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素人だから言えることもある

手塚治虫は「考える人」だった

 2月9日より、NHKBS2で「手塚治虫2009」というタイトルで8ヶ月にわたって特集するという。「こんな番組」として

今年は「未来のテレビ」衛星放送20周年、そして、手塚治虫生誕80年、没後20年にあたります。手塚治虫2009」では、BS2で2月から8ヶ月間にわたり、時代の先端で格闘する著名人をスタジオに招いて漫画からアニメまでの代表作を楽しみながら、手塚治虫をとおして“現代社会”の抱える問題を問い直していきます。(手塚治虫2009)

なぜ2月9日だったのか。実は、平成元年2月9日は手塚治虫が死去した日だった。翌日、朝日新聞の天声人語にこんな一節があった。

「日本人は、なぜこんなにも漫画が好きなのか。電車の中で漫画週刊誌を読みふける姿は、外国人の目には異様に映るらしい。 しかし、さて私たちはなぜ漫画好きなのか、と思い悩む必要はなさそうなニュースが海外から聞こえてきた。マンガ日本経済入門」が西独で翻訳され、学生らに人気を呼んでいるという。米国では一足先に評判だ。なぜ、外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。

 答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ。日本の戦後の漫画は、手塚治虫抜きにはありえない。ストーリー漫画とテレビアニメの創始者。少年マンガはむろんのこと、今日隆盛をきわめる少女漫画の主人公でも、あの長いまつ毛を持った美少年「アトム」の両性具有的なイメージに影響を受けていることは容易に推論できよう。

 学生時代のデビューから、つねに漫画界の新しい分野を切り開く現役だった。その死去を聞いて、すでに四十歳半ばに達している最初の読者たちをはじめ多くのファンは、作品の主人公を思い浮かべながらそれぞれの感慨を抱くことだろう」(朝日新聞の「天声人語」1989年2月10日)(アニメビジネスがわかる/手塚治虫生誕80周年〜ポップカルチャーの元祖、その業績と評価より孫引き)

 手塚治虫の漫画に感動した者の何人かは漫画家を目指した。「鉄腕アトム」を読んだ人の何人かは、ロボット科学者を目指した。たとえば、ホンダのアシモ。実は、こんなエピソードがある。
 「世界最高のヒューマノイド(人間型ロボット)」と絶賛され、世界中から注目された「ASIMO(アシモ)」。二年前、自動車メーカーのホンダが発表したとき、安定した足どりと愛らしいデザインが、それまでのロボットのイメージを一新させた。CMやイベントへの出演依頼は今も相次ぐ。「生みの親」のホンダ上席研究員、広瀬真人さん(46)の開発までの軌跡を追った。

 「鉄腕アトムみたいなロボットを作ってくれ

 「えっ?」

 一九八六年七月。ホンダに中途採用された広瀬さんは入社わずか二日目、こんな社命を受けた。工作機械メーカーの技術者を経て、当時三十歳。

 「いやあ驚いた。戸惑いもしたが、『本当にやっていいのかな』という気持ちの高ぶりのほうが大きかった」(RoboCup-2002 Fukuoka/Busan ASIMO 「アトム」への夢)

 また、「ブラック・ジャック」を読んだ人の何人かは、外科医になった。「ブラック・ジャック」は、天才外科医の成功だけを描いているわけではない。むしろ、「生きるとは何か」「死ぬとは何か」、一人ひとりの患者の苦悩やブラック・ジャックの苦悩を描くことで読者に深い共感を与えたのだ。「鉄腕アトム」にしてもそうだ。人間とロボットの間で思い悩むアトムの存在がそこにある。

 手塚治虫は四六時中、悩み、考え、そのことを作品にした。「バーゲンセールするほどアイデアがある」と語った彼は、考える人だったのだ。そしてその考えに共感した人が、その後継者になった。いくら、天才であっても、悩み、考えない人には誰も共感しない。そして、後継者も生まれない。手塚治虫は、考えることこそ楽しくて仕方なかったのだ
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