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素人だから言えることもある

福祉と政治、何が問題なのか、改めて考える。

ある全国アンケート

今、日本中であらゆる面で崩壊の音が聞こえる。かつては、貧しくてもそれなりの仕事があり、それなりの夢が描けた。ところが、現在では、今の仕事がいつまで持つかわからず、そこを辞めたら、路頭に迷うのがわかっているからしがみつくしかない。派遣社員には仕事がなく、正社員の仕事はますます過重になる。
僕は、もう一度、日本のとっていた福祉と政治が正しかったのか解いて見たいと思う。今回のエントリーで資料にしたのは、北海道大学政治学教授の宮本太郎氏の著書「福祉政治−日本の生活保障とデモクラシー」というものである。

宮本氏たちは、2007年に全国世論調査を行ったという。

日本が将来どのような社会になるべきかを問うたところ、58.4パーセントが「北欧のような福祉を重視した社会」と答えた。また、31.5パーセントが「かつての日本のような終身雇用を重視した社会」を望み、「アメリカのような競争と効率を重視した社会」と答えたのは6.7パーセントにとどまった
ところが、それではそのような方向をめざすにあたって、出発点となる日本のシステムの何を改めるべきかと尋ねると、「北欧のような福祉を重視した社会」をめざすべきとした人々のうち、三割近くが「官僚の力を弱めるべき」と答えた。さらに社会保障の財源をどのように確保するべきかを尋ねると、同じく46パーセントが「行政改革を徹底する」という方法を挙げた。あたかも、小さな政府の実現を通して北欧福祉国家に近づくことを求めているように見える。日本は公共支出の大きさで見ても公務員の数で見ても、すでに小さな政府なのに、である。
あえて言えば、「行政不信に満ちた福祉志向」とでもいうべきものが世論に根強いのである。これはメディアにも共通する傾向である。ワーキングプア問題などが注目されるようになってからは、こうした問題についてメディアは同情を寄せ、支援を求める。ところが、政府予算が発表されて支出削減が進んでいないと、「改革にブレーキ」などと苦言を呈するのである。
世論やメディアのこうした傾向と政治の行き詰まりは、明らかに連関している。セーフティネットの瓦解が深刻化する一方で、きわめて根強い行政不信も膨らんで、日本の政治と社会は身動きの取れない状態に陥っているのである。(宮本太郎著「福祉政治−日本の生活保障とデモクラシー」有斐閣Insight)
この答えは、民主党社民党の財源論とも共通している。消費税を上げずに、無駄使いをやめ、官僚から搾り出せといっているのと同じである。

スウェーデンの福祉・雇用レジーム

スウェーデン型の福祉社会建設には大きな歴史がある。日本のような対処療法の手当てとは目的も方法も異なる。本書では、スウェーデン型の福祉社会を「社会民主主義レジーム」と呼んでいる。それは、政権党が社会民主主義政党であり、労働組合との結びつきも強い。また、本書で言うレジームとは、
レジームは、一般に体制などと訳されることが多いが、体制といっても(資本主義体制や社会主義体制といった)高位レベルのシステムに比べてより中位レベルの体制であって、ただしここの政権や内閣などよりはずっと一貫したものである。それは複数の社会的経済的努力の連携を背景とした、各国政治経済の持続的なあり方である。(宮本太郎著「福祉政治−日本の生活保障とデモクラシー」有斐閣Insight)
さて、このスウェーデン型の「社会民主主義レジーム」は「福祉レジーム」のひとつであるという。
福祉レジームとは、社会保障や福祉サービスにかかわるいくつかの制度が組み合わされ、全体としてある特質を持つに至った体制、という意味である。通常、福祉レジームは公的な社会保障制度、すなわち社会保険、公的扶助、社会手当てと公共サービスの制度が、私的保険、企業福祉や民間サービスなどの市場的制度、家族やコミュニティなどの共同体的制度と組み合わされてでき上がっている。ちなみに福祉レジームという時の福祉は、広く社会保険、福祉サービス全般を指して使われている。(中略)
スウェーデンのような社会民主主義レジームは、強力な労働運動や社会民主主義政党のイニシアティブの下に形成された体制で、公的な福祉を中心にしたレジームである。社会的支出(社会保障・福祉関連の支出)の規模が大きく、社会保障が一般の市民がライフサイクルで直面するリスクについて幅広く対応するものと考えられている。つまり、社会保障や福祉は、一部の困窮した人々のための特別なものとはされず、すべての市民が人生の折々で当然に利用されるものと位置づけられる。こうした考え方を、一般に普遍主義という。したがって、困窮層のみを対象として、受給に所得制限を課したり、資力調査を行ったりするプログラムの比率は低い。その一方でジニ係数(所得格差を表す数値。一に近いほど格差が大きい)や相対貧困率は抑制されている。
このように、総ての人が福祉の恩恵を等しく受けられる社会は、私たちにとっても、理想的な環境である。当然ながら、それは雇用関係にも影響する。福祉レジームに対して、雇用レジームという言葉が出てくる。現代日本で問題になっているのは、雇用がなければ福祉も打ち切られるという関係だからだ。「働かざるもの食うべからず」を裏から読めば、働かないものは死ねというのと同じである。問題は、手厚い福祉が「不労所得」の増大になってしまえば、税収は落ち、国としても成り立たなくなる。いかに、雇用に結びつけるかを考えていかなければならない。
スウェーデンの賃金水準は、各企業の生産性や利潤率の如何を問わず同じ内容の労働であれば賃金も同じ(同一労働同一賃金)になる連帯的賃金政策にもとづく。こうした賃金水準は、組織率の高い経営者団体と労働組合の間で行われてきた、中央集権的な賃金交渉制度によって決められた。
(中略)
スウェーデンの場合は、賃金政策と積極的労働市場政策の連動で、部門や職域の枠を越えて雇用条件を均一化しつつ、労働力移動を促すことで女性を含めて完全雇用を実現した。(宮本太郎著「福祉政治−日本の生活保障とデモクラシー」有斐閣Insight)
知ってのとおり、北欧の福祉社会は高福祉・高負担である。このような政策は、国民と政府の間に信頼関係がなければ成り立たない。

日本の福祉・雇用レジーム

それでは日本を見てみよう。
日本では、雇用レジームにおける雇用保障が、福祉レジームの機能の一部を代替している。この傾向は、1970年代の半ばからはっきりしてきたが、こうした雇用レジームとの連携の結果、日本の福祉レジームそのものは次のような特質を備えるにいたった。
第一に、年金や医療保険などが公務員、大企業、自営業といったように職域ごとに分立したかたちをとったことである。これは、雇用レジームにおいて企業あるいは職域ごとに男性稼ぎ主を囲い込むしくみが形成されたことに対応している。雇用保障と社会保障の対応関係は、さらに厚生年金基金のような公的年金企業年金化によって補強された。その結果、日本では企業、業界などを単位として雇用保障がなされ、これを社会保障が補完する「仕切られた生活保障」とでも言うべきしくみが形成されたのである。年金などの「一元化」の課題は、今日まで持ち越すことになった。
第二に、福祉レジームの規模は小さかった。日本では、生活保障の軸が雇用レジームに置かれたため、社会保障支出は抑制された。雇用保障は男性稼ぎ主を対象としていて、とくに大企業ではその賃金は家族の生活費も含めた家族賃金という性格を強めたために、雇用レジームが家族主義を支えることになった。(中略)また、介護や保育などの公共サービスも、近年になって介護保険などでサービス供給の拡大がはかられるまでは、広がりを欠いていた。
第三に、その抑制された社会保障支出が人生後半の保障、すなわち年金、高齢者医療、遺族関連の支出に傾斜したことである。(中略)
生活保障における雇用保障の比重が高く、したがって人生前半に関しては会社と家族が諸リスクに対応したため、狭義の社会保障は、会社勤めから退き家族の対応力も弱まる人生後半に集中することになったのである。だが、このことはいったん会社と家族が揺らぎ始めると、若い人々を支えるセーフティネットが脆弱であったがゆえに、ここに低所得リスクが集中することを意味する。(宮本太郎著「福祉政治−日本の生活保障とデモクラシー」有斐閣Insight)
全てが会社中心になり、会社から放り出されると、行き場がなくなる。福祉も生活も教育も、雇用があってこそであり、その会社から流動できない社会、まさに「社畜」と呼ばれようと、足蹴にされようととにかく会社に残ることこそ意味がある。

「スベリ台社会」ともやいの湯浅誠氏の言葉は言いえて妙である。「日本人がどんどんダメになる」にこんな言葉を引用したことがある。

中間層の正社員たちにぜひとも理解してもらいたいのは、これは、あなたたち自身の問題であるということだ。貧困を放置すれば、遠からず中間層も滑り台を滑り落ちることになる
家もカネもない貧困層は、食うために、正社員の半分の給料の仕事でも我慢せざるをえない。すると、同じ職場で同じような労働をしている正社員は、なぜ倍の給料をもらっているのかとなる
正社員は、自らの存在理由を守るために長時間のサービス残業を余儀なくされ、心の病にかかる人が増える。互いにかばいあうだけの余裕も失われ、職場の雰囲気がギスギスしていく。現に、労基署へのいじめ相談件数は増え続けている。
かくして会社を辞める人が続出するが、残されている正社員の椅子は数少ないため、彼らは非正規化していく。結果、劣悪な労働環境に甘んじざるをえない非正規社員がさらに増えていくのだ。(週刊ダイヤモンド3/21号「あなたの知らない貧困」)
このような会社の中の世界は、スウェーデン型の「同一労働同一賃金」の裏返しの世界でもある。

なぜ、行政改革と官僚問題が北欧の福祉社会実現と結びついたのか

それでも疑問が残る。それは冒頭のアンケートの答えである。行政改革で無駄を省くということは、より小さな政府を目指すということである。そもそも、スウェーデンの例を見るように、小さな政府と福祉社会とは関係ない。むしろ、きめ細かな福祉をするためには公務員を増やすか民間会社を増やすかはその国の裁量である。もっとも、コムスンのような例があり、チェック機能は必要だが。しかも、社民党民主党が求めているのは「高福祉・低負担」のようだ。おそらく、労組の関係か、雇用レジームに手を触れず、福祉レジームだけをいじりたいらしい。「同一労働同一賃金」はタブーなのだろう。

そう思って、本書のくだりを読んでいくと、小泉政治の箇所が来た。

労働市場の流動化が進み、人々が広がる格差について懸念を抱き始めたときに、小泉政権は、構造改革によって高生産性部門の大企業の競争力を強めることこそが、低所得の人々を含めて生活の底上げにつながると訴えた。さらに2005年の郵政選挙では、人々の行政不信をふまえて、公務員が既得権の象徴とされた。民営化を実現し公務員を減らすことが、人々の負担を減らし生活を豊かにすることになると主張された
天下りの構造をはじめとして、一部の公務員の処遇に看過しがたい問題があることは事実である。しかし、日本の公務員の数は先進国の中ではすでに少なく、公務員の削減が経済活力に直接に結びつくかどうかは疑問である。また、大企業部門の成長こそが格差解消につながるという議論も、グローバル市場とリンクした大企業と地方の中小企業の成長は連携していないことや、労働分配率が限定されていることを考え合わせると、説得的ではない。むしろこうした議論には、構造改革の恩恵を受ける豊かな層と低所得層の支持を同時に獲得していく戦略という面がある。(宮本太郎著「福祉政治−日本の生活保障とデモクラシー」有斐閣Insight)
なるほど、ここに「北欧のような福祉を重視した社会」=生活を豊かにすることを実現するためには、民営化を実現し公務員を減らすこと=「官僚の力を弱めるべき」であり、同時に構造改革=「行政改革を徹底」して無駄遣いをやめることこそが必要だというわけである。国民もメディアも野党さえも小泉の言葉マジックによって踊らされた証拠がここにあった。
日本が本格的に福祉社会を目指すためには、この行政不信を解かなければ始まるまい。
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