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素人だから言えることもある

すべてのブロガーはプロシューマーである。

アルビン・トフラーの「富の未来」から

 久々に、「富の未来」を読み返した。Wikipediaによると「プロシューマー」とは、
 生産消費者 (せいさんしょうひしゃ、prosumer) もしくはプロシューマーとは、未来学者アルビン・トフラーが1980年に発表した著書『第三の波』の中で示した概念で、生産者 (producer) と消費者 (consumer) とを組み合わせた造語である。生産活動を行う消費者のことをさす。
 企業がアンケートなどで消費者から製品のアイデアなどを募集したりする行為などもこれに該当し、マーケティングの新しい手法としても注目されている。(生産消費者-Wikipedia)
という説明がなされるが、これだけではプロシューマーの本質が分からない。僕も、「生産消費者」については、何度かとりあげたが、概念的で理解しにくかった。だが、この説明のマーケティングに利するための単なる「賢い消費者」であっては、あまりにも範囲が狭すぎる。トフラー氏は、「富の未来」ではこう説明している。
 金銭経済で販売するための財やサービスが作り出されるとき、それを作る人は「生産者」と呼ばれ、その過程は「生産」と呼ばれる。だが、金銭が絡まない簿外の経済に関しては、「生産者」にあたる言葉はない
 そこで1980年に刊行された『第三の波』で、筆者は「生産消費者」という言葉を作り、販売や交換のためではなく、自分で使うためか満足を得るために財やサービスを作り出す人をそう呼ぶことにした。個人または集団として、生産したものをそのまま消費するとき、「生産消費活動」を行っているのである。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・上」講談社/p284)
 ただ、「生産消費者」という名前は、あまりにも生産・消費のイメージが強すぎる。本稿においては引用部分を除き、オリジナルの「プロシューマー」で統一したいと思う。したがって、引用部分が「生産消費者」とあっても、「プロシューマー」として読み替えていただきたい。

金銭経済と知識経済

 トフラー氏によれば、世の中には2つの経済があるという。金銭経済と知識経済だ。金銭経済は、金銭のやりとりをするが、知識経済は知識のやりとりをする。たとえば、家庭内の子供のしつけ。ボランティア活動。姑から嫁への母の味の継承。おばあちゃんの知恵袋。さらに、趣味の仲間との知識の交換。受験勉強のためにインターネットで調べたり、テレビを見て様々な情報を手に入れることなど、金銭目的ではなく自分や相手の知識を高める行為を言う。そのために道具や参考書を買うことはいとわない。
 生産消費者は自分の金を投資して資本財を買い、非金銭経済での能力を高められるようにしている。それによって、金銭経済でのコストを引き下げることになる。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・上」講談社/p309)
 この文章では、『非金銭経済』と書いているが、知識経済と同義である。テレビで健康番組を見て、自分の健康に注意すれば、その分医療費を抑えられるというわけである。人生全体から見れば、金銭経済にかかわるのは、働ける間だけである。しかも、会社を退職して、会社で学んだ知識は死蔵されている。

 インターネットが普及して、ブログが登場したとき、一斉に開花したのは趣味のブログだ。今まで、趣味に投資して得た知識を一斉に放出し始めたのだ。趣味になんて金をかけてなんになると言われていた彼らの居場所をそこに見つけたのである。しかも、今では、テレビや新聞では伝えられることのない情報が即座に知ることができる。

マス時代の終わり

 インターネットと今までの放送の違いは、双方向性である。テレビや新聞がマス・メディアといわれるのは、一方通行で、個々のユーザーの意見が即座に反映されない点である。ユーザーはより自分に適したものを求めている。マス・メディアに対する不満がインターネットで爆発したのだ。トフラー氏は「日本語版に寄せて」でこう書いている。
 たとえば日本は、長年にわたって国内の均質性を誇ってきた。この均質性によって、大量生産、大衆消費市場、マス・メディアに基づく経済の必要に適した大衆社会が発達した。均質性を維持し、社会対立を減らす方法のひとつとして、移民の流入を制限してきた。
 しかし、明日の先進的な経済では「非マス化」が進んでいく。多様化が進み、大衆ではなく、個人に焦点をあてるようになる。そして、社会の高齢化がさらに進む。今後は移民の受け入れを増やしていく必要があるだろう。

(中略)

 だが、これらの緊張のすべてにわたる問題、これらすべてよりはるかに大きい問題として、知識と無形資産に基づく明日の経済の担い手と、時代後れの職やスキル、地位、給付にしがみつき、圧倒的な力をもつ新しい富の体制への適応を遅らせることもいとわない抵抗勢力との衝突がある
 ひとつの重要な真実を思い起こすべきだろう。世界のどの地域にとってもそうだが、日本にとっても重要な意味を持つ真実、それはこうだ。変化は衝突をもたらす。だが、変化の拒否も衝突をもたらすのである。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・上」講談社/p5)

 日本は、世界でも一番ブログが多い国だという。それだけ、マス・メディアによって均質性に抑えられてきたということではないのか。変化が激しいほど衝突は強くなる。たとえば、派遣社員問題は、社員の個性を尊重するより、部品として均質化を求められていた。これもまた大量生産社会の弊害であり、若者たちは、自分らしく存在したいためにブログに救いを求めたのだ。

ホームサーバは知識経済の一断面

 ホームサーバシリーズ(現在50章まできた)で描きたかったのは、メディアがどう変化していくかをリアルタイムのニュースに即して考えていきたかったからだ。第一章にあたる「家電屋VSコンピュータ屋、ホームサーバーの戦い」では、当時SCEの会長だった久夛良木健氏の言葉を引用した。
ネットワークで配信(再配信)可能なコンテンツには、ゲームの他にも、映画・音楽、許諾を受けた放送番組、あるいは個人が撮影した膨大な数の写真や動画などがあるだろう。今後、家庭において「プレイステーション 3」自体がホーム・サーバーとなり、他の携帯機器やネットワーク接続されたデジタル家電機器、さらにはパソコンにも、ゲームや映像や音楽を配信することも可能になる。(久多良木健氏からの手紙、「PS3が創るリアルタイム・コンピューティングの未来」)
 同じ講演で久夛良木氏はこうも言っている。
 ネットワークの双方向性が高まった結果、ユーザーは従来の一方的な受身の存在から、急速に自らが情報の発信者に変貌しつつある現在は埋没しかけている異才やクリエータたちも、既存の枠組みやメディアの柵を飛び越えて、ユーザーに直接訴えかける場を求めている。ユーザーも直接、こうした隠れたクリエータや同好の士を探し求めようとしている。より多くのクリエータがネットワークを介して積極的に参加できる仕組みをつくり、そして多様なコンテンツに、より多くの人が触れることのできる世界の実現を目指して、「プレイステーション 3」で積極的に挑戦していきたい。(久多良木健氏からの手紙、「PS3が創るリアルタイム・コンピューティングの未来」)
 ユーザーの中からクリエイターを救い上げる仕組みに言及している。これはAppleApp Storeと同じようにユーザーそのものが「プロシューマー」であることを意識しているのである。また、アマゾンが印税70%を支払うという記事をiPadによってアップルはデジタル時代の覇者になれるか(ホームサーバの戦い・第50章)で紹介したが、とりあえず紙で発表したものと限定されるとはいえ、これからはユーザーの中からクリエイターを見つけようとする意思をふくんでいると思われる。

 今までマス・メディアは巨大なインフラを背景としてブランド化したが、これからは、そのマス・メディアに所属しなくても、膨大なブロガーの中から出現してくるだろう。トフラー氏は結末にこう書いている。

 第二の波から、経済中心の考え方が生まれた。文化、宗教、芸術はすべて副次的な重要性しかもつておらず、マルクスによれば、経済によって決定される。
 だが、第三の波の革命的な富では、知識の重要性が高まっていく。その結果、経済は大きなシステムの一部という地位に戻り、良かれ悪しかれ、文化、宗教、倫理などが舞台の中央に戻ってくる。
 これらの点はいまでは、経済に従属するのではなく、経済との間でみられるフィードバックの過程の一部だとされている。
 いま起こっている革命が技術の動きのようにみえるのは、それによって登場した技術が極端に目立つからだ。しかし、工業化、近代化と呼ばれているものと同様に、第三の波の革命も文明全体にわたる変化なのだ。株式市場の変動などの混乱はあっても、革命的な富は世界のほとんどの地域で着実に前進していく。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・下」講談社/p351 )

 インターネットという技術で世界は一変しつつある。そしてそのインターネット上のブロガーたちは、「プロシューマー」として第二の波の受身の立場から、第三の波の主体者として立場を変えることになる。
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