夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

「プロにお任せ」の時代は終わった

 このタイトルを見て、カチンとくる人も多いと思う。人間は、ずぶの素人から、学び、訓練されてプロとなっていく。つまり、その道で第一人者となって、金を稼いでいくことが人生の目的だと思っている人が大多数だからだ。

インターネットが受け手と送り手を逆転した

 テレビや新聞などのメディアの送り手は、テレビ局なり、新聞社なりの組織に属していることが第一条件であった。受け手は、その一方通行に流れる情報をじっと受け止めることしか出来なかった。しかし、インターネットで、受け手であるべき人間が、世界に向けて発信することが出来るようになった。もちろん、テレビや新聞から見れば、箸にも棒にもかからない素人に毛が生えたようなものであろう。しかし、少なくとも、物言わぬ読者や視聴者が編集された読者欄や街の声でなくて、自分の思ったとおりの発言ができる、これはすごいことである。しかも、テレビや新聞には、先輩や上司、そして視聴者・読者からのプレッシャーがあり、記者が思ったとおりの発言が出来ないでいるのだ。

組織に頼ったプロは信用できない

 自分で発言する喜びに続いて起こったことは、コメントなどで反響があるということである。そして発言を続けているうちに、今までプロに任せていればうまくいくと思っていた自分に、いつしかプロに対する疑惑の目が生まれていることだ
 その典型が、官僚問題。官僚を統制するはずの国民の代表たる政治家がおバカなのもアレだが、本来、官僚はプロ集団だと思って国民が任せて何も口出ししなかったのも問題。その点では、テレビや新聞も同罪。だいたい、自分たちがプロだと思った瞬間に、官僚主義の害毒に染まるらしい。それについては、「ブログ・ジャーナリズムは誕生するか」で引用した。
 そして、これが一番重要なのですが、何をどう報道するかという肝心な問題を突き詰める前に、「デスクは許してくれないだろうな」とか、「会社の編集部はどう評価するだろうな」とか、目が社内を向いてしまっている。会社組織だから、上司の指示に従うのは当然という側面もありますが、そこに議論がない。議論する前に、自己規制してしまっている。そういう例が実に多いのではないかと推察します。要は、新聞社やテレビ局の組織が官僚組織に似た存在になってしまったのではないか
 自分で判断しない・できない、責任も取らない・取ろうとしない。上司の顔色をうかがう、組織内の評価ばかり気にする、だから仕事は過去の例に即して進める…こうやって言葉にすると、みもフタもないですが、それが取材現場の実感ではないでしょうか。(湯川鶴章著/高田昌幸著/藤代裕之著「ブログ・ジャーナリズム—300万人のメディア」野良舎)
 そして、この官僚主義、実は、日本の会社のいたるところにはびこっている。というのは、「先のことを考えられない人たち」の特徴でもあるからだ。
考える人とは、空間的に全体を客観的に捉え、時間的にも将来への展望を持ち、それに沿った行動に責任を取る。ところが、考えない人はいずれもが欠けている。
(1) 自分勝手の論理(客観性の喪失)
(2) 明日のことを考えない(展望の喪失)
(3) 自分が何をしなければならないのかを考えない(責任の喪失)
 メディアを含めて、多くのプロといわれる人が、とんでもない事件を起こすのは、いずれもが、その組織に頼っているからだ。その組織から、追い出されたらどうしよう、まず最初に自分の地位の保守に走る。その点では、「守るべきなのは自分の地位ではない」でも指摘した。僕は、福知山脱線事故のとき、こんなことを書いた。
つまり「時間を守る」ことを優先したために乗客の「命を守る」ことができなかったのだ。本来、「時間を守る」=「命を守る」が当たり前だと思っていた人々に、実はこの「時間を守る」=「命を守る」というバランスは大変危ういものであることが判明したのである。乗客の命をとられた遺族は、鉄道会社の責任を追及する。最初、鉄道会社は「8メートルのオーバーラン」だとか「置石があった」とかいって自分たちの責任を回避しようとした。つまり、鉄道会社は「自分の地位を守」ろうとしたのである。
そしてこんな方程式を考えた。
自分の地位を守る>時間を守る=鉄道会社を守る>乗客の命を守る
これを報道に当てはめるとどうなるか。

自分の地位を守る>会社を守る>真実を報道する

 私たちが、インターネットによる情報を手に入れたとき、実は、報道されないニュースが数多くあることに気が付いた。そして、いわゆる報道のプロ=真実の報道でないことを知った。私たちは、まず、そのニュースが、スポンサーとは関係なく、局内の不祥事でないことが第一条件であることを知らなければならない。

素人の目を持ったプロを目指せ

 私たちは素人である。だが、おかしいと思ったら、おかしいと反応する素人でもある。それに対して、プロがいつまでも、組織のほうを向いていたら、そのプロはインターネットでは追い出されるだろう。したがって、プロを目指す人も、素人の目を持っていてもらいたいと思う。素人の目を持っていたら、自分たちの報道がどこを向いているかわかるはずだからだ。

 また同時に、必要なのは、そのプロの世界で自分の縄張りを守ることよりも、プロの範囲を越えた部分に果敢に素人の目で挑戦していくことではないか。本当にこの国を良くしたいと思うなら、あらゆるところに、素人ならば飛び込んでいける。プロだったら、こんなことを書いて笑われるかもしれないと考えるかもしれない。僕は、そう考えていることこそが、既に組織に頼ったプロの目になってしまっていると考える。まず、自分の地位を守ろうとしている証拠だからだ。でも、素人だからこそ、言えることがある。「裸の王様」の裸を指摘したのは、永遠の素人、子供である
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