夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

メディアは夢の箱か、パンドラの箱か

 ここ一連の記事「メディアは人間を幸せにしたか」や「この国には希望だけがない」などは、最近のニュースメディアの特徴が人々に不安を持たせる記事ばかりであることに対して、もっとメディアには夢や希望を語ってもらいたいと思って書いている。

僕は、「テレビは視聴者を信じない」でこんなことを書いた。

英語イメージ辞典」(赤祖父哲二編/三省堂)にこうある。

Dream夢
米語で映画産業のことをdream factory、TVのことをdream machineという。American Dream(立身出世の夢)をふりまいてくれるからである。(赤祖父哲二編「英語イメージ辞典」三省堂)

 テレビはかつてdream machineだった。人々にたくさんの夢を見せてくれた。日本の訳語でテレビジョンがいつしかテレビと略されるとき、そこにはすでにビジョン(展望)がなくなっていた。

 昭和30年代、テレビで放送されるアメリカ製のホームドラマは、日本の視聴者にアメリカや未来に夢を抱かせた。大きな冷蔵庫やアメ車は、日本が経済成長で獲得するべきステータスシンボルだった。(アメリカに)「追いつけ追い越せ」の言葉は高度成長を達成するための、日本の企業戦士のための合言葉だった。そのときは、テレビは十分にdream machineだったのだ。しかし、成長してみると、そこにはバラ色の未来だけではなく、大きな影の部分、ダークサイドが潜んでいることに気がついた。山が高ければ高いほど、その影が大きいように。

僕は、「テレビの魔力」にこんなことを書いた。

 テレビには人をひきつける魔力がある。それが「テレビは視聴者を信じない」で触れたdream machineかパンドラの匣かわからないが。
なおパンドラの匣を知らない読者のために太宰治の「パンドラの匣」(新潮文庫)から引用する。

君はギリシャ神話の「パンドラの匣」という物語をご存知だろう。あけてはならぬ匣(はこ)をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬、貪欲、猜疑、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫が這い出し、空を覆ってぶんぶん飛び廻り、それ以来、人間は永遠に不幸に悶えなければならなくなったが、しかし、その匣の隅に、けし粒ほどの小さい光る石が残っていて、その石に幽(かす)かに「希望」という字が書かれていたという話。(太宰治著「パンドラの匣」新潮文庫)

 主にテレビを取り上げたが、インターネットでも伝えるという点では同様である。その点で、メディアは人に不安を与えるパンドラの匣になることもあるが、「人間捨てたもんじゃない」と人に勇気や希望を与えるdream machineにもなりうるのだ。
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