夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

この国には希望だけがない

(1)奇妙なニュース

 最近のニュースの北京オリンピック報道はなんだか変である。前半のニュースコーナーでは、北京オリンピック聖火リレーの混乱を伝え、後半のスポーツコーナーでは、北京オリンピックに意気込む選手たちを伝える。これでは、視聴者も選手たちも、モチベーションが上がるはずもない。中国は意地でもオリンピックを成功に導こうとしているが、見ているほうの心はすでに冷えている。

 チベット問題について中国が火消しに躍起になっているのは、他の少数民族に移り、暴動が国内中に広まることを恐れるからだ。聖火リレーが終わった後、オリンピックも無事に開催できるかどうかも不安だ。果たして、選手は無事に帰ってこれるか、選手のボイコットはあるか、観客の安全は保たれるか。

(2)不安に満ちた日本に暴動が起らない不思議

 ひるがえって、日本はどうか。年金問題や後期高齢者医療制度の不祥事や、食品の値上げ、食品偽装による「食の安全」への不安など、不安のオンパレードである。なぜ、日本人は暴動しないのか。暴動をしても変わらないと思ってあきらめているのか。

 「食の安全」の偽装事件は、ブランドに寄りかかった企業の責任だという。しかし、消費者もまたブランドに寄りかかってはいなかったのか。専門家に任せれば安心といって、自分たちの責任を放棄していなかったか。信頼できる専門家を作らず、自称専門家たちに任せてしまった責任は誰が取るのか。

(3)子供たちに心の喜びがなくなったのはなぜ

僕は、「豊かさとひきかえに夢を失っていないか」という文章でこんなことを書いたことがある。
イラク報道を見て気になったことがある。それは、子供たちの目の輝きである。貧しいのに、悲惨なのに、子供たちは好奇心むき出しで生き生きしている。これはイラクだけではない。アフリカの子供たちも同様である。一方、日本の子供たちは、なぜか疲れたような大人びた顔をしている。

(中略)

 豊かさと夢が別物であることに気がつかなければならないのだ。豊かであっても夢は持てる。いや、生涯、夢を持って進まなければ人間として生まれてきた価値はないと思う。

彼らの国には、平和がないし、日本ほど豊かでもないし、情報も少ない。それでも、目の輝きは誰にも負けない。その理由はなんだろうか。

(4)この国には希望だけがない

僕は、このタイトルで文章を書いたことがある。

この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」(「希望の国のエクソダス村上龍著/文藝春秋)

これは5年前に出版された同じ村上龍氏の著書である。話はこうである。内戦中のパキスタンで16歳の日本人の少年が発見された。彼は現地ゲリラと同じような格好でカラシニコフを肩からさげている。報道記者が聞く。

「なぜここに君がいるんだ?」

「この先の谷には数万発の地雷が埋まっていて、誰かが除去する必要がある、われわれの部族はそれをやっている」

「日本が恋しくはないか?」

「日本のことはもう忘れた」

「忘れた? どうして?」

「あの国には何もない、もはや死んだ国だ、日本のことを考えることはない」

「この土地には何があるんだ?」

すべてがここにはある、生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り、そういったものがある、われわれには敵はいるが、いじめるものやいじめられるものがいない」(「希望の国のエクソダス村上龍著/文藝春秋)

どうやら、「生きる喜びのすべて、家族愛と友情と尊敬と誇り」とある通り、人間のつながり、家族などの人間と人間のコミュニティを指しているらしい。

(5)コミュニティが消えつつある日本

子供たちが希望をなくした理由はおそらく「自分の将来が見えてしまった」からではないだろうか。だが、それは不安ばかりのニュースを組み立てて、彼らの頭の中で勝手に作り上げたものだ。知らない人間と出会うことは、まったく違う世界を知ることである。積極的に出会うことで、希望は開けていくのだ。「希望の国のエクソダス」を書いた村上龍氏は「13歳のハローワーク」で一つの結論を出した。
何をすればいいのかわからない」というのが、現在の日本を読み解くキーワードではないのか、ということだ。

多くの政治家や官僚、不良債権を抱える多くの銀行、債務に苦しむ多くの衰退企業、貸し渋りに喘ぐ多くの中小企業、リストラされた中高年、フリーターの若者、社会的ひきこもりの人びと、犯罪に走る少年たち、ホームレスの人びと、彼らはダメになっているのではなく、「何をすればいいのかわからない」のではないだろうか。

「何をすれば」というときの、「何」は、生きる意味や人生の目的といった曖昧なものではなく、どうやって充実感と報酬を得るのか、という仕事に結びつくものではないかと思う。「13歳のハローワーク・おわりに」村上龍著/冬幻舎)

 そして「はじめに」では、
13歳のハローワーク」というタイトルにしたのは、13歳という年齢が大人の世界の入り口にいるからです。

(中略)

13歳は自由と可能性を持っています。だからどうしても世界が巨大に映ってしまって、不安ととまどいをを覚えるのです。私は、仕事・職業こそが、現実という巨大な世界の「入り口」なのだと思います。私たちは、自分の仕事・職業を通して、世界を見たり、感じたり、考えたり、対処したりすることができるようになるのです。

(中略)

この本にある数百の仕事から、あなたの好奇心の対象を探してみてください。あなたの好奇心の対象は、いつか具体的な仕事・職業に結びつき、そしてそれが果てしなく広い世界への「入り口」となるでしょう。(「13歳のハローワーク・はじめに」村上龍著/冬幻舎)

 これは決して、13歳だけの問題ではない。日本全体が不安の暗闇に陥り、「何をすればいいのかわからない」状態になってしまったからだ。責任を押し付けあうだけでは、物事は進まない。まず、友達を作りコミュニティを築いていくことだ。メディアに囲まれただけでは人と人とのコミュニケーションはとれないのである。


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