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素人だから言えることもある

右肩上がり信仰をやめよ

すべての偽装は右肩上がりから来ている

 あいかわらず絶えない食品偽装問題。ぼくは、「もったいない」と食品偽装で、
作りすぎて売れないよりも、売れるはずなのに数が足らないのを恐れる。そのことはライバルメーカーの売り上げを増やすことになる。そのため、食中毒の危険もあるのに、賞味期限のラベルの貼り替えをしてしまうのだ。
と書き、食品会社偽装の歴史から次の言葉を引用した。
消費者は目当ての品が切れていた場合、小売店に苦情を言います。
小売店は品物があれば売れていて利益が得られるし、消費者からの苦情も避けたいので、卸業者に発注数を必ずそろえるよう求めていることが偽装を生み出したといえます。
つまり、生産数は多いに越したことはないと思っているのだ。そこには、「右肩上がり信仰」がある。ぼくは、前項「環境番組の自己矛盾」の中で、「地球にやさしい」という欺瞞」のエントリーの中から
ものをたくさん買ってもらって、それを捨てて、新しい商品を買ってもらう。それが、消費文明の基本である。たくさん買ってもらうには、生産量を増やさなければならない。それで、従業員を増やすことができ、職の確保もできる。賃金が上がれば、商品を購入できるし、その結果会社も儲かる。国家としても、法人税や所得税で潤うし、万々歳である。
という言葉を引用した。つまり、こういう考え方こそが「右肩上がり信仰」なのである。大量消費大量廃棄こそが「豊かな人生」のサブテーマである。豊かさとはモノであふれることなのか?

環境レッテルの矛盾

 ところが、景気が悪くなっていくと、物が売れなくなる。当然、生産量が落ちる。ところが、見せ掛けだけでも「あの店の商品は売れている」と思われたいために偽装が始まるのだ。少しばかり手抜きをしてもわかるまいと、古い商品を混ぜたり、ラベルを改ざんする。

生産量が落ちる=あの店はもうダメだ<生産量が高い=あの店は繁盛している

という法則が「右肩上がり信仰」にはあるらしい。不況という社会全体の問題が、いつのまにか個々の店の問題にすり替わり、奇妙な偽装努力が始まる。しかも、環境問題がさらに影を落としている。たとえば、「なぜ、エコロジーが偽装を生むのか。」では、古紙配合問題を取り上げた。

製紙メーカーはよりたくさん売れることが目的である。しかし、本当に「環境に優しい」ことを狙うのであれば、紙の生産自体を削減したほうが良いはずである。「環境に優しい」商品を大量に販売することは結局「環境に優しくない」からである。
 ところが、「環境に優しい」「40%古紙配合」というキャッチフレーズが付いてることでますます紙の消費が進む。そうなると、このキャッチフレーズがないと、あの製紙メーカーはエコロジーに努力していないと思われて、風評被害を受けるのである。真実をうたっていても、うそをうたっているメーカーの前では、売り上げの差が歴然とする。そうしてすべてのメーカーが偽装をしていく。

前項「環境番組の自己矛盾」でも、

しかも、CMでは、「私たちはCO2削減に取り組んでいます」のオンパレードである。
とあるように、この「私たちはCO2削減に取り組んでいます」もまた、「環境に優しい」「地球に優しい」と同じようなラベルに等しい。もちろん、それなりに努力をしていることは、疑わない。だが、果たして、去年の生産量を落としてまでも努力しているとは思えない。あくまでも、これらの企業は「右肩上がり信仰」にとらわれているのだから。
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