夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

ブロガー雑草論


kirifueより:


14日、CNET Japanへお邪魔してきました。木田さん櫻...[続きを読む]


それは編集長との会話から生まれた


 8月14日の「CNET Japan」訪問について、1時間半の対話の中で、ごく一部が霧笛さんによってエントリーに書かれた。



別井編集長「(読者ブロガーへのメールマガジンによって)それなりにコミュニケーションができるのかなぁと、もう少し編集部が身近に思ってもらえるのかなぁと思っているので」


霧笛「放置プレイみたいじゃなくなるんですね(笑)」


別井編集長「放置って……。スミマセン、完全に放置プレイでした」


夢幻∞大「伸びる子は伸びる、伸びない子は伸びない(爆笑)」


別井編集長「でも、背中も見せてなかったりするので」(「CNETブログの今後」についてズバリ伺いました)


僕は、これについてこんなコメントを書いた。



子供の育て方には、叱って伸ばすタイプと、褒めて伸ばすタイプがありますが、放置して伸ばすタイプというのは、いわば雑草タイプということになり、ブロガーの本質は雑草タイプが一番いいのかもしれません。オフ会の最後で、お三方の家族の話を聞き、やっぱり皆さんも雑草タイプなのかもと思いました。


それに対して、霧笛さんはこんなコメントを返してくれた。



雑草ですか…。ありがとうございます。好きですよ、雑草。
もし私が雑草なら、アスファルトの端っこからひょこっと顔を出しているヤツですね。
今駒さんと朝之丞さんは、もっと強くて賑やかそう。
「ブロガー雑草説」賛成です。
mugendaiさんは、どんな雑草でしょう?


僕は、改めて、雑草とブロガーの関係について考え始めた。


インターネットがなければブロガーは誕生しない


 「子供の育て方には、叱って伸ばすタイプと、褒めて伸ばすタイプがありますが」というのは、先生の下に教育を受けるということを意味している。「叱る」にしても「褒める」にしても、到達点が示されてこそ成り立つものだ。たとえ、別井編集長が、ブロガーのために便宜を図るとしても、ブロガーとしての到達点を示すことはありえない。もちろん、ブロガーとして収入を得ることが、そのブロガーの目標であり、CNET Japanにとってもそのように有力ブロガーを多く排出することによって、ステータスをあげることが目的であっても、別井編集長自身、その有力ブロガーを育てるための検閲をしないことを表明している


 つまり、CNET Japanの読者ブロガーでは、「有力ブロガーを育てるための教育」をしないのである。もちろん、それを嫌って、他のブロガーを目指すことも出来よう。だが、むしろ、編集長の枠にはまらないブロガーこそ、本当の独創的なブロガーではないのか。つまり、CNET Japanの読者ブロガーこそが、誰の真似でもないブロガーが生まれることを意味するのだ。これこそ、雑草ブロガーなのだ。そして雑草であってもそれが花咲き、実を結べば、森を作ることも可能である。


 思えば、インターネットでブログが登場するまでは、雑誌や新聞など活字メディアは限定されていた。そうなると、編集者になるか、新聞記者になるか、出版社の文学賞に入るかしかないので、どうしても選ぶ相手を気にしなければならず、ほとんど世に出ることは出来なかった。ブログが登場すると、いつでも思ったことを発表できる環境が出来る。しかも、インターネットからは、膨大な知識を学ぶことができ、そこから、まったく新たな発想を生み出すことが可能になった。そうなると、今度は、ブロガーの考え方に共鳴した人によって、新たな選別が始まるだろう。そして、学校のように決められた知識や答えに限定されない、インターネットという雑多で肥沃な大地から、新たな知識の森が生まれ、文化という木の実を育むだろう。


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