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素人だから言えることもある

「宝物とは知識」インディ・ジョーンズを見て考える

かつて考古学者は冒険家であった

 インディ・ジョーンズ・クリスタル・スカルの王国を見てきた。その中で出てきたのが、「宝物とは知識」という言葉であった。エルドラドでも黄金都市でもない、金塊や財宝でもないのだ。

 そういえば、最近の映画、歴史の中のミステリーをさぐるトレジャー・ハンターものが大流行だ。ニコラス・ケイジの「ナショナル・トレジャー」しかり、アンジェリーナ・ジョリーが出ていた「トゥーム・レイダー」しかり、ダビンチ・コードだって、ハムナプトラシリーズだってそうである。

 なぜ、考古学者が冒険家なのか。トレジャー・ハンターのWikipediaにはこんなことが書いてある。

海(沈没船)や山、廃墟、遺跡など、主に人の手の入ることのない場所に赴き、遺された「財宝」を探し出す(トレジャーハント、もしくはトレジャーハンティング)ことをおもな目的とする。

「財宝」は狭義では黄金や宝石といった換金可能なものであるが、広義においては考古学的に価値のある物品や、著名な人物の遺骨などといったものも含まれる。また、世間的には価値のない代物であっても、トレジャーハンター自身にとって貴重であると判断されれば、それは財宝とみなされるため、その基準は非常に曖昧なものとも言える。アメリカやイギリスなどでは、トレジャーハントのみで生計を立てるプロのトレジャーハンターも存在する。

 映画でも、自分がその大学で考古学を教えているにもかかわらず、図書館にバイクで飛び込み、学生の質問に「その理論は古い。図書館では(考古学は)学べない」というようなことを言っていた。おそらく、図書館から世界に出て冒険しなければ本当の知識は得られないという意味だろう。

学者は知りたがり

 人間というのは、物を知れば知るほど、さらに奥深く知りたくなるものらしい。それは、財宝なんかよりもわくわくしたものに違いない。
ゲーテファウストを漫画にした手塚治虫の「ファウスト」で
やれやれ、わしは世界中の学問という学問はかたっぱしからみんな一通りやってみたのにまだ広い天地の大秘密を知ることができないなんて
ネオ・ファウストでは、
生命とは何か!? なぜ人は生命を作りえぬのか?その答えを50年かかって求めてきた。
あと30年…せめて30年若かったら…かならず、なんらかの解答のカギを見つけたろうに…
この「ネオ・ファウスト」は未完なのだが、「手塚治虫氏に関する八つの誤解」(長谷川つとむ著/柏書房)(現在は中公文庫)の中で、手塚の言葉を引用している。
「さらにゲーテの作品では、ホムンクルスという人造人間がちょっと出てきてすぐ消えてしまいましたが、私の今度の作品では最後まで生かそうと思うのです。過激派のリーダー石巻は、メフィストに殺されるのですが、彼は死ぬ前に自分の精子を坂根(坂根第一=ファウスト)に渡して、“これを培養して将来バイオテクノロジーの実験に使ってくれ”と言うのです」

「結局、石巻の精子はクローン人間として誕生します。このクローン人間は石巻の分身ですから、彼の持っていた根っからの革命精神というか、闘争精神のようなものがあるわけです。それを坂根がなんと思ったか、ホムンクルスのような新しい生物に作り直してしまいます。そしてそのホムンクルス型の生物が地球を破壊してしまうのです」

「先ほど、バイオテクノロジーが主題だと申し上げましたが、もっと申しますとバイオテクノロジーに対する私の不安とか拒否反応がメインテーマなのです。ところで、地球が破壊されてしまうのですから、ゲーテが導入した“救い”がなくなって、伝説上のファウストの地獄堕ちという形になりそうです。下手に描くと夢も希望もないカタストロフィーに終わってしまいそうですが…。今の若い人は終末思想に近いものを持っていて、意外と醒めていますから、それでも良いのかもしれませんが…。やはり作者としては、救いを導入しないといけないでしょうねぇ…。しかし、これもうまくしませんと、妥協的な安易なものになってしまいます。このへんで迷っているんです」 (長谷川つとむ著「手塚治虫氏に関する八つの誤解」中公文庫)

 長谷川氏はゲーテの作品と比較して
ゲーテ作品でホムンクルスがせっかく登場しながらエーゲ海上であえなく砕け散り、“人間の知恵だけから生じたものは、成り出づることはできぬ”ことを説いたのに対し、石巻のクローン人間から作り直されたホムンクルスは地球を破壊する。つまり人間の知恵から生じたものが神の作った大自然をこわすという恐ろしさが語られる点である。(長谷川つとむ著「手塚治虫氏に関する八つの誤解」中公文庫)
 映画に戻れば、インディ・ジョーンズは、ネバダの原爆実験の町に迷い込む。そこは人形だけが住んでいた奇妙な町であった。これこそが「人間の知恵から生じたものが神の作った大自然をこわすという恐ろしさ」の象徴ではないのか。破壊(殺)される危険を冒してでも真実を知りたいという学者のサガではないのか。(なおホムンクルスと手塚に関しては「黒手塚ワールド「どろろ」に書いた。)

Googleと知識、「富の未来」の最終目的は

「世界中すべての情報を検索可能にし、指先一つで呼び出せるようにする——。そんな壮大な目標に突き進んでいるのがグーグルだ。その舵(かじ)を取る。
 インターネット上の文字や画像はもちろん、世界中の地図や航空・衛星写真を閲覧できる。まだごく一部だが、月や火星の表面写真も見られる。今や世界中の人が、グーグル経由で情報にアクセスする。いわば、グーグルを通して世界を見ている。 」(グーグルCEOの事)
この言葉は、「ダークサイドに堕ちているのはグーグルか、マイクロソフトか」でも引用したが、これもまた知識の共有化である。ただ、検索=知識の修得にはならず、知っている人間はより深く知り、知らない人間は何も知らないままであることは確かである。ただ、知識という水道の蛇口を握っているのがGoogleだというのが気に入らないが。

 また、アルビン・トフラーの「富の未来」を自分なりにまとめて書いた「革命前夜」で、

第三の波では知識が富となる

 富というと、どうしても金銭のことだと思っていると話が食い違う。アルビン・トフラーは知識こそが富であるという。知識は決して減らないし、いろんなものをつけてどんどん増えていくものだという。たとえばリナックス。リナックスはソースコードを無料で公開しているので、いろんな人がこれにプログラムをつけて商品化している。もとが無料だからその商品も安くできる。そのような知識を持つものをたくさん抱えた国こそが裕福になるべきだが、国の制度は未だ第二の波のままで、たいへん変革が遅い。

 これからの時代、知識が富であるというのが、トフラーの意見であった。インターネットは、知識を広く循環させる武器である。だが、玉石混交の知識では図書館で学ぶ学生となんら変わりはない。自分でその知識の真実を見定める、情報選択能力を持っている人間が第三の波の「トレジャーハンター」なのではないだろうか。
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