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市橋容疑者が、整形手術などしなかったら(ワイドショー化する日本・6)

 市橋容疑者はまだ逃げていたかもしれない。少なくとも、ワイドショーのネタとなるための材料にはなっていなかっただろう。視聴者をひきつける事件に事欠かないからである。

 事件後2年半たって始めての目撃記事があったのは、11月4日のことだった。

千葉県市川市で07年3月、英会話講師の英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)の遺体が見つかった事件で、死体遺棄容疑で全国に指名手配されている市橋達也容疑者(30)とみられる男が先月に名古屋市内の病院を訪れていたことが3日、捜査関係者への取材で分かった。整形手術を受けており、再び病院で受診する可能性があるとして、千葉県警は捜査員を派遣し、行方を追っている。
 捜査関係者によると、市橋容疑者とみられる男は10月下旬、整形手術のために病院を訪れ、手術を受けた。黒っぽいニット帽をかぶり、無精ひげを生やしていたという
 男の姿が映った病院での画像を県警で分析した結果、目の位置など顔の特徴や身長などから、県警はこの男が市橋容疑者である可能性が極めて高いと判断しているという。
 男は同月31日にも診察の予約を入れていたが姿を見せず、その後も病院に現れていないという。
 事件発生から2年半がたつが、写真を含めて市橋容疑者の足取りにつながるような情報は初めてとされる。県警はこれまでにのべ約10万人の捜査員を投入するなど市橋容疑者の発見に全力を挙げていた。今年6月からは、警察庁が市橋容疑者の逮捕につながる情報の提供者への報奨金を100万円から全国で初めて最大1千万円まで引き上げている。
(市橋容疑者か、先月名古屋で整形 英国人死体遺棄事件 朝日新聞11月4日)
 もちろん、10万人にも上る捜査員の投入による地道な捜査の結果だと思うが、この報道があってわずか一週間後の本日、11月10日に逮捕することができた。
 千葉県市川市で07年3月、英会話講師の英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22)の遺体が見つかった事件で、大阪府警は10日、死体遺棄容疑で指名手配されている市橋達也容疑者(30)の身柄を大阪市内で確保し、同容疑で逮捕した。市橋容疑者の身柄は、新幹線で千葉県警へ向けて移送された。フェリー会社によると、市橋容疑者は、沖縄・那覇行きのフェリーに乗ろうとしていたという。
 県警によると、逮捕後の調べに「何も弁解することはない。今は何も言いたくない」と話しているという。
 府警などによると、市橋容疑者が発見されたのは大阪市住之江区南港のフェリーターミナル。10日午後6時40分ごろ、フェリー会社の社員から「市橋容疑者に似た男がいる」と110番通報があった。現場に急行した住之江署員がフェリー乗り場にいた男に職務質問。「市橋か」と聞いたところ「市橋です」と答えたため同署に任意同行した。指紋を照合した結果、本人と確認されたため逮捕した。
(中略)
 捜査関係者などによると、市橋容疑者は昨年8月、大阪市西成区で土木作業員を募っていた大阪府茨木市の建設会社に雇われ、今年10月11日まで1年あまり同社の寮に住み込んで働いていた。市橋容疑者は「(連休明けの)13日に帰ります」と出かけ、寮に荷物を残したまま戻ってこなかったという。
 千葉県警などの捜査によると、市橋容疑者は10月中旬、福岡市内の病院を訪れて鼻の整形手術を希望したが、予約がなく断られていた。約10日後の10月23日、今度は名古屋市内の病院を訪れて診察を受け、翌24日に数十万円を払って鼻を高くする整形手術を受けた。同31日にも予約を入れていたが現れなかった。
 県警は今月5日、名古屋の病院で手術前に撮影した市橋容疑者の写真を公開。県警によると、市橋容疑者はまぶたが二重になり、下唇が薄くなるなど逃走中に整形手術を繰り返していたとみられる。鼻も高くなり、左ほおの二つのホクロも除去されていた。 (市橋容疑者を逮捕、千葉県警へ 「何も言いたくない」朝日新聞11月11日)
 わずか1週間で逮捕できたのは、もちろん連日のワイドショーで手術前の手配写真と手術後の手配写真の報道によって注目されたためである。ワイドショーは、難解な事件は向かない。3分でまとめられるか、写真一枚でわかるような事件がおあつらえ向きである。今回は、手術後の写真があまりにも異様でインパクトがありすぎたのだ。しかし、それでも、毎週のように、いろんな事件が報道されているため、この1週間を過ぎれば、人々の記憶から薄れてしまったかもしれない。

 逃走しながらの整形といえば、福田和子の事件が思い出される。

 18歳の時に同棲していた男と高松市の国税局長の家に強盗に入った罪で松山刑務所に服役中の1966年(当時18歳)、第1次松山抗争で逮捕されていた郷田会の囚人が看守を買収し、囚人女性を強姦するという松山刑務所事件が起き、福田はこの事件で被害者となった。この刑務所内強姦事件は国会にも取り上げられる大スキャンダルとなり、看守はこのスキャンダルで自殺した。
 出所後、キャバレーのホステスとして働いていた1982年、松山市内で福田の同僚だったホステス(当時31歳)の首を絞めて殺害する松山ホステス殺害事件を起こし、逃亡する。
 逃亡中は幾度となく偽名を使ったり美容整形を繰り返したりするなどして、全国のキャバレーを転々とする生活をしており、美容整形をしていたことが判明した際には「7つの顔を持つ女」と呼ばれた愛媛県警察本部が懸賞金をかけた捜査を行い、公訴時効が成立する21日前である1997年7月29日、福井市内で逮捕された。逃亡生活は5459日間にも及んだ。岡山駅まで鉄道で移送され、岡山駅からは愛媛県警が用意した車で、松山拘置所に拘置された。(福田和子-Wikipedia)
そして、最後に捕まった理由も、
 その後も捜査網を巧みに潜り抜け逃亡を続けるが、1997年福井市内に潜伏中、行きつけのおでん屋のママと常連客が、時効直前で盛んにテレビのワイドショーなどで取り上げられ始めていたため、和子を怪しみ、ビール瓶とマラカスから指紋を採取し、逮捕に至った。(福田和子-Wikipedia)
 逃亡犯人にとって、ワイドショーに取り上げられた1週間こそは、要注意期間である。
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