夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

メディアは人間を幸せにしたか

(1)不安の麻痺化と他者への無関心

 不安が毎日のニュース報道で日常化するとどうなるか。特に、最近では値上げや年金問題、後期高齢者医療制度などの日常生活への不安が次から次へと報道されている。そうなると社会全体に怒りや不満が充満する。簡単にキレる人間が現れるから、他人には相談できない。人々は孤立し、やがてそれが当たり前だと思えてくる。その不安と対決する意欲がなくなり、あきらめが最初に来る。メディアは、本来、そのような人間に手を差し伸べる責任があるはずだが、不安競争でそれを省みることもない。人々は自分の家族に手一杯で他人のことを見る余裕もなくなる。

(2)メディアの特徴とパーソナル化

 メディアの特徴として、僕は「増幅する」「コピーする」「人と人をつなぐ」の3点を挙げたい。「増幅する」とは、たとえば、一つのニュースを多くの人間に広めることができる。また「コピーする」とは、ビデオやパソコンのようなメディア機器に典型的だが、コンテンツやデータをコピーする機能のことだ。僕は、パソコンがインターネットが普及して爆発的に売れたのは、簡単にデータを取り込んでコピーすることができるからだと思う。そして電話やケータイは、「人と人をつなぐ」。特に、ケータイにいたっては、この3点の機能を兼ね備えている。

 さて、パーソナル化とは、家族で見ていたコンテンツが個人個人バラバラのコンテンツになるということである。昔は、電話は、一軒に一台、固定電話だった。玄関先におき、家族で使うのが当たり前だった。ケータイになると、絶えず持ち歩くので、それぞれが別のコンテンツを使っていることになる。もちろん、昔の電話は、人と人をつなぐ機能しかないが、少なくとも家族間のコミュニケーションはあったはずだ。その意味では、茶の間のテレビと同じ効果があった。
面白いのは、最近のケータイは「家族割り」や家族間無料化がセールストークである。ケータイは、ある意味、家族を分断してきた。CMを見ると、想定しているのは、家族から離れて生活している息子や娘たちである。今頃になって、「家族割り」を強調するというのは皮肉な話である。

(3)家族で住んでいてもコミュニケーションはない

特徴的なのは、最近の事件が、まず自分の家族を狙うというケースが多いことだ。本来、家庭は外の社会から帰ったときの安全地帯であり、緩衝地帯であるべきだ。それが、家族の性質が変化している。メディアがパーソナル化していると同時に家族も他人と変わらなくなってしまっている。やがて、自分の関心のあるニュースしか見なくなっていくことであろう。
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