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素人だから言えることもある

「安くて安全」のカラクリ

「毒ギョーザ」の場合

前項「毒ギョーザとフェアトレード」で、
日本の十分の一の人件費で、日本と同じ安全管理、どこか矛盾していないだろうか。
と書いた。もし、成り立つなら、その安全管理費は価格に反映されていなければならないからだ。しかし、その生産工場のまわりでは職がないという場合は別だ。安い賃金であっても、大量に工員を募集できる。つまり、安全管理費は人件費を極端に抑えた上(報道によれば日給600円)で、上載せされたものだからだ。そして、昨年は大量解雇騒動があったという。その不満をぶつける上で、故意に混入させた可能性があるというのである。

「古紙混入」偽装の場合

このことに関しては、「なぜ、エコロジーが偽装を生むのか。」に書いたことがある。

この場合、「安全」とは、「古紙混入」割合の環境偽装だった。「古紙混入」割合を高めれば高めるほど、コストがかかる。単純に考えれば、改めて森林を伐採する必要がないのに何で?と思うのだが、ここにもやはり、中国側が「高級古紙」を買いあさったために、古紙が高くなり、さらに消費者が白い紙を求めた。「安くて(地球・環境に)やさしい」ことを求めたためであった。消費者は、少なくとも地球環境保全に貢献していたつもりらしい。

コンビニ弁当の場合

コストカットが無駄を作り出す」で、
すべてがコスト・カット主義で、より安い材料を求めるために、人件費の安い国になり、効率主義を求めるために、より広大な作付け面積を求めたためである。
そして、その国々はいずれもが中国と同じような事情を抱えている。

「安くて安全」が成り立つ理由

なぜ、「安くて安全」が成り立つか。それは、各国の物価の違いによる。とりあえずはアジアが比較的人件費が安いので成り立つが、アジア各国が先進技術を身につけてゆけば、物価は高くなり、安い労働力を供給できない。当然、次はアフリカということになる。だが、アフリカは内戦や疫病を克服するための安全管理コストがかかるので、先進国はなかなか踏み込めていない。最終的に、物価が平均化すれば(世界から貧富の差をなくす)、「高くて安全」なものばかりとなる。

「安い」と安全の「安」は本来違う言葉

誤解されて同じように使われているが、「安心と安全は両立しない」で、遠藤哲夫著「漢字の知恵」講談社現代新書を引用して
 「安(アン)」は、宀(家)と女との形合成で、女がやたらに出歩いたりせず家の中にいれば安全であるなどと解説するむきもあるようですが、古い字形では女の腰の部分に斜線が引かれていて、これは「保(ホ・赤子を背負う意)の字の子の腰に添えられたものと共通しています。

 つまりこれは女性が赤子と同じようにおむつ様のものを腰にあてがっている姿と見ることができるわけで、特殊な生理的状況にある女性が家に独居して心身の安静を保っていることが示すのが「安」の字です。今日と違って、古代でメンスや産後の女性はけがれたものと考えられて独居したり、精神と肉体を安静にする必要に迫られたと考えられます。そのためにこの文字には「やすらかにする・しずかにする・おだやか」などの意味が生じ、「やすらか・やすい・やすんじる」の訓が定着したものです。

 現今では「安価・安売り」のように値段の低廉なことにこの字を使用していますが、古くは「賤(やす)い」と書いたのが正しく、後に同訓のこの文字を当てて使うようになったもので、わが国独特の用法です。

リスク情報のもたらす弊害

メディアの特質として、安心を高める報道は苦手で、不安を高める報道は得意である。生産者としては、報道されないことが一番である。今回の報道によって、天洋食品ばかりでなく、中国全体の食品のイメージが悪化した。先ほど引用した「安心と安全は両立しない」の中で、
帝塚山大学心理福祉学部の中谷内一也教授はその著「リスクのモノサシ—安全・安心生活はありうるか」 (NHKブックス)の中で

 「安全・安心生活はありうるか」、いいかえれば(リスク情報によって)安全・安心生活を築くことはできるか。私の回答は、できない、となる。リスク情報は将来の安全を高めるのに貢献するが、現時点の不安を高めるものである。しかも、今後、さまざまな分野でリスクの考え方に基づいた政策が提案されるならば、いっそう不安のネタを作り出すことになる。(中谷内一也「リスクのモノサシ」NHKブックス)

 この「リスク情報」とは、先にあげた食の安全をめぐる報道のことである。私たちは、これらの報道がなければ、これらの食品は安全だと信じきっていた。安全という事実がないのに、「安全に違いないと思い込むこと」これが「安心」である。したがって、安心に満ちた世界、これほど危険極まりない世界があるだろうか。たとえば、俺は酔わないからといって酒を飲んで運転するようなものである。一方、食の安全に関する報道は、人々の不安を増大する。不安の目で監視するから、その安全性が保たれるのだ。人間は「安心」だと思った瞬間から、そのことに関心をなくす。

と書いた。

スーパーのチラシの「安くて安全」

 「安くて安全」を書かないスーパーのチラシはない。しかも、オールカラーで。僕は、「販売奨励金」と「押し紙」パラダイス鎖国を支えるメディアの裏金でこんなことを書いている。
新聞販売店の収入は、新聞購読料の一部と折込みチラシである。「押し紙」などで部数が増えれば、その分折込みチラシの収入が増える。このシステムでは、売れ残った新聞でも新聞販売店には大きな収入になるのである。
スーパーのチラシは、新聞販売店を成り立たせるほど、コストがかかる。それでも普通の店よりも価格は安いのである。それは大量搬入大量販売だからだ。最近はスーパー独自で海外に生産地を作ったり、提携したりしてより安い商品を目指している。しかし、ここにも問題はないのか。

消費者は悪くない…のか

もちろん、毒ギョーザを買って中毒を起こした人間が悪いといっているわけではない。このような「安くて安全」の仕組みの裏の構造を知らないで買っている消費者もまた加担しているのではないだろうか。


追記

「安くて安全」という嘘というタイトルを変えました。現状ではとりあえず成り立っているので。ともかく「安い」ということと、「安全」ということは全く別物だということを知ってくれることが今回のエントリーの狙いです。
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