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素人だから言えることもある

「この程度で済んでいる」と「まだまだ落ちる」

 政権党がよく言う言葉がある。「わが党だからこの程度で済んでいる」と「あの党だったらまだまだ落ちるだろう」という言葉だ。おそらく政権が変われば、政権をとった党も同じ言葉を言う。


 しかし、「この程度で済んでいる」という言葉は、本当は現実を何も知らないことを意味する。本当に、現実を知っているならば、「わが党でもまだまだ落ちるだろう。国民の皆さん、覚悟をしてください」。ところが、どの党もそんなことは言わない。少しでも、ネガティブなことを言えば、他党の攻撃材料になっているからだ。多くの党は、「あの政策が失敗したから、あの政策を辞めれば元に戻る」と思っている。だが、それは現実が変化しない場合のことである。例えば、「製造業派遣を辞めれば」とか「後期高齢者医療制度を辞めれば」とか「消費税を辞めれば」とか「郵政民営化を辞めれば」とか「規制緩和を辞めれば」とか言うことだ。しかし、これらの政策は、当時必要とされてきた政策だから通ったのである。そのため、ようやくその政策で成り立っている産業は、その政策を辞めたとたん、元に戻るわけではない。


 国民は、どうしても過去の良かったことだけを思い出してしまう。だが、良かったことには、必ずマイナス面がある。そこを無視して、いいことばかり言う党は信用できない。だが、現実を直視した党も国民も少ない。僕は、政権が変わろうと変わるまいと、今回の不況は「まだまだ落ちる」と思っている。全ての国民の常識が、実は虚像に満ちており、本当に現実を直視できる時期がくるまでは。僕は、「2007年とは何だったか。そして2008年はどこへ向かうのか」で、引用したトフラーの言葉を思い出す。



 新しい文明が古い文明を侵食する時期には、二つをくらべる動きが起こるのは避けがたい。


過去の文明で有利な立場にあった人や、うまく順応してきた人がノスタルジア軍団を作り、過去を賞賛するか美化し、まだ十分に理解できない将来、不完全な将来との違いをいいたてる。


 見慣れた社会の消滅で打撃を受け、変化のあまりの速さに未来の衝撃を受けて、何百万、何千万の欧米人が工業経済の名残が消えていくのを嘆いている。


 職の不安に脅え、アジアの勃興に脅えているうえ、とくに若者は映画、テレビ、ゲーム、インターネットで暗黒の未来のイメージにたえず接している。


メディアが作り上げ、若者の憧れの的とされている「スター」は、街角のチンピラや傍若無人な歌手、禁止薬物を使うスポーツ選手などだ。


宗教家からはこの世の終わりが近いと聞かされている。


そしてかつては進歩的だった環境運動がいまでは大勢力になり、破局の予言をふりまいて、「ノーといおう」と繰り返し呼びかけている。アルビン・トフラー著/山岡洋一翻訳「富の未来」講談社


 人間の未来は不安に満ちている。どうしても過去と比較しなければ、将来を展望することは出来ない。だが、少なくとも私たちは未来がどれほど暗黒に満ちていても一歩前に進まなければならないのである。


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