夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

ブログという一回切りのメディアを永遠のメディアにする方法

検索は一瞬のあだ花

 昔から、検索の上位に上がろうという試行錯誤の試みは続けられてきた。ブログはしょせん、膨大な海の中のただの一滴。目に触れるチャンスも少なければ、消える時間も短い。本屋で言えば、本棚に並べればいい方で、大多数の本は、店頭に並べられず、そのまま出版社の倉庫に戻る運命。インターネットの普及は、その本屋すらどこにあるのかわからないという状態。ただ、ただ、自己満足の文章を毎日書きつぶし、同情のコメントがあればいい方。
 僕は、検索に引っかかることは考えない。引っかかっても、ほんの一瞬で、明日になれば同じことの繰り返しだからだ。ただ、ただ、エントリー数を増やすことを考える。そして、僕は、ひとつの法則を考えた。

データベースと情報→知識

 私たちは、検索で何を探すだろう。それは、ちょっとした疑問の答え。面白そうなアイデアのヒント。ある意味、それはテレビのクイズ番組と同じく、一つ一つのクイズは、それぞれ何にも関係がなくて、バラバラな情報ばかり。検索は、それぞれの情報の答えをピンポイントで探し出す。だけど、人間の頭は、それぞれを系統的につなぐことはできないから、情報は知識とならない。つまり、知識というのは、それぞれの情報を系統付けにつなげて覚えやすくした塊。たとえば、検索がひとつの情報しか見つけられないのに対し、本屋や図書館でカテゴリ別に並んでいるのを見れば、その情報の仲間が見えてくる。そして、データベースはこの知識をたくさん集めたものといえる。

なぜブログをデータベースにしようと考えたか

 僕は、トヨタが再び敗れる日(改題) でこんなコメントを書いた。
僕のエントリーは、資料の切り抜き帳のようなものです。実は、エントリーをデータベースとして使うためにはどうしたらいいかと考えたのです。例えば、新聞記事をリンクで引用しても、何日かたてば消えてしまいます。そのエントリーを完成した形で残したいと思ったわけです。さらに、リンクで指示してもそれを読んではくれませんし、そちらへ飛べばこちらには戻ってきません。また、全てをオリジナルな文章の形にしてしまうと、どこからどこまで引用なのかもわかりません。また、データベースとしても使いづらいのです。僕は、必要とあらば、何度でも使いますから。それに、僕は他の人のように、コメントや感想を書いて終わりという形でなくて、全てのニュースは、過去とつながっていると考えているのです。そのために、過去の新聞の記事を自分のエントリーから探し出すことも結構あります。つまり、僕の言うデータベースとは、将来、別のニュースのときにまた使うための資料集なのです。
 僕には、「素人だから言えることもある」と名乗っているから、もともと系統だった知識がない。知識がないので、情報を引用してそこに埋め込むことにした。そして、その引用した情報をいろんなところで引用していくうちに、系統だってきた。つまり、知識になってきたのだ。僕は、「ブログがなぜ続かないのか」でこんなことを書いている。
僕は、優れた文章なら、大いに引用すべしと考えている。引用するということは、書き写すということでもある。特に、ネット上に文章がなく、書物しかないときは、それを精々書き写す。読者は、一回しか読まないが、僕自身は、二度三度と読むことになる。最初は、読書として、次は引用する文章として、最後にエントリーの中にうまく収まっているかを確認するために。そうして、その文章は自分のデータベースとして頭に残るのだ。

データベースはやがて知恵に変わる

 何度も言うように、僕はプロではない。プロでないから、アウトプットすべき知識がない。つまり、僕は、ブログのエントリー上で、様々な資料をインプットしながら、その過程をアウトプットする。この作業が、ブログをデータベース化するのであるそうなると、どんなニュースでも、どこにどんな資料があるか、頭に残っているから、即座に対応できるのだ。毎月のランキング、100本ごとの索引は、僕にとって、このエントリーの塊である「ドリーミングメディア」を図書館にするためのツールである。決して、ブログを読者のために書いているのではなく、僕自身があらゆることに関心を持って調べ、考える行為が楽しいから書いているのである。もちろん、反応があった方が楽しいのは事実であるが。
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