夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

Xbox vs PS2(ホームサーバの戦い・第8章)

 ブルーレイvs HD DVDの戦いは決したようだ。しかし、ホームサーバの戦いは道半ばである。そもそも、なぜ、マイクロソフトはゲーム機を作ろうなんて考えたのだろうか。その大元から調べてみた。「マイクロソフトの蹉跌—プロジェクトXboxの真実」(ディーン タカハシ著/元麻布 春男監修/永井 喜久子訳/ソフトバンク) の中からとりあげてみたい

リビングに進出したい

 リビングルームへの進出をもくろむビル・ゲイツ会長にとって、テレビ用ゲーム機の開発は懸案のひとつだ。テレビこそ、PCを掌握した彼が次にねらっていたものだった。自社のソフトをゲーム機に組み込ませるという道もあったが、言うのは簡単でも、実現するのは困難だった。

 マイクロソフトは、ゲームで何度か失敗を喫している。同社のPCゲーム事業は成長してはいたが、大して利益は上がっていない。「マイクロソフト・フライト・シミュレータ」やそれより後に出た「エイジ・オブ・エンパイア」といった代表作は、何百万本も売れていた。しかしゲーム機となると、話は別である。1983年に家電メーカー数社を巻き込み(ソニーも入っていた)、マイクロソフトが旗振り役となって、PCとゲーム機のハイブリッドマシン「MSX」をアジア市場に投入したが、いいソフトに恵まれなかったために、あまり売れなかった。

きっかけはソニーへの反発から

 しかし、ゲイツはあきらめなかった。彼は1999年にプレイステーション2(PS2)が発表されるよりずっと前に、ソニーのCEO出井伸之に、マイクロソフトのプログラミングツールを使ってほしいと持ちかけている。次に出るPS2用のゲームを作るのがこれで楽になると主張したが、出井は断った。

出井によれば、ほかの分野でもマイクロソフトの提案を退けたので、ゲイツはかんかんになったそうだ。自分の返事をゲイツがあまりにも個人的に受け止めたことに、出井は驚いた。


世界的企業のCEOであれば、同業者が市場によってはライバルにも盟友にもなりうることを、普通は理解しているはずだからだ。「マイクロソフトと組めば、「オープンアーキテクチャ、イコール、マイクロソフトアーキテクチャですからね」と出井は、『ニューヨーカー』のケン・オーレッタとのインタビューで述べている。

 失敗に終わったソニーとの交渉の場から戻ってくると、ゲイツは部下に言った。ソニーはマイクロソフトと競いたがっている。PS2は、単なるテレビ用のセットトップボックスやゲーム機の枠に収まらないだろう。PCにとって脅威になるのは間違いない。ゲイツの口ぶりから、マイクロソフトの幹部たちは、交渉がなごやかに進んだものと勘違いした。実際、出井が受けた印象は正反対だったのだが。

 はからずも、ビル・ゲイツ氏はソニーに自分の目的を重ねているのが笑える。出井前会長が言った「オープンアーキテクチャ、イコール、マイクロソフトアーキテクチャですからね」という言葉は、もちろん「土管はできた。流すものがない。」で紹介したマイクロソフトIBMを利用して自らが伸びてきたことを指す。実際、本文でも
 ソニーがマイクロソフトの提案をつっぱねたのは、もちろん当然のことだった。IBMがPCで学んだ教訓を知らない者はいない。1981年、PCの市場投入をあせっていたIBMは、自社ですべてをまかなうより、マイクロソフトのOSとインテルのチップをつなぎ合わせて新しいマシンを作る道を選んだ。

こうした協力は、当事者全員にとって必要だった。しかし、じきにIBMは専売者としての強みを失うことになる。莫大な利益を独占することができたのは、マシンの鍵を握っていたマイクロソフトインテルだった。企業や一般消費者がほしがるソフトを動かすには、マイクロソフトインテルとの互換性が不可欠だったからだ。この教訓を忘れた者はいない。マイクロソフトのソフトを使うなら、覚悟して使え。

(中略)

また、タイム・ワーナーのCEOジェラルド・レビンは、あるスピーチで、インテルマイクロソフトは技術面での圧倒的な優位を利用して、いずれメディア業界に参入してくるに違いない、と述べている。彼の会社がフメリカ・オンライン(AOL)に買収される数年前の話だ。ディズニーのCEOマイケル・アイズナーいわく、「目下のところ世間の共通認識は、いちばん警戒すべき相手はビル・ゲイツということだ」。

 なるほど、「HD DVD敗北のもうひとつの説(ホームサーバの戦い・第7章)」で紹介した
ハリウッドがIT産業とのコラボレーションに危険を感じていることは確かだろう。映画コンテンツがサーバーから配信されるようになれば、コンテンツ上映の実権をIT産業に奪われてしまう危険があるからだ。上映回数や課金などの情報もIT産業から受け取らねばならなくなる。Googleマイクロソフトをはじめとする巨大なIT産業とタッグを組めば、「軒先を貸して母屋を取られる」──そうした危惧(きぐ)がハリウッドにはあるのだろう。
という理由はここにあったのか。

ソニーのPS2は「トロイの木馬

 マイクロソフトが映画業界やIBMの「軒先を貸して母屋を取られる」=「トロイの木馬」なら、PS2こそ「トロイの木馬」だという者がいた。
 MITで開かれたゲームサミットで、3DOのトリップ・ホーキンズは、ソニーのPS2のことを「トロイの木馬」と評した。ただのゲーム機のつもりで買うと、テレビ接続の通信端末やPCの役割をいつの間にか分捕って、エンタテインメントの主役に収まってしまうからだ。ホーキンズは、1993年に3DOリアルマルチプレイヤーを発売したときにも同じことを言っていた。ホーキンズの読みでは、ソニー製「トロイの木馬」の方が、家庭向けのエンタテインメントボックスとしてPCに置き換わるチャンスが高かった
 とビル・ゲイツ氏と同じようなことを言う。ビル・ゲイツ氏はそれほどソニーのPS2を恐れていた。
 マイクロソフトの幹部たちは、PCについては多くの不満を感じ、リビングルームへPCを入り込ませる難しさを痛感していた。リビングルーム向けコンピュータを普及させようとする過去の試みはどれも大失敗だった。マスコミは今や、PC以外の情報機器が主役となる「PC後の時代」について語っていた。余分なものを省いたこれらのシンプルな製品は、インターネット閲覧などのごく一握りの用途に限っていえば、非常に優れた機能を持っていた。しかも、マイクロソフトのソフトウェアをもはや必要としないのだ。
 そういえば、最近ではパソコンを持たなくてもケータイやゲーム機で代用することも可能になりつつある。マイクロソフトがいらない時代を恐れて、ゲーム機に希望を見出したのである。

マイクロソフトの買収計画

 ビデオゲームの世界(アメリカではテレビゲームをビデオゲームという)では新参者のマイクロソフト、日本の三社を買収しようとしたことがある。

スクウェア

 1999年秋、スティーブ・バルマーは日本のスクウェアを訪れた。同行したボブ・マックプリーンが会合の席で、「マイクロソフトは、買収に当たって相場より高い金額を払う用意がある」ことを明らかにした。スクウェアの幹部が出した条件は、マイクロソフトに売却するのは株式の40%だけで、しかもそれを全体の時価総額25億ドルを上回る値段で売るというものだった。「ばかばかしいというほかなかった」と(リック・)トンプソンは言う。皮肉にも、スクウェアが制作した映画『ファイナルファンタジー』が2001年夏にあえなく失敗し、ソニーが救済してやらなければならなくなった。ソニーは、スクウェアの19%を1億2400万ドルで買い取った。スクウェアが以前マイクロソフトに要求した値段と比べれば、大安売りである。スクウェアの鈴木尚社長は、会社が大きな損失を出した責任を取って辞任した。
任天堂
 トンプソンのオフィスは、同じくレドモンドにある任天堂アメリカの本拠地からわずか2、300メートルほどしか離れていない。トンプソンは、元任天堂マーケティング担当で現在はXboxにかかわっているドン・コイナーとともに、任天堂アメリカ社長の荒川實を訪ねることにした。トンプソンは荒川に、任天堂マイクロソフトと共同でXboxを売り出す、あるいはマイクロソフト任天堂を買収するのはどうか、と尋ねた。荒川はひどく驚いた様子だった。

「びっくりさせられたよ」と荒川はのちに語った。「我々は金に困っているわけでもなかった。冗談だと思ったね」

 荒川はトンプソンに、その提案については日本の本社に伝える必要があるという。二つの会社は機密保持契約を結んでいて、互いの計画について伝え合う義務があったからだ。トンプソンは京都にある任天堂の本社を訪れた。マイクロソフト任天堂を買収できれば幸いだと考えていた。任天堂時価総額は250億ドル。その気になれば、マイクロソフトに払えない額ではない。任天堂と組めば、Xboxビジネスはすみやかに黒字に転換できるだろう。任天堂はソフトの50%以上を自社で開発しているので、毎年7億ドルかそれ以上の利益を上げている。これとは対照的に、エド・フリーズの計画によれば、マイクロソフトが自分で用意するXbox用のソフトは全体の17%しかない。

 任天堂の幹部の中には興味を持つ者もいて、その冬の間に、両社の話し合いは全部で6回か7回行われた。マイクロソフト任天堂ゲームキューブの発売をとりやめてXboxの後押しをすることを望んだが、任天堂の老練な山内溥社長はその考えが気に入らなかった。こうして結局、この話は2000年の1月に立ち消えになった。

「幸運を祈る、じゃあまた、と言って別れたよ」とトンプソンは言う。

 任天堂アメリカの取締役副社長ピーター・メインは、この話し合いの席に何回か居合わせて、両社の考えが遠く隔たっていることを見てとった。

「わが社の財務内容はしっかりしているので、これまでのように独立してやっていく自信があった」とメイン。「それに、我々のゴールと向こうのゴールが違っていることがはっきりしてきた。ソニーとマイクロソフトは似た戦略をとっているようだ。

だが、我々は200億ドルのゲーム産業はそれだけでひとつの市場と考えている。デジタルワールドが収束し、市場が統合されていくという考え方もあるが、だからといってわが社の資産を複数のメディアにまたがらせる必要は感じていない。ゲームのコンテンツにひたすらこだわることこそ、我々にとって大いに役立つと信じている。

セガ
 セガを買収、あるいはセガに約20億ドル投資すれば、マイクロソフトドリームキャストの技術ばかりか、マイクロソフトにない多くの才能を手に入れることができる。たとえば、セガの持つ9つの開発スタジオだ。これらのスタジオは、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」や「バーチャファイター」に加え、さまざまなスポーツゲームの秀作など、絶えずヒット作を生み出している。さらには、新しいゲーム機を考案するハードウェア設計部も持っている。

 当時、日本のセガ・エンタープライゼスのCEOであった入交昭一郎によれば、マイクロソフトがゲーム機ビジネスに参入することを別のソフトメーカーから聞かされて驚いたそうだ。その話を最初にマイクロソフトから聞かされなかったことに、入交は憤慨した。この彼の苦情がきっかけになって、マイクロソフトとセガは次世代のゲーム機で提携できるかどうかを話し合うことになった。最初は、セガの売却について入交は興味を示さなかった。そのころは、ドリームキャストのアメリカでの売れ行きが良好に思われたからだ。マイクロソフト側もさほど熱心ではなかった。

「セガを見るときはいつも、我々がほしいのはソフトだけなのに、と考えていた」とクリス・フィリップスは言う。彼は2000年初めにマイクロソフトを辞めるまで、セガとの交渉役をつとめていた。「セガは、ソフトウェア事業部だけを売るのはいやがっていた。彼らの希望は、マイクロソフトXboxドリームキャスト2をドッキングさせたようなゲーム機を作ってほしいというものだった」

 やがてこのようなゲームメーカーの買収はビル・ゲイツの意向で立ち消えになった。こうして、マイクロソフトは、ソニーの「トロイの木馬」PS2を恐れて、Xboxを作り初めたのである。
ブログパーツ