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素人だから言えることもある

日本、スラム化の予感

賃金が上がらない

 日経ビジネスオンラインにこんな記事があった。

 賃金抑制はもう限界

 2002年以降の景気回復で企業部門は大企業を中心に史上最高の利益を更新し、高収益、好決算を続けてきた。にもかかわらず、「賃金」の伸びがさっぱりだからだ。(賃金抑制はもう限界)
としている。その理由は、
 1997〜98年の不況の時には、減税や賃金アップで家計の可処分所得が増加しても、家計の消費意欲が縮んでいるので所得増加分は貯蓄に回り、景気拡大につながらないという議論があった。しかし、日本の家計の貯蓄率は80年代以降趨勢的に低下が続き、今では2%台でしかない。

家計の過剰な貯蓄意欲が内需主導成長を妨げているというようなことは、今日では起こっていない。過剰な貯蓄で需要の拡大を阻害しているのは大企業部門なのだ。

(中略)

 ではどうすれば、企業から家計への所得移転を増やし、内需主導の成長に舵を切れるのだろうか。

 実はこの点も、既述の経済諮問会議の専門調査会が重要なヒントを提示している。同調査会で提示された調査資料は、2002〜2007年の期間について、低賃金のパート労働の比率の急増により、この期間の賃金低下のほとんどを説明できることを示している。同時にフルタイム労働者とパート労働者の賃金格差を国際比較すると、日本のパート労働者の賃金はフルタイム労働者の50%そこそこで、主要欧州諸国の70%超(ドイツは80%超)と比べるとかなり低い。

 従って、パート労働者に対する労働条件の改善、具体的には正規雇用、パートの区別なく同一労働=同一賃金の原則、厚生年金の適用拡大などを最低賃金の引き上げとセットにして推し進めれば、労働分配率の向上と家計消費の回復に大きく寄与するだろう。 (賃金抑制はもう限界)

 つまり、企業は儲かっているが、その収益は労働者に還元されていない。むしろ、非正規雇用に拍車を掛けているのである。正規雇用と非正規雇用を同一賃金にすればいいではないかという意見が通らないのは、派遣産業が企業の関連ビジネスとして成り立ってしまっているからだ。

 東京新聞にこんな記事があった。

スコープ 『日雇い』など労働者派遣規制強化  法改正へ議論白熱

 日雇い労働者の派遣禁止など労働者派遣の規制強化に向けた政府内の議論が難航している。福田内閣は今秋の臨時国会労働者派遣法改正案の成立を目指しているが、企業側が規制強化に消極的なためだ。一方、民主党など野党は、より厳しい規制を盛り込んだ改正案の共同提出を検討しており、規制強化をめぐる議論が熱を帯び始めている。

(中略)

 また、企業内に派遣会社をつくる「グループ企業派遣」は、グループ内への派遣割合を八割以下とするよう規制の必要性を指摘。派遣会社が得る手数料(マージン)の開示を義務付けることも盛り込んだ。

 しかし、改正案の内容を検討する厚労省の審議会では、企業側代表が「日雇いを禁止すれば、独自の求人が困難な中小企業は人材不足となり、経済的影響が大きい」などと、規制強化に慎重な姿勢を崩しておらず、改正案の最終決定までには曲折が予想される。(スコープ 『日雇い』など労働者派遣規制強化  法改正へ議論白熱)

 グループ企業派遣として定着してしまった派遣会社は、むしろ労働力のコストカットのために企業としてはなくてはならない存在となる。

もともと、日本は物価高の高コスト社会である。コストカットはやりつくし、これ以上のコストカット化できない現在、本社を海外に移すか、グループ企業派遣によってより安い労働力を使うかしか方法はないのだ。

そのため、正社員はできるだけ削減し、残りの労働力を非正規雇用でまかなうことになる。したがって、企業としては、「正規雇用、パートの区別なく同一労働=同一賃金の原則」はありえない選択肢である。それでは、何のメリットもないからだ。労働者社会派遣事業Wikipediaには企業側のメリットとして、

人件費の抑制

・派遣社員への給与を、固定費としてではなく変動費として計上することが可能。また、企業が派遣元へ支払う金銭は消費税法上「課税仕入れ」となる。その結果国などに納める消費税等を安く済ませることができる。

・労働力を必要な時(業務繁忙期、年末調整など)にのみ、必要な分だけ、確保する事が容易。(労働力のジャスト・イン・タイム)

・自社の正社員採用にともない発生するリスク(不適切な人材の採用等)が減らせる。 (労働者社会派遣事業Wikipedia)

 また、「コストカットをすればするほど貧乏になる」ではこう書いた。
 さらに、コスト・カットをしなければならないとすれば、本社を海外に移す。税金の安い国はどこでもある。ところが、こうしてコスト・カットをすればするほど、消費者の収入は確実に減っていく。なぜなら、生産現場がなくなり、働く場所が減っているからである。かといって、生産国に消費者を求めても、物価の関係で割が合わない。消費者のためにコスト・カットをしているのに消費者を減らしている。

貧困ビジネスとしての派遣産業

 「生きづらさ」について(雨宮処凛・萱野稔人共著/光文新書)には、次のような言葉がある。
雨宮 ただ疑問に思うのは、その結果、貧困層が増えて、結婚もできず、子供も産めず、消費もできなくなったら、内需拡大という点でも、税収アップという点でも、ぜったい国家は損をするんじゃないかということです生活保護の負担だって増えるだろうし。そのあたりは国家としてどう考えているんでしょうかね?

萱野 おそらくそうした問題は、これまではあんまり考えてなかったんじゃないでしょうか 、バブル経済崩壊後の不景気の中、企業の国際競争力や収益率を上げることが急で。

 ただ、短期的にはそれでも何とかうまくいきました。ポイントは借金です。貧乏になった不安定層には借金をさせて消費させるわけです。非正規雇用が広がっていったときに、いかに消費者金融(サラ金)がぼろ儲けしたか。(雨宮処凛・萱野稔人共著「生きづらさ」について/光文新書)

 そこで派遣会社とサラ金の関係の一例としてフルキャストがあげられた。
雨宮 フルキャストで働くには登録カードをつくる必要があるんですが、なんとその登録カードがサラ金(フルキャストファイナンス)のカードにもなっている(笑)。これは果たして合法なのかと思ってしまうほど、恐ろしいシステムです。しかも、フルキャストで働くと、日払いの給与明細の裏にフルキャストファイナンスの広告が入っていて、「いつでもお気軽に」みたいなコピーが載っている(笑)。なぜこういうのが野放しになっていて規制されないのか不思議です。

萱野 それは完全に昔の飯場(土木建築の現場近くに仮設された労働者の合宿所)と同じ構造になっていますよね。

 飯場では、流動化した不安定労働者を集めて、働かせて、仕事が終わると賭博をさせる。その賭場を開帳しているのは、もちろん飯場を管理している労務供給者です。で、労働者が賭場で負けるとカネを貸す。その結果、労働者は借金のせいで、いくら仕事が厳しくてもやめられなくなる。(雨宮処凛・萱野稔人共著「生きづらさ」について/光文新書)

 さらに、人材派遣会社は貧困ビジネスだという。
萱野 「貧困ビジネス」というのは、「もやい」の事務局長をしている湯浅誠さんの造語で、「誰にも頼れなくなった存在の、その寄る辺なさにつけ込んで、利潤を上げるビジネス」を指しています。

具体的には、消費者金融、人材派遣会社、ギャンブル、ネットカフェ、フリーター向けドヤ・飯場、集金・礼金・仲介料不要物件、保証人ビジネスの7件です。(雨宮処凛・萱野稔人共著「生きづらさ」について/光文新書)

そこで、「もやい」の事務局長、湯浅氏のインタビュー記事「「格差」ではなく「貧困」の議論を」によると、
「生活困窮フリーターは『五重の排除』により“タメ(溜め)”がない」と湯浅さんは言う。以下、「排除の事例」を列挙してみよう。

(1)低学歴(例外もある)。つまり学校教育から早期に排除されている。

(2)継続的に雇用されないことで、失業保険をはじめとする企業福祉、または福利厚生から排除されている。

(3)さまざまな事情で、社会保障の含み資産である家族福祉から排除されている。

(4)高齢ではないため、その権利はあるにもかかわらず、生活保護などの公的福祉から排除されている。

 そして(1)から(4)までの排除の結果として、「こうなったのは自分のせい」だとか「自分は生きる価値がない」と思い詰め、自分自身からも排除されている状態になることが「5つ目の排除」だという。湯浅さんが続ける。

 「貯蓄という金銭的な“タメ”がないだけでなく、助け合ったり、愚痴を言ったりできる人間関係の“タメ”がないことで、気持ちの余裕も持てず、精神的にも不安定になりやすいということもあります。皆さんのいる環境は、全て自分が努力して作ったものでしょうか。当たり前だと思っている自分の生活を見回してみると、有形無形の“タメ”に気がつくでしょう。例えば、野宿生活をしている人にとって雨は一大事でも、住む家がある人にとっては「あぁ、雨か」と思う程度でしょう。雨露を凌ぐという家の基本的な機能も、重要な”タメ”の一つです」

 そんな“タメ”のない生活困窮フリーターも市場から排除されているわけではない。むしろ「貧困者ビジネス」のターゲットになっているのだ。生活拠点を提供する漫画喫茶やフリーター向けの飯場であるレストボックスのほか、日銭が必要なため条件が悪くても働かざるを得ないという意味では派遣や請負業、生活苦から借金をするという意味では消費者金融も貧困層に手を伸ばして利潤を上げる貧困ビジネスいえよう。貧困者ビジネスがターゲットにしているのは、貧困者の労働と消費の両方であり、貧困者の“生そのもの”を収益源にしているともいえる。

 仕事によって自分が判断されるという日本型社会、それは本来、他人からの判断だったが、そのことが自分自身を規制してしまう。貧困ビジネスも使い方次第で、十分自分を活かす道具になるのだ。ところが、「自分は生きる価値がない」と思ったとたん、何事も生きる気力がなくなる。「誰でも良かった」犯人は、誰でもなかったその他大勢の一人で引用した秋葉原通り魔事件の犯人の
人が足りないから来いと電話が来る 俺(おれ)が必要だから、じゃなくて、人が足りないから 誰が行くかよ(毎日新聞・誰でもよかった:秋葉原通り魔事件/上(その1) 孤独な心情、サイトに)
 労働者を取り巻く「貧困ビジネス」について調べてきたが、「誰にも頼れなくなった存在の、その寄る辺なさにつけ込んで、利潤を上げるビジネス」というのは、決して上記の7種に限らないのではないか。貧困者だからこそ、搾取するビジネスはもっと広がっているのでないかと思えてきた。

保険という「貧困ビジネス

というのも、朝日の「誰でも入れる」保険の真実というのを読んだからだ。
「絶対に、誤解される!」と思われるテレビCMがあります。60代の男優が出てきて「人生、まだまだ」とアピールする外資系保険会社のものです。医師の診断はいらず、80歳でも入れるとうたい、支払いは最も安いプランで約3000円。しかも、掛け捨てではないというのですから、私も「赤字覚悟か?」と驚いたくらいです。

 しかし、何度かCMを見るうちに、「こんな広告ってありなのか?」と思わずにいられなくなってきました。この保険のカラクリがわかったのです。

 そもそも、この商品は「生命保険」ではありませんし、もちろん「医療保険」でもありません。ポイントは「病気での入院」に対して保険金が支払われるとは、一言も言っていないことです。

「治療や入院の実費を最高100万円まで保障」とありますが、それは「ケガでの治療」に限られているのです。また、「お葬式の費用を保障」というのも、亡くなった場合に払われるのではなく、親族が負担する葬祭費用の「実費」を一定限度まで保障するというもの。

 つまり、これは「損害保険」商品なのです。

 賃金が上がらないから、消費を抑えざるを得ない。ところが、消費者の無知を悪用したこのようなビジネスが跋扈すれば、たちまち不信の塊となり、自分を責める。少なくとも、確かな知識、確かなコミュニティとのつながりがあれば、防げたことも多いのだ。もし、日本がスラム化するとすれば、一人ひとりが完全に孤立していることを意味している。すでに、「自己責任」のときは過ぎているのだ。
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