夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

「おバカ」の時代

(1)クイズと「おバカ」

今年のバラエティー番組、なぜかクイズ番組が花盛りだ。週刊プレイボーイ4/7号の記事タレント争奪戦は? 珍回答の“仕込み”は? ブームはいつまで?… 4月から週28本!! テレビ業界「クイズ番組バブル」の“おバカ”な裏側という記事があった。
島田紳助司会の『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系)が“おバカブーム”を巻き起こし
とある。最近、スペシャルが放送されたので見直してみると、初期の『ヘキサゴン』とずいぶん様相が変わっている。
 クイズ!ヘキサゴンWikipediaでは、
 6名の出場者が順番にクイズを出題し、他の出場者の正解・不正解を推理し、他の出場者に×3つを付けさせて生き残るクイズである。優勝するためには、クイズに答える知識だけでなく、他の解答者との駆け引きや戦略が必要だった為、番組が始まった当初は「知識の格闘技」とも呼んでいた。

 2003年のゴールデン進出当初こそ好調だった視聴率は、2005年に入ってNHK総合テレビの「ためしてガッテン」やテレビ東京の「いい旅・夢気分」と言った、サラリーマンや中高年齢層(主にお年寄り)などを主力とする裏番組に苦戦するようになってきたので、2005年6月15日に「今夜はクイズパレード!!」を副タイトルにリニューアルし、6名×3チーム戦となった。そして、2005年10月からは水曜19時台(19:00〜19:57)に放送時間帯を繰り上げて、番組タイトルも「クイズ!ヘキサゴンII」に変更した。

 その頃のエピソードを描いた記事が日経トレンディネットに載っていた。 アナタは何人知っている? 年末・年始も引っ張りだこの“おバカ”タレント、そのブームの背景に迫る!
 そもそも、『クイズ!ヘキサゴン』は深夜番組としてスタート。クイズ番組というよりは心理ゲームの側面が強かった。神原氏(フジテレビプロデューサー)によると、それが今の形になったのは偶然だと言う。

ゲームの企画として完成形が出来ていた番組に限界を感じ、一度スペシャルで違うことをやってみたいと提案したときに、島田紳助から「バカから賢い人まで一斉に出られるクイズ番組ってあまりないよね。そういう人間を集めてテストでチーム分けをし、階段席に並べて、早押しクイズとかやったら面白いんちゃう」という話が具体的に出た。

では早速やりましょうとやってみたら結果的に今のようになったそうだ。“おバカ”キャラは初期のころは、村上ショージ山田花子などの芸人が中心だったが、徐々に芸人ではない若槻千夏大沢あかねほしのあき熊田曜子のようなグラビアアイドルが入ってくるようになった。(アナタは何人知っている? 年末・年始も引っ張りだこの“おバカ”タレント、そのブームの背景に迫る!)

記事によると、これらのおバカタレントの特徴は
(1) バカであることに後ろ向きにならないポジティブさ

(2) 予想がつかない、お笑い芸人には思いつかないような面白さ

(3) “おバカ”タレントは、どんなに恥ずかしい珍回答、とんちんかんな受け答えでも、明るく受け止め、明るく返す。

(4) 見た目のかわいさ、カッコよさ、さわやかさもあるので、タレントとしての好感度も高い。

(5) 嫌味が無いし、狙っていない、計算していない感じが視聴者にも伝わる。そして可愛げがある。同世代には嫌味がないところが好かれるし、少し上の人からは温かく見守ってもらえる

(6) 本能でしゃべり、反射神経で答える彼らのワザは努力して真似できるものではない

(2)漫才と「おバカ」

 漫才にも「おバカ」の役割である「ボケ」がある。漫才では、「ボケ」と「ツッコミ」は客がウケるように計算して作るが、クイズの場合、あらかじめ問題が明らかにされていないので、計算できない。その点で、「おバカ」を相手に漫才するのはなかなか難しい。かつて「紳助竜助」時代では、ボケ役だった島田紳助がクイズの司会者として現在は「おバカ」にツッコんでいる点が面白い。

 僕は、昨年の8月に「総ツッコミ時代の原点はコント55号」でも、

 たとえば、「行列ができる法律事務所」の島田紳助明石家さんまのトークバラエティー。紳助は紳助・竜助のときは、ボケ役だったが、現在の番組では、タレントたちをボケ役にして自分はツッコミ役になっている。

 面白いのは、「紳助・竜助」「ツービート」「B&B」などかつて一世を風靡した漫才師たちのうち、現在残っているのはいずれもボケ役だったことだ。つまり「常識人」であるツッコミはよほど別の才能がない限り、相手がいなければ、単独で生き残るのは大変難しいのだ。

と書いている。かつて漫才師たちだった人たちが、今ではクイズ司会者として回答者たちにツッコんでいるというスタイルは、島田紳助によって完成されたのかもしれない。少なくとも、公平中正な局アナのクイズ司会よりも、トークを楽しむためのお笑いタレントによるクイズ司会の傾向はさらに深まるだろう。「おバカ」たちは、外野からは白い目で見られ続けながらも、日本のテレビの低俗さに寄与していくことだろう。ただ、視聴率のために。

(3)きっかけはあるある大事典

さて、冒頭の週刊プレイボーイの後半の記事にこんな文章があった。
あるある大事典?」のヤラセ問題以来、世間の目が厳しくなってきているので、情報番組や健康番組はどうしても作りづらいんですよ。その点、クイズ番組はF2層(女性35〜49歳)やF3層(女性50歳〜)がターゲットなので、スポンサーからのウケがいいんです」(タレント争奪戦は? 珍回答の“仕込み”は? ブームはいつまで?… 4月から週28本!! テレビ業界「クイズ番組バブル」の“おバカ”な裏側/週刊プレイボーイ4/7号)
僕は、あるある騒動のとき事件の報告書から局の姿勢についてまとめたことがある。「テレビ局は永遠に間違え続けるのか」から

(1)当事者意識の欠如

 その番組、そのテーマ、その事実に対して強い関心を持ち、敢然と取り組むのだ、という明確な意欲や意気込みを感じ取れなかった、ということである。どこか他人事なのだ。誰もがどことなく他人任せであり、自分はそのテーマや事実や知識を本気で信じてもいなければ、真正面から取り組んでいるわけでもない、という気配が漂ってくる。
(2)リサーチの軽さ(事実・真実・知識への安易な取り組み)
 このような安易な取り組み方が常態化した背景には、生活情報バラエティー番組の「わかりやすく」「面白く」という制作手法が影を落としているだろう。こまごまと、複雑な事実を集めても、番組では使えない。そんなことに手間やコストをかけるよりも、ものごとすべてを単純化し、簡単に、手軽にわかることの方がいい、という発想が、制作現場に浸透し、その全体を覆い尽しているように見える。
(3)専門的知識の安易な利用
 言い換えれば、意図したテーマから外れたり、テーマに反するコメントや事実はいらないということである。それらは当然のように、切り捨てられる。事実や真実や知識がそれほど単純なものではないことは、いくら強調してもしすぎることはないが、今はそのことはおいておく。要は、テーマに沿った、都合のよいコメントや事実が集められるということである。そうやって編集が進み、番組として仕上げられていく。

 ここにないのは、コミュニケーションである。都合のいい説明やコメントをしてくれる相手とすら、本質的なコミュニケーションが成り立っていない。あたかも必要な材料だけを調達してくるように、番組で使えそうな言葉だけを拾ってくる。テレビは最大のマスコミと言われながら、ここには取材する側とされる側とのあいだの真剣なやりとりがない。葛藤がない。コミュニケーションがない。

クイズ番組と生活情報番組、どちらも正しい情報を伝達することに変わりはないはずだ。「わかりやすく」「面白く」というテーマは共通であってもいいのだが、果たして、テレビ局の姿勢として「あるある大事典」の騒動を自分の問題としてとらえていないところが日本のテレビの「おバカ」な点なのである。はじめから、この番組は一過性のものであり、決してもう一度見てくださいなんて言いません。ただ、その時間は明るく楽しく面白く笑ってくださればいいのですから。そんな声が聞こえてくる。
ブログパーツ