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素人だから言えることもある

非常識な時代には非常識な発想が必要だ

岩見隆夫氏のある意見

 前項「日本をどげんかせんといかん」東国原総裁、有りか無しか? の反応は予想通り、あまりにも常識的だった。毎日新聞の岩見隆夫氏のコラム「近聞遠見:日向の国からミサイル」にこう書いている。

なにしろ、人気者とはいえ、九州の一知事が、出馬条件として、
 「私を次の自民党総裁候補として、衆院選を戦うご覚悟があるのか」
と前代未聞の爆弾発言をしたのだ。麻生をオレに代えろ、と要求している。

 爆風にさらされた自民党内から、とっさに、あほらしい、ジョークだろ、顔を洗ってこい、などの反応が出たのは無理もない。スポーツ紙がいっせいに、
 <自民、なめられた>
 の大見出しを立てたのもわからないではない。だが、いずれもマトをはずれていた。

 とりわけ見当違いだったのは、民放テレビのコメンテーターたちだ。図々(ずうずう)しい、ただの中央志向、国民をバカにしている、情けない、こっけい、高く売りつけている、などなど、否定的、感情的発言で占められていた

 東国原ショックの爆弾効果を評価するコメントがまるでない。テレビ政治の危うさを改めて印象づけることになった。(近聞遠見:日向の国からミサイル

と書き、大阪府の橋下知事の「このままでは絶対に自民党、公明党は負けます。民主党に対抗するには、『ぎょへー』と思い、『そんなアホな』というくらい強烈な変革案を示さないと」という言葉に対する、東国原流の答えだという。そして、
いま、<東国原首相>が実現するとは思えないが、もし実現すれば、自民党は変わった、と国民は実感する。そのレベルのことを断行しろ、と東国原は迫っているのではないか。(近聞遠見:日向の国からミサイル
と締めくくっている。

常識は右肩上がり時代にしか通用しない

常識を超えた発言に対して、いっせいに冷や水を浴びせかける。この体質は、相変わらずだ。僕は、「不満大国ニッポン」で、
日本で誰でも「我こそは」と立ち上がっても、たちまち足を引っ張り合い、それをつぶしてしまう。少なくとも、「我こそは」という人間は自ら責任を取ろうとしている人間である。ところが、それをつぶす人間は誰も責任を取らない。
と書いたように、なかなか独創的な意見が通りにくい環境にある。しかし、現在は、非常識な時代ではないのか。右肩上がり時代では、先輩の言うとおり、動いていれば、それでよかった。つまり、それが常識だったのだ。そのような時代の人間は、おそらくアメリカが黒人大統領の時代になっているなんて想像できただろうか。GMが破綻するなんて考えたこともなかったに違いない。また、トヨタが何千億も損失することなんてことも

 もちろん、非常識だから何でもありということではない。一見、非常識に見えていても、それなりの納得できる常識的な計画を秘めていれば、認めてあげてもいいのではないだろうか
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