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素人だから言えることもある

黒手塚ワールド「バンパイヤ」

「MW」の結城と「バンパイヤ」のロック

黒手塚ワールド「MW」を書いていて、この結城美知夫と似たような、犯罪者を描いた手塚マンガを思い出した。
それが「バンパイヤ」のロックである。バンパイヤのWikipediaにはそのストーリーにこのくだりがある。
ロックは、なんと孤児であった自分を引き取ってくれた恩人である大富豪大西氏の娘ミカを誘拐して身代金を強奪することを計画(バンパイヤWikipedia)
「MW」の結城が政治家の秘書になり、その娘を誘拐して殺し、人質に成りすますのに対し、「バンパイヤ」のロックこと間久部緑郎は、ミカを誘拐したあと、女装して大西ミカに成りすますシーンがある。(手塚治虫漫画全集MT142「バンパイヤ」講談社)

「MW」が、ビッグコミック・スピリッツに連載されたのは、昭和51年、「バンパイヤ」が少年サンデーに連載されたのは昭和41年であるから、実に10年前にその原型が作られたことを意味する。「MW」の結城は、彼が冷酷になったのは、「MWの化学兵器による影響」と賀来神父は推測しているが、「バンパイヤ」のロックの冷酷さはどこから来たのであろうか。

掲載誌で描かれたことが単行本で消えてしまったわけ

手塚治虫の奇妙な資料(野口文雄著/実業之日本社) に、
間久部緑郎がどうしても途方もない悪党になったのかを、かつての親友が激白した、しかし単行本化に当たって、なぜか作者によって極秘のうちに隠蔽された真実のドラマだ!
親友の名は西郷風介。幼い頃に孤児になって体も弱く、誰にも相手にされなかった緑郎を慰め励まし一緒に遊んでくれたのが、あまり頭は良くないが、気は優しくて力持ちのフーちゃん、すなわち風介だったのだ。彼がいたから緑郎は頑張った。頑張って勉強をし、いつも風介に宿題を教え、手伝った。
(中略)
物語も大詰め、西郷は語りだす、「間久部の両親は自殺したんでごわす」と。聞いたヒゲオヤジ探偵の顔は風船のように膨れ上がり、深刻な内容に耐えかねてヒョウタンツギも出てきた (連載誌のコマの説明) 。西郷の話は続く。間久部の父親は突然会社をクビになり、生活苦から両親は飛び込み自殺。幼い緑郎は会社をうらんだが、その会社も潰れてしまって、やり場の無い憤りを彼は世の中全部に向けた!!こうして幼い心に社会への復讐心が芽生えた。これが間久部を激しい悪に駆り立てた衝撃のドラマの真相だ!( 野口文雄著「手塚治虫の奇妙な資料」実業之日本社)
野口氏は、このシーンが単行本で切られたのは陳腐だからという。確かに、長々とその人間の動機を説明したところで、本当の心は理解できないだろう。むしろ、語れば語るほどうそっぽくなるのではないか。

「バンパイヤ」のロックとは何だったのか

手塚治虫の「ぼくはマンガ家」(大和書房) に、
ロック・ホームという無国籍的な少年は、デビューが探偵ものだったので、シャーロック・ホームズから名をとったのだが、あちこち登場させたにもかかわらず、あまり印象に残らず、損なキャラクターだった。
ところで、最近、彼に黒眼鏡をかけさせて、徹底的にドライな悪役で「バンパイヤ」に出してみた。これは当たった。ことに若い娘が山のようにファン・レターをよこした。アラン・ドロンみたいだ、というので恐縮した。やっと当たり役にめぐりあったわけである。(手塚治虫著「ぼくはマンガ家」大和書房)
と紹介されている。バンパイヤは本来、トッペイという狼男が主人公なはずであった。それがいつの間にか、悪役であるはずのロックが注目されてしまった。

漫画評論家の米沢嘉博氏は「手塚治虫マンガ論」(河出書房新社)の中で、

第一部は、人間の獣性へのあこがれ、管理社会から自由であろうとすることの意味を怪奇小説や民間伝承に残る変身譚とからめながら語っていこうとしたが、ナルシストにして悪の魅力を輝かせる美少年ロックの人気によって、ピカレスクロマンへと変化していくことなった作品だ。人間だと思ったものがそうではないというバンパイヤの存在に明らかなように、すべては見えるとおりのものではないという確固たる日常の崩壊によって、世界そのものが変容していく。ロックの変装、彼の作った秘密屋敷などもその流れにある。こうした物語世界の中で、自分だけしか信じないロックが主人公となっていったのは当然の帰結だったろう。(米沢嘉博著「手塚治虫マンガ論」河出書房新社)
何もかも変化しうつろい、誰も信じられず、まして自分すらも信じられない現代、少なくとも自分だけを信じられるロックはある意味、現代人の憧れかもしれない。だが、「復讐するには我にあり」の榎津、「MW」の結城と同じく、実は心の中に誰にも理解されない巨大な空洞を抱えていることに変わりはない。
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