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素人だから言えることもある

考えない人間と細民化

 最近「考えない人間」をテーマにして、考えているが、人間である以上、考えない人間というのはありえない。ところが、なぜか「考えない人間」が増えていると考えざるを得ないのだ。ぼくは、「なぜ、考えない人間が増えてきたのか」のコメントでこう書いた。

考えることにも2種類あり、日本人の得意は、特定のジャンルに特化して、そのことをどこまでも追求していくということです。ところが、最近、そのような分野は、パソコンが代わりに行ってくれるので、人間はそれを検索しまとめていくだけになってしまいました。でも、人間の特徴の「考えるということ」には、もうひとつの面があり、それはまったく違ったジャンルをシャッフルしてそこから生み出していくことです。日本人は、そういうことがどうも苦手なようです。
 確かに、特定の分野に強い人間は多い。ところが、全体を見渡して、違ったところからアイデアを持ってくるということが苦手だ。たまに、そんな人間がいて、アイデアを出しても、上に立つ人間は「特定のジャンル以外は考えられない人間」だから、リスクを恐れてそのアイデアをつぶす。このような過程をなんというか、と考えていたら、NBオンラインで「殿様の土地を“サラリーマン”が分割していく」という解剖学者の養老孟司氏と、建築家の隈 研吾氏の対談だ。
 かつての日本の都市は、殿様というか、お大尽というか、名主のような存在がいて、そのお大尽の力で何とか、都市イメージを保てたという歴史があります。でも、ニューヨークのように、政治的なパワーで都市が作られたという例はほとんどないんですね。

——東京でいうと、白金の自然植物園とか、新宿御苑とか、大きな公園やホテルの敷地は、ほとんど殿様や皇族が以前に持っていた土地ですよね。

養老 それを完全に民主化しちゃったらどうなるのかというのは、鎌倉がいい例ですよ。

 昭和時代の大きな別荘が全部つぶれていって、その跡地に、極めて細分化された、非常に小さな単位の家ができる——こういうのは何て言うんだろう、何か適当な述語を作ってみたいね。「細民」とでも言うのかな。そう、細民的環境にある。

 鎌倉に限らず、都市の中心部も周辺の文化的な土地も、お屋敷がつぶれた後は、どこも細民化したマンションになりますね。もったいないことなのですが。

養老 そうなんだよ。

 ただ、もったいないな、という情緒的な言葉で片付けるのではなく、では、どうしたらいいか、の方を考えるべきなんだと思うのですが。東京はバブルの後でも、あちこちで再開発が進められています。養老先生がおっしゃる細民化で、むしろたくさんの人が住めるようになるのだったら、その方がいいんじゃないか、という単純な議論もあるけれど、でも、そうすると、周辺の道路とかインフラの面で別の問題が出てくるし、景観だって壊れます。

養老 それを僕はシステム問題と呼ぶんだけど、そういうことを全部、この国は置き去りにしてきたな、と思いますね。この間の秋葉原の事件の後が典型的にそうだったけど、まず歩行者天国をやめて、ナイフの販売を規制してって、本当にあほじゃないかと思うんだよね。そういうことになっちゃうでしょう。

 システムに切り込まずに、対症療法しかできない。

養老 一番手前のところしか分からないから、そこしか考えない。因果関係で考える習慣がないから、そういう大きなシステムの問題というのは、いつも置いてけぼりを食っちゃうんですね。人口圧力設計が大事だって僕は言いましたけど、日本はこれから人間が減っていく方向になると思うんですね。上手に減らしていく、と全員が決めれば、都市計画はずいぶん楽になっていきますよ。

 この「細民化」が会社の組織に如実に現れている。となりの部署で何をしているかわからない。となりの椅子には、いつも違う派遣社員が来る。だから、自分の業務以外には一切、関心がもてなくなる。効率を求めて作った組織なのに、複雑多岐になり、所々に血管が切れているのに、誰も麻痺して気がつかない。これでは、瀕死一歩手前と考えてもおかしくはない。
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