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素人だから言えることもある

イージス艦の衝突事故・日本人の敵は日本人

 イージス艦の衝突事故。3年前に映画化された「亡国のイージス」を思い出す。原作は「亡国のイージス」福井晴敏著・講談社文庫

その中で、冒頭にタイトルと同じ「亡国の楯(イージス)」という論文を発表したイージス艦の艦長の息子が登場する。

保身にばかり長けた政治家ではなく、一人の人間として自らを誇れる人物にこの国の舵を取ってもらいたいと願うのは、過分な望みなのだろうか。そうした人たちがその存在を持って範を垂れ、すべての人に美徳を示すことは夢なのだろうか。
ギリシャ神話に登場する、どんな攻撃もはね返す楯。それがイージスの語源だ。しかし現状では、イージス艦を始めとする自衛隊装備は防御する国家を失ってしまっている。亡国の楯だ。それは国民も、我々自身も望むものではない。必要なのは国防の楯であり、守るべき国の形そのものであるはずだ。(「亡国のイージス福井晴敏著・講談社文庫)
福井晴敏氏を特集した雑誌「ダ・ヴィンチ」(メディア・ファクトリー)で「ローレライ」を監督した樋口真嗣氏は
第二次大戦とはいっても、戦う相手はアメリカではなくて、同じ日本人にしようと決めていました。現在の日本を裁こうとする人間と、それを守ろうとする人間の話に。今の日本を見ていると、自分にも二つの気持ちがあるんです。「何でこんなになっちゃった」という思いと、「それでも生きていかなければ」という思い。その両方の戦いにしたかった。福井さんの小説は、実は全部そうだと思うんです。(「ダ・ヴィンチ」2005/6月号)
オール・アバウト・如月行」(扶桑社) という「亡国のイージス」関連の本に福井氏はこう書いている。
この物語は、仙石恒史と如月行(亡国のイージスの主人公・自衛官)という、年齢も生き方も立場もまるで異なる二人の男たちが、その出会いによって互いの魂を解放し、自分に正直に生きられるようになるまでを綴ったものです。
そこにべたついた馴れ合いはありません。癒し、癒される関係性に見えても、無責任にすべてを肯定する”癒し”が存在するわけでもありません。時に間違い、傷つけあい、血を流し合いながら「自分とは何か」「自分という人間がなすべきことは何か」が突き詰められてゆく。友情という言葉では言い尽くせない、互いに高めあってゆく関係性がそこにはあり、だからこそ、大勢の読者からの支持を得られたのだと考えています。
ひとりの大人として社会を底支えしつつも、漠然とした不安の時代を生きる人々は仙石に。
自信をなくした大人たちに見切りをつけながら、自らも行きあぐねている若者たちは行に。(「オール・アバウト・如月行」Introduction)
自衛隊の存在価値は、政治の動向に左右される。いわば、日本人自身がそうであるように。さて、自衛隊の敵は海外か、日本か。
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