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素人だから言えることもある

日本のテレビはもうダメらしい

IT mediaにこんな記事が載っていた。「正直、テレビはもうダメかもしれん」映像系アナリストの小寺信良氏の記事だ。

 番組二次利用に関する窓口権に関する議論の中で、日本映像事業協同組合 理事長の澤田隆治氏が、「最近では放送局自身が制作子会社を作り、そこと契約をするため、実務を担当する制作プロダクションが派遣扱い(孫請け)となってしまって、著作権が放送局の制作子会社にしか残らない」と発言した。

 その反論としてフジテレビジョン デジタルコンテンツ局 局次長の佐藤信彦氏が、「制作著作はリスクを負った人が持つのが妥当で、リスクが負えないのならばどこかと一緒にやるしかない。これは制作会社の自助努力の範囲内だ」と述べた。ここまではまだ妥当だが、その後「著作権では本来、制作費を全額負担している場合は、著作権は制作費を負担する側にあるのが普通である」と発言した。

 この発言趣旨は、番組制作に限らず、コンテンツ制作の現場で常につきまとう、根の深い問題である。「著作権はカネを出したヤツのもの」という意味であり、テレビ局は番組制作費を後払いで全額負担している。そして事実そのようにクレジットされているということだからである。

 これは、コンテンツが一次利用しかしない場合は、観察的事実として成り立つ。つまり1度使って使い捨てなので、制作したものの権利は、事実上買い取りになってしまうからである。まあこうした慣習が長く続いたおかげで、今二次利用でややこしいことになっているわけだが。

 番組のコンテンツの著作権が、常にテレビ局にあるのは、制作プロダクションはテレビ局の派遣会社に過ぎないからだということである。優れた番組を作っているのは、派遣社員である制作スタッフであるはずだが、テレビ局のスタジオを使い、テレビ局の電波を使っている限りは、あくまでもテレビ局のものになってしまう。これは、現在、日本中の企業で起こっている正規社員と非正規社員の格差と同じことである。いや、それよりもひどい。なぜなら、NHKを除いた民放では、番組を作っている人間は局の人間ではなく、派遣社員であるからだ。

 そのようにして視聴率だけをねらって作った番組を、改めて番組コンテンツとして世界に売れるコンテンツとして輸出できるか。制作スタッフが、自分の作ったものだと胸を張れず、結局テレビ局のものになってしまう番組を、そして垂れ流している状態のものを、世界に向かってこれは素晴らしい番組だからぜひ見てくださいなんてことが言えるか。

 つまり、そこに必要なのは制作スタッフが堂々と自分のものだといえる状態にする、つまり著作権を与え、自由に海外に売れる状態にしてこそ、本当に素晴らしい番組を作ったことになるのではないか。ただの、テレビ局に飼いならされた犬になるより、正しいと思ったら飼い主に反抗するような番組を見てみたいと思うのだ。
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