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素人だから言えることもある

壊れる日本人

タコの足と腐った饅頭

 この数年の日本人の働き方がおかしい。前項「不満大国ニッポン」で思ったのは、日本人の誇りがどんどんなくなっているのではないかということだ。かつては、大多数が反対しても、勇気を持って発言すれば、少数でも賛同する人間がいた。ところが、今では、みんな腰が引けている。自分に責任が降りかかってくるのを恐れているのかもしれない。規制緩和で、非正規雇用が増えた。非正規雇用は仕方がない部分もあるが、なぜか、正社員もおびえている。

 日経ビジネスオンライン「社員が壊れる【5】社員酷使に未来はない」でこんな言葉があった。

先行きが見通せず、安心してローンも組めない社員が、会社の将来を考えるわけがない。企業がリストラや賃下げなどの『切る論理』で最高益を上げても、結局、タコが自分の足を食べて死んでいくようなものだ
 「虚妄の成果主義」の著者、高橋伸夫東京大学教授の言葉だという。

 僕は、「腐った饅頭は捨てるだけでよいのか」で書いた言葉を思い出した。

 今、日本中の社会でモラルの低下が叫ばれている。あちこちで腐った饅頭がこっそりと捨てられている。だが、腐った饅頭を生み出した構造に目を向けなければ、この国はどんどん体力を失わせているのと同じではないのか。
 会社を人間の体にたとえれば、腐った饅頭は動脈硬化と同じだ。体のあちこちに動脈硬化ができて現場に血が通わなくなっている。現場に使い捨ての非正規社員を当て、管理職にのみ肥え太った会社ではいつ脳出血で倒れてもおかしくない。現場にこそ、力を注がなくてはならないのだ。そうでなければ、その会社自身が腐った饅頭となって捨てられるのが落ちである。
 血が通わないということは、意思の疎通がないということである。いくら、業績が上がっても、その会社に将来はない。最近、非正規雇用を正社員化する動きがあるという。ところが、それはまやかしに過ぎないという人がいる。
 正社員に転換する動きが広がっているからといって、企業の雇用に対する方針が変わったわけではありません。人件費や人員の増減を行いやすくしたい。これが、非正規社員を増やす大きな動機だったわけですが、この点は変わってはいないと見ています。
 むしろ企業は、人件費や人員の増減を一段と実施しやすくしようと考えている。そのために、正社員の区分を作り直しているのが事の本質ではないでしょうか。正社員を細分化して処遇に差をつけることで、人件費を抑制しようというわけです
 非正規社員の正社員化もその一環。区分は同じ正社員でも、その実態は以前からの正社員とは違う。よくよく見ると、こういうことが少なくありません。(非正規社員の正社員化は、“まやかし”平野光俊神戸大学大学院経営学研究科教授に聞く(前編))
 つまり、名ばかり管理職でなくて名ばかり正社員が増えるというわけだ。もともと、非正規雇用が増えたのは、人件費の抑制である。僕は、「日本、スラム化の予感」でこう書いた。
コストカットはやりつくし、これ以上のコストカット化できない現在、本社を海外に移すか、グループ企業派遣によってより安い労働力を使うかしか方法はないのだ。そのため、正社員はできるだけ削減し、残りの労働力を非正規雇用でまかなうことになる。したがって、企業としては、「正規雇用、パートの区別なく同一労働=同一賃金の原則」はありえない選択肢である。

社員をコストと考えるか、投資と考えるか

 コストと考えると、より安い非正規雇用のほうがいい。投資と考えると、じっくりと社員を育てる環境がないと成功しない。やはり、高橋伸夫東京大学教授は、
 もっと長い目で見て、若い人材にお金をかけて育てないといけないのだ。これは将来会社を支えてくれる人材を確保するための「投資」のはずだ。コスト意識を持つことは一見合理的だが、これでは「人材」に対する扱いではない。使い捨ての「消耗品」と同じ扱いなのである。今、その付けが回ってきているのかもしれない。成果主義という選択肢を捨てる覚悟をするところから、本当の意味での企業革新が始まる。成果主義という安易な選択肢を捨て去って、初めて企業や組織にとって、一体何が重要で、今、何をしなければならないのかが見えてくるはずである。必要なことは人件費にコスト意識を持つことではない。10年後、20年後の未来を考えた人材への投資こそが、今、求められているのである。(高橋伸夫・東京大学教授著「虚妄の成果主義」日経BP社)
 そして、将来の見通しの重要さを訴える。
 そして何より、長期雇用を前提とする日本の会社では、「今」満足している必要はないのであって、将来の見通しさえたっていれば、人は現時点の苦しいことや、つらいことにも耐えられるものなのである。見通しさえたっていれば、今の仕事に対して決して満足しないような人でも、会社を辞めたりせずに、チャレンジを続けられるのだ。(高橋伸夫・東京大学教授著「虚妄の成果主義」日経BP社)
 非正規雇用は、当然見通しは立たない、ところが正社員でも、今のような不景気では、同じことである。より、賃金の高いほうに逃げていってしまう。大体、こういう場合、優秀な社員から消えてしまうので、会社は傾くばかりである。

無駄な人間なんていない

高橋教授は「おわりに」としてこんな話をする。
 君は「××プロジェクトは私がやった仕事です」、あるいは「△△は私一人でやりました」などとはけっして口にしてはいけない。実際にはそうかもしれないが、たとえ本当だとしても、それを口にしてはいけない。それを口にした途端、状況は一変してしまう。「だったら、一人でやれ」と周りの人は反応するだろう。そして君は悟るのだ。コピーをとってくれたり、書類の束をきれいに整理してファイルしてくれたり、お客さんにコーヒーを入れて持ってきてくれたり、会議後ホワイトボードを真っ白に拭いてくれたり、机の横のくず入れを時々空にしてくれたり、切れかけた蛍光灯を取り替えてくれたり、郵便物をポストに入れてくれたり、席をはずしているときにかかってきた電話を取ってくれたり、頼みもしないのに飲み会の設定をしてくれたり、プレゼンを前にして恥ずかしくなるようなくだらない冗談を飛ばして緊張感をほぐしてくれたり……。要するに、まるで空気のように君をサポートしてくれる人々が君の周りにいたおかげで、君は他の人よりも創造的で付加価値の高い仕事に集中できただけなのだ。君は周りの人々に支えられて、ようやく仕事をしている。君を頼って、君にぶら下がって生きているように見えたかもしれないみんなが、実は君をサポートしてくれていたおかげで、君は「優秀」な社員でいられたのだ。(高橋伸夫・東京大学教授著「虚妄の成果主義」日経BP社)
 自分の実力だけで、世の中を生きていると思うなということだ。また、品川女子学院の漆志穂子校長は、
効率だけを追うと、一見非効率に見える大事な部分を失うという点は、人にも当てはまるのではないかと思います。
 こんな生徒がいました。その子は人よりも少し行動が遅く、よくクラスメートに手伝ってもらっていました。ある時「自分の長所はどこか」と皆で話していると、この子は「みんなを和やかにすることです」と答えたのです。
 これを聞いて、目から鱗が落ちました。確かに、彼女をフォローするために周りの子たちはしっかりしていましたし、彼女の周囲にはいつも和やかなムードが漂っていて、クラスのチームワークもよくなっていたのです。
 彼女1人だけを見ると、チームにとってマイナスの動きをしていている、と見られてしまうかもしれません。でも実は、彼女がチーム全体に対してプラスの働きかけをしていることもあると気づき、「チームの力というのは足し算なのだ」と実感しました。
 また、こういうこともありました。大人の目から見ると、ややのんびりしすぎた感じの同僚がいたのですが、なぜかその人の担当するクラスは、勉強が苦手な生徒たちの成績が伸びる傾向があることに気づきました。
 その教員に「何か秘訣があるんですか?」と聞いたら、「いや、私は進学指導が得意な方ではないので、生徒と一緒に悩むだけなんです」と言うのです。そう言われて、その教員の一日の行動をよく見ていると、確かに休み時間や放課後は、暇さえあれば生徒と話をしています。本人は無意識だったのかもしれませんが、「のんびりと相手の話を聞く」「無理にアドバイスをしない」といったやり方が、いわばコーチングのような働きをして、生徒のモチベーションを上げていたのかもしれません。(目に見える効率を追いすぎると、大切なものを見失う。チームの力は「足し算」。ムダなものは何もないのです)
 効率を大事にすればするほど、非効率な人間を排除する。後半の教員のエピソードは、「時間が足りない」の「モモ」のようだ。
 「モモ」とはこんな話だ。「モモ」という身寄りの無い女の子は、相手の話を何時間もかけてじっと聞く。すると、不思議なことに相手は自分の本質が、まるで鏡のように見えてくるのだ。そして自分が正しいか正しくないかを、納得して帰る。だから、町の人たちは皆「モモ」に話を聞いてもらいにくる。
 一見すると「モモ」の行為は、一番無駄な時間を使っているように見える。でも、壊れかけた日本人に必要なのは、「モモ」のようにじっくりと聞いてくれる人間なのかもしれない。
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