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素人だから言えることもある

ワイドショー化とは何か(ワイドショー化する日本・5)

ワイドショー化とは官僚主義(考えない人間)の蔓延

今、日本中の人間は官僚主義が蔓延している。官僚主義とは、
マートンによる「官僚制の逆機能」についての指摘は有名である。

規則万能(例:規則に無いから出来ないという杓子定規の対応)、責任回避・自己保身、秘密主義、画一的傾向、権威主義的傾向(例:役所窓口などでの冷淡で横柄な対応)、繁文縟礼(はんぶんじょくれい)(例:膨大な処理済文書の保管を専門とする部署が存在すること)セクショナリズム(例:縦割り政治や専門外の業務を避けようとするなどの閉鎖的傾向)

これらは、一般に官僚主義と呼ばれているものである。例えば、先例がないからという理由で新しいことを回避しようとしたり、規則に示されていないから、上司に聞かなければわからないといったようなものから、書類を作り、保存すること自体が仕事と化してしまい、その書類が本当に必要であるかどうかは考慮されない(繁文縟礼)、自分たちの業務・専門以外のことやろうとせず、自分たちの領域に別の部署のものが関わってくるとそれを排除しようとする(セクショナリズム、というような傾向を指し示している。(官僚制Wikipedia)

しかも、官僚はその性格からどんどん増えていく宿命だという。
この他にも、イギリスの歴史学者・政治学者であるシリル・ノースコート・パーキンソンによる指摘もよく知られている。パーキンソンによる官僚組織の非合理性についての指摘は「パーキンソンの法則」と呼ばれている。これは、実際にこなさなければならない仕事量に関係なく、官僚の数はどんどん増え続けていくというもので、官僚組織の肥大化の特質を示している(成長の法則)。もちろん官僚が増えれば、その分仕事がなければならないが、それは実際に必要ではない仕事を創造することでまかなわれる。つまり、無駄な仕事ばかりが増えていくということである(凡俗の法則)
いわゆる公務員や政治官僚ばかりではない。この官僚化があらゆる業種に増えているのではないか。「タレントは非正規、マスコミは官僚(ワイドショー化する日本・4) 」や「マスコミと官僚、そして日本社会」でみたように、マスコミの官僚化、また「なぜ、考えない人間が増えてきたのか」のような一般企業でも官僚化しつつある。
 この生産性を上げるための企業ではなく、会社に長時間いてそれなりの収入を上げればよい会社、いわば過去の栄光にすがりつくために、ひたすら上司の顔色をうかがう会社が存続しているのは、人間の可能性を食いつぶしているに過ぎない。


 このような状態では、社員のやる気を削ぎ、無責任で考えない人間が増殖すること請け合いである。

また、「産科医の医師不足を考える」でも、
なぜ、産婦人科の医者が減っているのだろうか。その理由として、当直や深夜の緊急呼び出しが多い過酷な労働環境とそれに見合わない低い対価に加えて、他科に比べて医療訴訟が多く敬遠されていることが指摘されている。(産婦人科医が足りない!産科医療崩壊の足音)
不況によって、その厳しさが報道されればされるほど、誰もその仕事に着こうとしなくなる。危機感を訴えることは、返って、その仕事の重大さゆえに避けたがる。正社員たちは、この不況の波によって引き剥がされないように企業にすがっているうちに、どんどん官僚化する。そして、日本企業はどうしようもなく劣化し続けることになる。

金融危機は、考える人間が増えるチャンス

 今回の金融危機は、一面ではアメリカのサブプライムローンのバブルが破裂したわけだが、それは起こるべくして起きたのではないか。世界中の金融はアメリカのバブルに頼りきった繁栄であり、結局は「考えない人間」の増大が裏にあるのだ。なぜ「考えない人間」が増えたのか。僕は、「考えること・考えないこと」でこんな言葉を引用した。
 私の小さい頃からの信念なのですが、上が「やれ」と言うだけでは下は動きません。自分からやらなくちゃ誰もついてこない。トップが本当に動いて、それを見せつける。それによって「ああ、本当にやるんだな」と下の意識を変えていかなければうまくいきっこないんです。

 普通の人は「やるぞ、やるぞ」と言いながら、自分では何もしない。怖いんですな。失敗したら自分の責任が問われますから

 実行は誰でもできるんです。問題は、それで結果が出るかどうかです。結果が出なかったら、自分のクビが飛びますからね。ですから、怖いんですよ。近頃の新聞には「改革」という言葉が躍っていますが、失敗する方が多いから、利口な人は絶対に手を出さない。改革なんて一番バカな人がやることなんですよ。バカじゃなかったらできません。(「バカ」でなければ改革はできない 武田 國男(武田薬品工業会長)— 第1回 経営者の矜持)

 武田会長の「バカ」とは、考える人間の異名でもある。利口な人間は手を出さないからだ。僕は、「企業ブランディングと地域ブランディング」の中で、
ブランドが成功するには『三つの者』の存在が鍵を握ると言われる。一心不乱に目的に邁進するバカ者、冷静に自己分析するヨソ者、後継者となるワカ者だ。とりわけ継承することが重要なので、人材育成に力を入れる必要がある。 (2006年1月4日(水)付け 日経MJから)

つまり「バカ者」の役割は「こんな街にしたい」というビジョンを高く掲げてまい進することであり、「ヨソ者」の役割は「そのビジョンのうちできる可能性のあるものは何か(選択と集中)、そのための資金調達はどうするか、地域が負担するのか、入場料を取るのか(利害の調整)」であり、「ワカ者」の役割はその町おこしのイベントを次の世代に継承することだ。そしてこの三者の間には「共感」が必要である。(企業ブランディングと地域ブランディング)

と書いている。つまり、最初に宣言し、まい進する人間こそが「考える人間」なのだ。また、「考える人間」は信念の人でもある。同じようなことは、「iPhoneを発想できなかった日本」でも、
 例えば、タッチ・パネルについて日本のメーカーや携帯電話事業者がディスカッションすると「入力が難しいんじゃないか」「ユーザーが受け入れないんじゃないか」といった否定的なことを言う人が、もう9割9分なんですね。でも、キーボードがない方が間違いなくかっこいい。問題は、難しさにチャレンジする気になるか、難しさを理由にやめてしまうかです。日本のメーカーや携帯電話事業者の開発の過程を見ていると、結構、早いうちにあきらめてしまうことが多い。それは信念がないからだと私は思う。結局、従来の延長戦上で開発を進めることが多くなります。みんなで議論しないと前に進まないので、とんがった部分がなくなってしまう。(トップが信念を貫かなければ,「iPhone」は作れない)
 さらに「考える人間」はチャレンジする人でもある。
 日本の社会でいちばんいけないのは、「出る杭は打たれる」ということ。チャレンジする人を、皆で見せしめにしてしまうのです。そうすると、次にチャレンジする人がいなくなってしまいます。国民の多くがそうした社会を願っていないのに。一部の人がそうした社会を作ろうとしているように見えますね。(「失敗学」のすすめ
 今回のように、世界大不況の時期こそ、「考える人間」が出てこないと、ますます危機を恐れてしまう。失敗するよりも、何もしないのが一番リコウと思っているのかもしれない。しかし、「考えない人間」はいくら大勢いてもいないのと同じだ。マスコミが常に人々を不安にさせるのは、彼らの中に「考える人間」がいないからである。何をやっても失敗すると思ったら、道は開かない。僕は、「先のことを考えられない人たち」の特徴をこう書いている。
 考える人とは、空間的に全体を客観的に捉え、時間的にも将来への展望を持ち、それに沿った行動に責任を取る。ところが、考えない人はいずれもが欠けている。

(1) 自分勝手の論理(客観性の喪失)

(2) 明日のことを考えない(展望の喪失)

(3) 自分が何をしなければならないのかを考えない(責任の喪失)

そして、そんなワイドショーを見ているわれわれ視聴者も官僚化(考えない人間)のそしりを免れないだろう。右肩上がりのときは、改革をすることは難しい。うまくいってるために、改革をすべきときにはその時期を過ぎている。不況のときこそ、考える人間が登場するチャンスである。最後に「私たちには妄想が欠けている」のラストの言葉をもう一度繰り返したい。

「そんな馬鹿な」「こんなことはできっこないよ」そんなコトバはもう聞き飽きたのである。
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