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素人だから言えることもある

8.15に考えた。「不幸の価値」を伝えること。

 NHKの「東京カワイイTV」を見た。「カワイイ」とか「気持ちいい」ものは、世界中に簡単に伝わる。ところが、先ほどまで、見ていた「日本の、これから」のテーマは「核兵器」だった。その中で、広島被爆者の怒りが「日本も核兵器を持つべきだ」という主張をする者に対して、投げられた。彼らはいまだに、日本で原爆を開発していれば、原爆を落とされることはなかったと主張している。日本国内でも、「カワイイ」とか「気持ちいい」とかいう「幸福の価値」は伝えやすいのに、核兵器に対する否定的な感情、つまり「不幸の価値」についてはなかなか伝わりにくいのはなぜだろうか

 「私のこと、誰もわかってくれない」を書いて思ったのは、最初、原爆被害者と犯罪者の感情を一緒くたにして「私のこと、誰もわかってくれない」という言葉にしてしまったのは一時不謹慎だと思ったのだが、書かれてみれば、実は加害者も被害者も他人から見てみれば大変個人的なものであり、「想像を絶する」点ではあまり、変わりがないことだということである。

 また、幸福と不幸はあくまでも自分の環境を中心とした相対的な価値観なのではないかと思ったことだ。簡単に言えば、生涯正社員の人に対して、明日の住む場所もない非正規雇用の問題も、映像では事実だと思っても、現実に回りにいっぱいいるはずだが、この環境は景気が良くなれば、きっと好転して元に戻る違いないと思っている点では、同じことなのではないだろうか。つまり、自分の現在の環境から、幸不幸を判断しているのであり、その意味では、現在ランキングトップの「酒井法子報道 覚せい剤ってそんなに悪いものなの?」に対する違和感は、アメリカ的平衡感覚に対する違和感の日本的感情なのではないだろうか。

 さて、相対的感情であるから、環境が変われば簡単にひっくり返る。例えば、「ショートカットな人生、ショートカットな社会」で引用した

貧困感覚とは実に相対的なのである。これを証明してくれるかのように、ある社会学者が実に的確な分析をしている。つまり、「生きることに最大の関心を向ける、経済的困窮度があまりに高い国では自殺率は低い。経済発展途上の、チャンスに満ちた国も然り。経済的豊かさを一度体験した後、深刻な不況や失業の渦中に身を投じ、富裕層の生活を見ることを通じて、『自分は疎外されたと絶望感を抱く』人が増えると自殺率は急上昇する」と記している。(なぜ自殺者は増え続けるのか━雇用不安と窮乏感の病理 14年後の日本考(2))
この生き延びたいという気持ちは、周りの環境によって影響される。原爆被害者のように、究極の極限状況になると、むしろ自殺率は低い。とにかく生き延びることこそ、最大の問題だからである。一方、正社員に馴れた人ほど、非正規社員になると精神的ショックは大きい。肉体的に困窮ではなくても、自分が「負け組」のレッテルを貼られたように考えるからである。しかし、「負け組」の数が増えると、今度は生き延びたい気持ちが出てくる。ここではじめて、「不幸の価値」が理解されるのではないだろうか。幸福な人間には、不幸な環境は理解できないが、不幸な環境が当たり前になれば、理解できる環境が出来る。

 今年は、オバマ大統領が「核兵器廃絶」が宣言された。アメリカの大統領で初めてだという。僕は、オバマ氏が黒人である意味が大きいと思う。幸せな白人大統領では、ここまでの発言は出来なかったに違いない。一度、不幸な環境に落ちた人間がまわりにいるかどうかで、「不幸の価値」が伝えられるかどうかが決まってくる。このように、「不幸の価値」が伝えられるかどうかは、聞いた人間の環境によるのである。
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