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素人だから言えることもある

リアル社会のマクガフィン

映画のマクガフィン

 マクガフィンとは、アルフレッド・ヒッチコックが言い出した言葉である。
マクガフィン(MacGuffin, McGuffin)とは、映画(スリラー・サスペンス物に多い)などの作劇上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる、仕掛けのひとつである。作品の登場人物は非常に重要なものだと考えているにも関わらず、観客にはほとんど説明されなかったり、説明されたとしても価値が疑わしいような「なにか」のことである。(マクガフィンWikipedia)
 ヒッチコックは、様々な映画でマクガフィンを多用している。

 映画『北北西に進路を取れ』(1959年/監督・アルフレッド・ヒッチコック)では主人公(ケイリー・グラント)がジョージ・キャプランという名の男に間違われることから物語が始まる。主人公は最後にその男が始めから存在していなかったことがわかる。マクガフィン」とはその存在自体が疑わしいのに物語上必要な『何か』である。主人公の回りはわけがわからないのに事件が立て続けに起こる。主人公のケイリー・グラントヒッチコックにこんなことを言った。

「なんてひどいシナリオだ。もう最初の三分の一の撮影がすんだというのに、何がなんだかさっぱりわからん」(「ヒッチコック映画術トリュフォー」山田宏一・蓮實重彦訳/晶文社)
 『北北西に進路を取れ』では、この「ジョージ・キャプラン」という名前こそがマクガフィンだったのである。さらに『汚名』(1946年/監督・アルフレッド・ヒッチコック)にもマクガフィンが登場する。ビンに入った「ウラニウム」である。
映画の中にはウラニウムが詰め込まれたワインのビンが4・5本出てくるというだけのマクガフィンだ。

いったい、そりゃなんだ。なんのつもりだ」とプロデューサーが聞くから、「ウラニウムですよ。原爆の材料です」といったら、「原爆とはなんだ」というわけだね。

1944年のことだからね、ヒロシマの一年前の話だ。(中略)原爆を映画のストーリーの土台にするなんてまったくばかげていると言うんだね。

「ストーリーの土台ではなく、マクガフィンにするだけですよ」と私は言って、マクガフィンというのは単にサスペンスのきっかけであり手口であって、すべてを単純にドラマチックにするための一種の口実であり仕掛けなんだから、全然気にする必要はないんだと説明してやったんだよ。それでも納得してくれないから、「ウラニウムがいやなら、ダイヤモンドにしましょう」とまで言ってやったんだよ。(「ヒッチコック映画術トリュフォー」山田宏一・蓮實重彦訳/晶文社)

 ヒッチコックは作家の友人からニューメキシコで科学者を集めて原爆の研究を極秘にしている話を聞いていたらしい。ともかく、ここに出てくる「マクガフィン」とは別にウラニウムでもダイヤでもかまわない。ただ物語のきっかけになるものだとヒッチコックは語っている。さて、この「マクガフィン」とは
T(フランソワ・トリュフォー(映画監督)) マクガフィン>という暗号は単にプロットのためのきっかけというか口実にすぎないのではありませんか。

H(ヒッチコック) そう、たしかに<マクガフィン>はひとつの<手>だ。仕掛けだ。しかし、これにはおもしろい由来がある。

君も知ってのとおり、ラディヤード・キップリングという小説家はインドやアフガニスタンの国境で原地人とたたかうイギリスの軍人の話ばかり書いていた。

この種の冒険小説では、いつもきまってスパイが砦の地図を盗むことを<マクガフィン>と言ったんだよ。つまり、冒険小説や活劇の用語で、密書とか重要書類を盗みだすことを言うんだ。それ以上の意味はない。

だから、へんに理屈っぽいやつが<マクガフィン>の内容や真相を解明しようとしたところで、なにもありはしないんだよ。わたし自身はいつもこう考えている——砦の地図とか密書とか書類は物語の人物たちにはたしかに命と同じように貴重なものに違いない。しかし、ストーリーの語り手としてのわたし個人にとってはなんの意味もないものだ、とね。

 ところで、この<マクガフィン>という言葉そのものの由来は何なのか。たぶんスコットランド人の名前から来ているんじゃないかと思う。こんなコントがあるんだよ。

ふたりの男が汽車のなかでこんな対話をかわした。

「棚の上の荷物はなんだね」とひとりがきくと、
もうひとりが答えるには、
「ああ、あれか。あれはマクガフィンさ」。

マクガフィンだって?そりゃ、なんだね」

「高地地方(ハイランド)でライオンをつかまえる道具だよ」

「ライオンだって?高地地方(ハイランド)にはライオンなんかいないぞ」。

すると、相手は、
「そうか、それじゃ、あれはマクガフィンじゃないな!」
と言ったというんだよ。

この小話はマクガフィン>というのはじつはなんでもないということを言っているわけだ。(「ヒッチコック映画術トリュフォー」山田宏一・蓮實重彦訳/晶文社)

 現代の映画でも、スピルバーグの「インディ・ジョーンズ・クリスタル・スカルの王国」でも、
 本シリーズはこれまでも様々なマクガフィン(観客の注意をひきつけるための作劇上のサスペンスの要素)を巡って冒険が展開されてきたが、今回は“クリスタル・スカル”を巡ってストーリーが展開される。

脚本家のデビッド・)コープが語る。「このシリーズでは、実際にある神話を基にして、自分たちの物語に組み込むことが大切なんだ。マクガフィンとして、クリスタル・スカルは素晴らしいよ。なぜなら説得力があり、明確にどこからきたという説明もなく、自分たちでそれを作り上げることが出来るからね」

 本作のマクガフィン——クリスタル・スカルについて、(ジョージ・)ルーカスも太鼓判を押す。
「スカルに関しては多くの伝説が世界中にある。今回、インディ・ジョーンズが追うのには完璧なマクガフィンだと思ったよ」(インディ・ジョーンズ・クリスタル・スカルの王国プログラム)

 マクガフィンは映画の目的を明確にし、ストーリーを収束させる。ともかく、必ずマクガフィンの謎は解ける。だが、それを見つけたらどうなるものでもないが。

リアル社会のマクガフィン

 リアル社会でも政治家などにより、到達目標が示され、人々はそれに向かって、まい進する。その目標が壮大であればあるほど、マクガフィン化する。それに引き込まれた人たちは、疲れ果て、絶望することもある。多くの問題が、その人にとって切実であるからだ。しかも、映画のマクガフィンと違って、メデタシメデタシになることはあまりない。

 スピルバーグの映画「プライベート・ライアン」は、映画でありながら厳しい現実のリアル社会を描き出す。

史上最大の作戦ノルマンディー上陸作戦。掩蔽壕の機関銃座から猛烈な銃撃を受けながらもオマハ・ビーチ上陸作戦を生き残った米軍第5軍第2レンジャー大隊C中隊中隊長のミラー大尉は、ジェームス・ライアン二等兵をノルマンディー戦線から探し出し、無事帰国させるため、敵陣深く進入する危険極まりない任務へと赴く。

ライアン二等兵の3人の兄は既に皆戦死し、軍は母親のために息子たち全員の戦死を防がねばならない、という理由で彼の救出を命じたのだった。

ミラー大尉は、たった1人のために8人の部下の命を危険にさらすこの任務に疑問を抱きながらも、なんとかライアン二等兵を探し出すことに成功するが……。(プライベート・ライアンWikipedia)

 この場合、ライアン二等兵がマクガフィンである。戦争つながりではあるが、リアル社会のイラク戦争の大量破壊兵器を思い出す。
イラク大量破壊兵器、開発計画なし…米最終報告

【ワシントン=菱沼隆雄】ブッシュ米政権がイラク戦争の大義の柱に掲げながら、未発見となっていた大量破壊兵器の捜索を続けていた米政府調査団のチャールズ・デュエルファー団長は6日、開戦時にはイラク国内に大量破壊兵器は存在せず、具体的開発計画もなかったと結論づけた最終報告書を米議会に提出した。ただ報告書は、国連制裁が解除されれば、再び開発に乗り出す意図はあったとしている。

 この「大量破壊兵器」こそがブッシュ大統領イラク戦争を遂行するためのマクガフィンだったわけである。このマクガフィンが発見されていれば、映画「イラク戦争」は完結していただろう。現在は、どうやって締めるかを模索中である。

 映画のマクガフィン」とはその存在自体が疑わしいのに物語上必要な『何か』とすれば、リアル社会のマクガフィン」とはその存在(達成)自体が疑わしいのに政治遂行上必要な『何か』である。つまり、「マクガフィン」の発生源が政治家の発言によるものが多いからだ。もともと「大言壮語」の体質のためであろうか。もっとも映画でも、政治でもマクガフィンは一つにしてもらいたい。そうじゃないと、観客も国民も混乱する。
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