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素人だから言えることもある

タレントは非正規、マスコミは官僚(ワイドショー化する日本・4)

テレビ局の正規と非正規

 テレビ「大田総理と秘書田中」で、タレントの坂東英二氏が図らずも、「ここにいる(タレントは)全員非正規」と言った。確かに、テレビ番組を作っている人間のうち、正規社員はテレビ局の人間だけであり、ほとんどが非正規社員だ。タレントは、いわば芸能プロダクションと契約する契約社員である。もちろん、制作会社の正社員もいるかもしれない。でも、テレビ局の正社員ほど、職が安定しているわけではない。つまり、非正規社員の特徴は、「明日の身分」が保証されていないという点でタレントも同じことである。

 それに対して、「明日の身分」が保証されているのは、正社員、特に、公務員などの官僚である。「小沢vs検察がいつの間にか小沢vsマスコミになってしまったわけ(ワイドショー化する日本・3) 」の中で、取り上げた検察もまた典型的な官僚である。そして、僕は「マスコミと官僚、そして日本社会」で、「ブログ・ジャーナリズム—300万人のメディア」を引用した。

会社組織だから、上司の指示に従うのは当然という側面もありますが、そこに議論がない。議論する前に、自己規制してしまっている。そういう例が実に多いのではないかと推察します。要は、新聞社やテレビ局の組織が官僚組織に似た存在になってしまったのではないか。自分で判断しない・できない、責任も取らない・取ろうとしない。上司の顔色をうかがう、組織内の評価ばかり気にする、だから仕事は過去の例に即して進める。(湯川鶴章著/高田昌幸著/藤代裕之著「ブログ・ジャーナリズム—300万人のメディア」野良舎)

マスコミと官僚主義

 検察もマスコミも実は同じ官僚構造を抱えている。しかも、日本のマスコミは、欧米と全く立場を異にする点がある。それは、日本のマスコミが政治を監視することよりも、政治を支える立場に立っていることだ。僕は、「ブログ・ジャーナリズムは誕生するか」で上杉隆氏の「ジャーナリズム崩壊」を取り上げたことがある。
 基本的にジャーナリストとして優れた記者は政治部では生き残りにくい。なぜなら、取材をすればするほど、担当する政治家の不利な情報まで知ることになってしまうからだ。仮に、そうして得た情報を読者や視聴者のために報じたらどうなるのだろうか。おそらく、その政治家は失脚し、同時に記者自身も社内で同じような災難が降りかかることになるだろう

(中略)

 彼らは、雑誌や社会部記者が政治家の身辺について取材し始めるのを察すると、すぐにその政治家に情報を与える。ときに、指南役として振る舞い、メディア対応の策を考えることもある。そしてそれでも敵わないとなると、なんとか取材を止めさせることができないか、社内の上層部に働きかけたり、場合によっては直接行動でもって、当の記者に圧力をかけることもあるのだ。(上杉隆著「ジャーナリズム崩壊」幻冬舎新書)

 このように、個人個人のジャーナリストの信念よりも、まず最初に自分の立場を考え、さらに所属するテレビ局や新聞社のことを考える。これこそが官僚主義なのである。
 官僚は手続きによって仕事を続けている。人の常として、何が正しいかよりも、何が自らの省庁にとって利益かを重視し、何が成果をもたらすかよりも何が行政上都合がよいかを重視する。(ピーター・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳) 「ドラッカー名著集7 断絶の時代 (ドラッカー名著集 7)」ダイヤモンド社)(福祉国家の失敗〜40年前の「断絶の時代」を読む(3)

政治がマスコミを作った

官僚は官僚を守る。検察をマスコミが守るのは当然なことだ。しかもマスコミは政治によって作られたのだから、なおさらである。たとえば、「日本にジャーナリズムが育たない理由」では、
 当時37歳だった田中氏は、テレビの力および弱点に気づき、地方紙と系列化させることで、新聞への影響力を行使しようとした。そのため1957年、各県から(地方局の放送免許を)申請した者を一同に呼び出し、複数の申請人の間で持ち株率を調整して30数局もの免許を交付した。そして、そのなかには必ず新聞社を入れるようにしたのだった。

 さらに、初期のキー局は必ずしも新聞社と系列化されていなかったが、系列化を完成させたのも当時首相となっていた田中氏だった。(日隅一雄著「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」現代人文社)


 池田信夫氏の「電波利権」(新潮新書)にこんな言葉がある。


 ネットワークの拡大に伴って、(新聞とテレビが系列化されたように)政治家も系列化された。地方民放は「政治家に作られた」といってもよいため、経営の実権を握っているのが経営者ではなく、政治家である例が多い


政治家にとって見れば、地方民放は資金源としてはたいしたことはないが、「お国入り」をローカルニュースで扱ってくれるなど宣伝機関としては便利なのである。各県単位で地方民放の派閥ごとの分配が行われ、政治家も系列化された。(電波利権)(地デジが生まれた本当の理由(読者ブログ版)

 小沢氏は、マスコミは自分の味方だと信じていたのかもしれないが、結局、検察もマスコミも民主党が攻撃する官僚主義の一つに過ぎなかったのである。田中政権が作った系列化が、越山会の末裔小沢氏に降りかかってくるとは、小沢氏自身も思っていなかっただろう。(もっとも原因が陸山会というのはあまりにも出来すぎか。)


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