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素人だから言えることもある

不満大国ニッポン

誰も責任を取らない国・政治編

 このエントリーは、偽装大国ニッポンの続編であり、誰も責任を取らない国の続編でもある。
 今、話題になっているのが定額給付金問題。初めは、定額減税だったそうな。いつの間にか、現金を支給するということになった。すると、一斉に地方自治体やマスコミから不満が飛び出した。もちろん、政府側に考えが甘いところがあり、そのミスを指摘する義務はマスコミにある。だが、金をもらうのに不満たらたらというのは、あまりも下卑ていないか。「そんなにいやなら支給することはない」と政府がへそを曲げても文句は言えない。なぜ、いつもこうなのか。もっと、建設的な意見が出ないのか。

 iPhoneを発想できなかった日本

日本のメーカーや携帯電話事業者がディスカッションすると「入力が難しいんじゃないか」「ユーザーが受け入れないんじゃないか」といった否定的なことを言う人が、もう9割9分なんですね。(日経エレクトロニクス8月11日号「トップが信念を貫かなければ,「iPhone」は作れない」夏野剛氏)

 日本の社会でいちばんいけないのは、「出る杭は打たれる」ということ。チャレンジする人を、皆で見せしめにしてしまうのです。そうすると、次にチャレンジする人がいなくなってしまいます。国民の多くがそうした社会を願っていないのに。一部の人がそうした社会を作ろうとしているように見えますね。(「失敗学のすすめ」畑村洋太郎教授)

 代々の総理大臣を短命で終わらせているのもこの国民性の故である。
 ただ今回の辞任で1つ言えるとしたら、また同じようなことが、今後も起こり得るということです。今の日本の首相は、常に足を引っ張られる存在だからです。何をしても、褒められるよりも批判されることの方が多いのです。 (「あなたとは違うんです」首相の存在感で引用した“殿様”にはなれない日本の首相の元首相細川護熙氏の細川佳代子夫人)
 日本で誰でも「我こそは」と立ち上がっても、たちまち足を引っ張り合い、それをつぶしてしまう。少なくとも、「我こそは」という人間は自ら責任を取ろうとしている人間である。ところが、それをつぶす人間は誰も責任を取らない。したがってより増しな政策などできるわけがない。

誰も責任を取らない国・ネット編

 特に、ネット上はその傾向が顕著である。最近でも、梅田望夫氏の「日本語の亡びるとき」論争で、「水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。」に対してのはてブについて
「はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。」
 もちろん、本を紹介してそれの感想を求めたいという気持ちはわかる。だが、それをはてブに求めるのは酷だ。1行やそこらで感想を書けるわけもないし、その本を探している時間もない。ネット住民の時間感覚と梅田氏の求める時間感覚が合わなかっただけである。

 同じように、CNET Japan読者ブロガー吉澤準特氏の「聞く耳を持たないYahooニュースの人々:高い脊髄反射率」の「IMFに日本が最大1000億ドル(約10兆円)を拠出する」ことに対する意見として、

コメントは11/14時点で1300件を超えていますが、大きく2つの意見が書かれています。

(意見1:海外に10兆円貸す前にその金で国内をなんとかしろ!)

(意見2:意見1は曲解であり間違い。IMFへの10兆円拠出は最善手)(聞く耳を持たないYahooニュースの人々:高い脊髄反射率)

というように、梅田氏の書評と同じように、事情を知らずに口を挟むことがネットの常識であると曲解している住民が多数いることが明らかになった。とりあえず、わけがわからないけど不満をぶつけようという脊髄反射が横行しているのだ。

 彼らもまた、「誰も責任を取らず不満だけを述べる」という性格をあからさまにしただけであった。
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