にこそ宝がある。」では、そのことが企業文化を破壊しているのではないかと指摘した。

究極のコストカット・ネット配信とネットショップ

 この両者は、形態が違うのではないかと思われるだろうが、ネット配信(コンテンツ配信)は、コンテンツをダウンロードするのに対し、ネットショップは商品を直送する。どちらも、間にショップを通さない点では同じことである。日本は物価が高い。どうしても、人件費が高くつく。生産地を海外に求め、それでもコストカットをしなければならないとすれば、無店舗(ネットショップ)で対応するしかないのだ。ただ、楽天やヤフーの商店街で待っていても客は来てくれない。そこでテレビに検索CMを流す。楽天やヤフーのロイヤリティーを払うよりも、直接自社のホームページに来てもらうことが必要だからだ。

消費者は誰だ。

 さらに、コスト・カットをしなければならないとすれば、本社を海外に移す。税金の安い国はどこでもある。ところが、こうしてコスト・カットをすればするほど、消費者の収入は確実に減っていく。なぜなら、生産現場がなくなり、働く場所が減っているからである。かといって、生産国に消費者を求めても、物価の関係で割が合わない。消費者のためにコスト・カットをしているのに消費者を減らしている。

なぜ、企業は自国のコンテンツを増やす努力をしないのか。

アメリカで日本の家電メーカーが、コンテンツ配信のためのコンテンツを買いあさっている。なぜ、日本のコンテンツを育成しようとしないのだろうか。コンテンツ配信は、コンテンツとコンテナーを切り離す究極の選択である。ところが、日本企業はコンテナーの維持にばかり汲々としている。「地産地消」という掛け声はあったが、現実問題としてそれが不可能なのは「コストカットが無駄を作り出す 」で書いた。しかし、「生産しなければ消費することはできない」のだ。企業は国内で生産する仕組みを作る努力をしてこなかったのではないか。
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