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素人だから言えることもある

「誰でもよかった」の匂いがする個室ビデオ放火事件

生きるのがいやになった」というのは、放火犯人の言葉だが、秋葉原通り魔殺人の犯人の言葉「世の中がいやになった。人を殺すために秋葉原に来た。だれでもよかった」の「世の中がいやになった」に通ずる。2人とも自分の生きづらさを他人に転嫁している点で共通点がある。また、犯行場所が、秋葉原という同世代が集まる場所や、個室ビデオ店やネットカフェなど、同じような環境の者(いわゆるネカフェ難民)が集まる場所というのも特徴的である。彼らは「誰でもよかった」とは言うが、実はこのような環境にした社会への復讐を同じ環境の同世代に対して行ったわけである。その点では、かつてのホームレス暴行のような、自分とは違う環境のものに対する犯罪とはまったく意味が違う。

特に、派遣制度という人間を会社から孤立化させるシステムと、個室ビデオ店という人間を家庭から孤立化させるシステムの二重の孤立化が、彼らをますます社会と分離させ、社会に対する復讐への牙を返って尖らせる結果となってしまっている。ただ、日本においては、これが暴動という形をとらずに、同じような環境の者に対する復讐になってしまっているのが悲しい。犯人から見れば、彼らは、一見幸せそうに見えるかもしれない。だが、彼らとてストレスの多い社会でもがいているに過ぎない。まるで煙の中でさまよい、出口が見えないように。ただ、秋葉原の事件のあとに、似たような事件が続発したように、今度はネットカフェや個室ビデオ店がターゲットにされないことを祈るだけである。
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