夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

誤報は必ず繰り返される

バンキシャとインターネット

 インターネットが普及して感じたことは、情報を得ることが大変、簡便になったことだ。本来だったら、その知りたいことについて本を読み、専門家に会わなければ知れないことが、即座に知ることができる。テレビ局のリサーチ業務にとっても、インターネットは魔法の杖のように使われているのだろう。テレビや新聞が一方通行のメディアであるため、その便利な魔法の杖を自分たち専用のアイテムと誤解していたのかもしれない。だが、問題は、視聴者もその魔法の杖を持っていることである。テレビで報道すれば、よほどの関係者でもない限り、多少のごまかしは隠されてきたに違いない。また、わざわざそれを指摘したマスコミもごく一部の週刊誌に過ぎなかった。

 たとえば、ある大新聞の新聞記事が、地方紙の紙面に載っていたベタ記事の使い回しであったことが明らかになったことがあった。これなどは、一度に何紙も取っている図書館や大会社でなければわからなかったことだろう。ところが、今ではそれがその日のうちにインターネットの検索で明らかになる。

 そのことが、報道取材のあり方を変えてしまったのではないか。たとえば「バンキシャ」事件は、インターネットを使って告発者を募集していた。

 バンキシャが情報募集に利用していた「取材協力者・出演者募集サイト」とは、放送局独自のサイトではなく、さまざまなメディアが契約する専門のサイトだ。ページ上には在京キー局のロゴが掲出され、利用率の高さをうかがわせる。

 メディアへの出演や情報提供に関心のある一般市民が、サイトにユーザー登録する。一方、番組スタッフは、番組内の企画に該当する人や情報を募集する告知をサイトに載せる。ユーザーは該当項目を見つけて応募し、番組からの連絡を待つ−といった仕組みだ。今回、バンキシャは、出演料支払いをほのめかす書き込みも行っている。(バンキシャがはまった情報サイトのワナ)

リサーチの軽さ

 告発者をインターネットで募るという方法は、警察が目撃者を募ることに似ている。だが、警察と今回の事件の違いは、徹底的に名乗り出た人間を調査するということ、つまり、裏を取るということである。思えば、「WaiWai」事件のときもそうだ。

 僕は、毎日新聞の「WaiWai」騒動は、新聞の「あるある大事典」で、「WaiWai」と「あるある大事典」を比較した。

(1) リサーチの軽さ(事実・真実・知識への安易な取り組み)= チェック機能に欠陥・品質管理体制の不在

あるある (中略)テーマの核心には特定の食べ物や知識やノウハウなど、具体的なモノ、具体的な研究成果、具体的な事実を想定していたのであるから、きちんとしたリサーチこそが番組の骨格を作り、固めるために不可欠であった

 しかし、その実態を見ると、専門的なリサーチャーは、再委託された制作会社に1人か2人いただけであり、それもほとんどは必要に応じて外部のリサーチャーに調査を依頼する程度であった。一方、リサーチャーもインターネット検索や電話による問い合わせ程度の調査しかしていない(中略)このリサーチの薄さ、事実や真実や知識に対する安易な取り組み方には、驚くというよりは、唖然とするしかない

WaiWai ▽原稿が妥当かどうかをメディア倫理に照らして精査するデスク機能がなかった▽執筆陣が男性に偏っていたため女性の視点がなかった▽スタッフは外国人のみで日本人の視点が欠けていた——の三つの編集上のチェックの不在が直接の原因と言える。

担当記者が書いた原稿がそのまま掲載され、不適切な記事が見過ごされ続けた原因は体制上の欠陥にもある

 結局、「バンキシャ」事件とは、報道をリサーチャーに丸投げし、そのリサーチャーはインターネットに丸投げした。いずれも無責任この上ない。

報道は限りなくバラエティー化する

また、日テレ虚偽報道、ネット依存の情報収集が裏目にに引責辞任した社長のこんな言葉を載せていた。
 今回の報道では、番組スタッフがインターネットのサイトに不正経理の情報提供を書き込んでいた。久保伸太郎相談役=社長を引責辞任=は同日の会見で、「裏金作りにかかわった人をネットで募集しており、情報ツールの使い方を明らかに誤った」「2回目と分かっていたら、どういう人物か確認できた。情報の蓄積と活用がなっていなかった」と苦渋をにじませた。
 一斉に同じニュースを流す報道メディアの中で、自局のみのすぐれた報道を生み出すためには、どうしても過去の情報を蓄積し独自の取材が活用される必要がある。ところが、それが生まれないとすれば、この局は報道取材記者の育て方を間違えたというしかない。さらに、同じ記事に
 同報告書は同日の日テレ番組審議会でも示され、半田正夫委員長(青山学院常務理事)は会見で「最近の報道番組はバラエティーとの垣根が極めて低くなり、担当者もバラエティー出身者が多く、詰めの甘さにつながったのではないか」と指摘した。(日テレ虚偽報道、ネット依存の情報収集が裏目に)
 4月から民放はNHKの視聴率アップを見習って、大型の報道番組が増加した。ところが、そのため担当者にバラエティー出身者が流れているという。これでは、民放に真実の追求を求めることなどできないだろう。


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