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素人だから言えることもある

人はなぜ、ダークサイドに惹かれてしまうのか

これも一つのダーク・サイド

 この連日、タレントの自殺や事件が相次いだ。自殺した清水由貴子は、母親の重い介護を抱えていた。SMAPの草なぎ剛は、アルコールの力で公然わいせつ事件を起こした。どちらも、ごくまじめな誠実そうなタレントであった。決して、外からは想像もできない暗闇を抱えているのではないだろうか。

 不況のせいか、今まで隠されていたダークサイドがちらほら見えてきて、日常化しつつある。おかげで、数年前には到底想像もできなかった人たちが、簡単にダークサイドに足を踏み入れる。普段から貧しい人と、数年前までは豊かであった人では、貧困に対する感情が違うという。「ショートカットな人生、ショートカットな社会」でこんな言葉を引用した。

生きることに最大の関心を向ける、経済的困窮度があまりに高い国では自殺率は低い。経済発展途上の、チャンスに満ちた国も然り。経済的豊かさを一度体験した後、深刻な不況や失業の渦中に身を投じ、富裕層の生活を見ることを通じて、『自分は疎外されたと絶望感を抱く』人が増えると自殺率は急上昇する」と記している。(なぜ自殺者は増え続けるのか━雇用不安と窮乏感の病理 14年後の日本考(2)) 
 物理的な貧困は耐えられるが、精神的な貧困は耐えられない。周りが貧しければ、しょうがないと思うが、自分だけだったら、どうしてこんなことにと思うのだ。そこにあるのは、かつての豊かな自分に対する執着である。

再び、セフィロスダース・ベイダー

 ダークサイドには2つの面がある。諦めと反発だ。ダークサイドに落ちた人間は、諦めは自殺に、反発は犯罪に結びつく。彼らは、自分の今の姿を素直に見られない。「スター・ウォーズ」のジョージ・ルーカスは言う。
 この三部作(エピソード1・2・3)を通して、私は善悪という二分法はとらなかった。自分では善を行っていると信じている人間が、どのようにして邪悪な存在になってしまうかこそが問題だったのだ。始まりは愛する人を救いたいという極めて純粋な望みだった。自分の周りの状況をコントロールしたいというごくささやかなことだったのだ。母を、妻を失いたくない。本当に大切に思う人を失う苦しみを味わいたくない。そのために悪魔と契約を結ぶ、ファウスト的な物語である。アナキンが抱えている問題の根源は、執着を捨てられないことにある。諦めをつけ、自分の人生を歩むべきことに気がつかない。厭だからというだけで、太陽が昇るのを止めることはできないのだ。しかし、アナキンは執着することでさらなる力を追求し、ついには宇宙を支配できると考えるところにまで行き着いてしまう。それこそが彼の真の転落であり、悪になるということでもある。そしてその結果、彼はすべてを失ってしまうのだ。皇帝以上の力を持ち得た可能性があったにも関わらず、皇帝の従僕となり、彼がなり得たものの影にしかすぎない。肉体は傷つきサイボーグと化して、もはや皇帝の力に及ばず、その座を奪うこともできない。そうなって初めてアナキンは自己の境遇、苦しみを受け入れるのだ。(ジョージ・ルーカススター・ウォーズエピソード3シスの復讐」プログラムより)
 ダース・ベイダー(アナキン)は、母の死のとき、その怒りのあまり、誘拐したサンド・ピープルたちを殺してしまう。
 ナブーでパドメの護衛を行っていた護衛アナキンは、母の身に危険が起こっていることを察知する。不安と衝動に駆られた彼はタトゥイーンへと急行し、シミの捜索を開始した。アナキンは母が既にワトーのもとから解放され、モス・アイズリーの外れの水分農場に嫁いでいたことを知る。しかし、彼女はタスケン・レイダーたちにさらわれていたのだった。アナキンはシミを救出するため単身でタスケンのキャンプへと侵入し、母と10年ぶりの再会を果たす。だが、それがスカイウォーカー親子にとって最後の瞬間となるのだった。母を殺された怒りで自我を失ったアナキンは、ライトセイバーでサンド・ピープルたちを皆殺しにしてしまう。アナキンの心の中にダークサイドが増した瞬間、遠く離れたコルサントではヨーダが若きスカイウォーカーの未来に暗雲を感じていたのだった。(アナキン・スカイウォーカー/スター・ウォーズの鉄人) 
 このエピソードは、なぜかFF7のセフィロスを思い出してしまう。セフィロス=ダース・ベイダー論では、
 神羅には、ソルジャーという特別な兵士たちがいました。大昔に、空から降ってきてこの星を滅ぼそうとした災厄—ジェノバの細胞を埋め込んだ人たちです。そのなかに、セフィロスという、とても優秀なソルジャーがいました。でも、自分が恐ろしい実験で生まれたことを知って、神羅を憎むようになりました。そしていつしか、すべてを憎むようになってしまいました
 神羅と神羅に反対する人たち。憎しみのあまり星を破壊してしまおうとするセフィロスセフィロスを止めようとする人たち。いくつもの戦いがありました。戦いの数だけ悲しみがありました。私が大好きだった人もライフストリームになってしまいました。(スタジオベントスタッフ編「ファイナルファンタジーVII 10thアニバーサリー アルティマニアスクウェアエニックス)
 と引用し、
 SFで味付けはされているが、公害や環境問題に通じるものがある。良かれと思って開発を続けていくうちに、とんでもないものまで生み出してしまったというわけだ。英雄たちは、自分の力ではどうしようもないことに怒り、憎しみを抱く。たとえば、セフィロスは、ニブルヘイムで自分の出生の秘密を知り、村を焼き払う。アナキン・スカイウォーカーは、母の死を予知夢で見てしまい、助けに行くが助けられず、怒りに駆られた彼は母を拉致したタスケン達を皆殺しにしてしまう。(セフィロス=ダース・ベイダー論)
 そこにあるのは、自分たちの抑えきれない怒りを暴力に任せる醜い姿である。アメリカが起こしたイラク戦争も、サブプライムローンを発端にした金に執着する金融危機も醜いダークサイドの一面である。しかし、この憎悪の連鎖からは、何も解決しない。そこでルーカスはこういう。
 最初の「エピソード1」から見ていくと、全体がアナキンの贖罪の物語となってくる。オビ=ワンとヨーダはアナキンの子供たちがダース・ベイダーを倒すことを望んでいるが、彼らが理解していなかったのは、目的を達成する唯一の方法は、子供たちがアナキンの中に善があると信じることだった。アナキンの子供たちへの愛情が、ダークサイドから彼を引き戻し、真の悪である皇帝を抹殺して、予言通りフォースにバランスをもたらすのだ。だからこそ、アナキンはすべての源なのである。(ジョージ・ルーカススター・ウォーズエピソード3シスの復讐」プログラムより)
 人にはそれぞれ他人には想像もつかない悩みを抱えているものだ。その悩みのはけ口がいつの間にか、ダークサイドに向くとなるとどうなるか。父を殺し、母を殺し、世の中を殺し、自分を殺していては、結局、すべてがダークサイドに取り込まれる。憎しみの目で周りを見回すのではなく、ちっぽけな善意でも育てていかなくてはこの世界に未来はない。
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