勝利の女神を追いかけるものたち
メディアとメダル
テレビで金メダルを取ったソフトボールの選手たちがワイドショーに追いかけられていた。なぜ、同じ日に負けたサッカーのなでしこジャパンを追いかけないのだろう。おそらく、ワイドショーは両方の選手たちを取材しているはずだ。敗者の取材は捨て、勝者のみを追いかける。それがマスコミの習性なのか。そういえば、中国のネットでこんなことが書かれていたらしい。「異常な社会だ。非常に多くの中国人が、責任と義務を他人に押しつけようとし、その人が成功すれば天まで持ち上げる。そのかわり、失敗すれば地獄に落とす」(読売新聞8月18日)おそらく、この記事も消えてしまうだろう。その日のワイドショー関係者が次のコーナーにいくように。彼らの関心は、勝利者でなく金メダルであるからだ。ともかく、彼女たちの金メダルを見て、デザインがアテネオリンピックと同じなのに気がついた。
このメダルに登場しているのは、オリンポスの神々の勝利の女神のニケである。写真の中央にあるサモトラケのニケとは、
「サモトラケのニケ」(仏Victoire de Samothrace,英Winged Victory)は、ギリシャ共和国のサモトラケ島(現在のサモトラキ島)で発掘され、現在はルーヴル美術館に所蔵されている勝利の女神ニケの彫像である。
現存するギリシャ文明の彫像の中で、女神ニケを題材にしたものとして貴重な彫像でもある。その題材のみならず、優美でダイナミックな姿や翼を広げた女性という特徴的なモチーフなどが印象的で、各地にレプリカが作られ親しまれている。(サモトラケのニケWikipedia
真実の勝利と勝利の女神
ところで、アテネオリンピックの金メダルの裏にこんなことが書かれていたのを覚えているだろうか。こんなエピソードがある。
2004年8月29日。五輪最終日。男子ハンマー投げの室伏広治は優勝者のドーピング違反に伴い、金メダルに繰り上げられた。その会見の席上、一枚の紙を取り出した。ところで、勝利の女神ニケのエピソードについては、
「下手な字ですけど」と照れ、写しを読んでほしいとメディアに配った。メダルの裏面に古代ギリシャ語で刻まれたフレーズを訳してもらったものだという。
紙にはこうあった。『真実の母 オリンピアよ あなたの子供達が 競技で勝利を勝ちえた時 永遠の栄誉(黄金)をあたえよ それを証明できるのは 真実の母オリンピア / 古代詩人ピンダロス』と。
室伏は感想を聞かれ、ドーピング違反による結果を「さみしい」と言った。クリーンな状況で競って勝ってこそ、真実の勝者だと力説した。同感である。だがクリーンな世界などあるのだろうか。
(真実の勝利を。16の感涙と笑顔。ありがとう、アテネ)
ルーヴルの至宝《サモトラケのニケ》の題材、有名スポーツブランド「NIKE」の名の由来、オリンピックのメダルのデザイン……など、様々な理由でその名を知られている勝利の女神です。古代オリンピックには、金メダルはなく、勝者にはオリーブの冠が授けられたという。
彼女はティタン神族の男神パラスとオケアニスの1人で冥府の河の女神であるステュクスの間に生まれた4人の子供のうちの1人です。したがって彼女もれっきとしたティタン神族の一員ですが、ティタノマキアが勃発した際には母や他の兄弟たちとともに父や同族を捨て、ゼウス率いるオリュンポス陣営につきました。勝利を呼び込む力を持つニケに去られたティタン軍は、それだけで大打撃を蒙ったことになります。
10年にも及んだ戦争がオリュンポス側の勝利に終わった後、ゼウスはステュクスとその子供たちの功績を讃えて彼らに特別な褒美を与えました。母神に対しては神々の厳粛なる誓いを司る権能を贈り、子供たちにはゼウスの側近として彼の宮殿に一緒に住まう破格の名誉を与えたのです。
それ以来、ニケはゼウスの随神として常に彼の傍らにあるようになりました。彼女が側にいるかぎり、ゼウスは不敗の王者です。
下界で戦争が起こったときには、彼女は主君ゼウスの意思を具現する者として降臨し、彼が勝たせようと思っている側に味方します。まだ勝敗の行方が定まっていないときには、彼女もまた戦場の真ん中でどちらにもつかずにうろうろと飛び回ります。(ニケ<超有名なマイナー女神>)
大祭は初期にはスタディオン走(短距離走)のみで1日で終了した。のちしだいに競技種目も増え、紀元前472年には5日間の大競技会となっていた。参加資格のあるのは、健康で成年のギリシア人の自由人男子のみで、女、子供、奴隷は参加できなかった。不正を防ぐため、全裸で競技が行われた。勝者には勝利の枝(この枝の木の種類は諸説あり)と勝利を示すリボンのタイニアが両腕に巻かれ、ゼウス神官よりオリーブの冠が授与され自身の像を神域に残す事が許された。事実、近代オリンピックの第一回大会のアテネオリンピック(1896年)のメダルは、ゼウスと、オリーブの枝と勝利の女神であった。
競技会は大神ゼウスに捧げられる最大の祭典でもあった。祭りであるので殺し合いは固く禁じられた。格闘技で相手を殺した勝者には、オリーブの冠は贈られなかった。逆に、勝者であれば死者であっても冠が贈られた。パンクラティオンで相手が降参するのと同時に倒れて死んだ勝者に対して審判が冠を授けたという。(古代オリンピックWikipedia)
本来、勝利の女神のついたメダルは真実の勝利を得たものに与えられるオリーブの冠の代わりであった。ところが、近代オリンピックが盛大になるにしたがって、莫大な資金が必要になり、多くのスポンサーと広告が集まる場所になってしまった。本来、全裸で戦うべき競泳もスピード社の水着でなくては、優勝できず、本当の肉体のみで戦う場ではなくなった。今では、競技する時間も自分たちでは決められず、視聴者の都合を聞かなくてはならなくなった。勝利の女神は、真実の勝利をするものではなく、一番金儲けをするスポンサー側にいるらしい。だから、敗者はスポンサーに何の利益をもたらさないから、ただ消えいくことになるのだろう。そのような世界では、勝利した瞬間に引退を表明するのが一番頭がいい。オリンピックに恋々としている人間には、決して勝利の女神が振り向いてくれないのだから。